「主体的、対話的で深い学び」を生きるということ--日常の中にワクワクを。対話を!--
文学作品を読み、表現アートで思いおもいの作品を作り、その経験のなかで浮かんできた言葉にしがたい気持ちを、なんらかの形におきかえる。そういう経験の積み重ねが、わたしにとっては「主体的、対話的で深い学び」そのものです。そんなわたし自身の「日常生活の冒険」を紹介して、学校教育という場のもつ可能性の豊かさを伝えていきたいと思っています。わたしはもっとたくさんの方々に、教育の現場に入ってきていただきたいと考えています。お母さんもお父さんも、おじさんもおばさんもおじいちゃんもおばあちゃんも、中高生も大学生も子どもも大人も、みんな一緒に楽しく、「未来の若者をどう育てるか」を考えていきませんか!
札幌大学地域共創学群日本語・日本文化専攻 教授 荒木 奈美

「星の時間て、なんなの?」とモモはききました。
「宇宙には、あるとくべつな瞬間というものがときどきあるんだ。」
ミヒャエル・エンデ『モモ』より
じぶんで気づくことさえできれば、いつでもわたしのもとにやって来る、時計の流れとは関係のない、わたしだけの時間。そんな「星の時間」を手にすることができたなら、それはあなたにとってどんな時間でしょうか。
今回は、UVレジンのストラップに、思いおもいの「時間」をしたためてもらいました。言葉にしがたい思いは、無理に言葉を探すよりも色や形に置き換えてみると実感としてわかることもある。これはわたし自身が今学んでいる表現アートセラピーから得たことです。
今回高校生や大学生に作ってもらった作品も、このようなたくさんの「時間」が表現されました!
『モモ』を読んだ経験のある学生は、物語の中の風景を切り取って形にしてくれました(右上)。
その日の気分で選んだ色を混ぜ合わせて絶妙な色合いに仕上げ、「ワクワクしている今の気持ちそのもの」と語ってくれた参加者もいました。
ものづくり体験を通して得たワクワクした気持ちと、本の中に出てくる世界を繋げて、気づけば本の世界に入っている。自分が物語の主人公になったつもりでドキドキしたり、手に取るように主人公の体験を味わったり。
そんな子どもの頃に誰もがあじわったような身体感覚を取り戻して、読書がその延長であることを実感してほしい。そんな気持ちで続けてきたこの取り組みは、今年度2年目となりました。
「中高生世代と大学生世代とその親のための考える読書入門」
読書習慣がゼロに等しくなっているという若者世代に向けて読書の楽しさを伝えたい。彼らの生活の中にそーっとお邪魔して、そこに本を置いてみる……まずはそこから。
少しだけ年の離れた大学生と中高生たちが、表現アートのワクワク感にも助けられながら言葉を交わし、同じ読書の世界を共有する。それをきっかけにして心を合わせたり一緒にうなずいたり、頭をひねったり、手探りで言葉を探してみたりする。
そしてそのようにして、そーっと置かせてもらった毎回の1冊の読書が、彼らが今ここを生きる楽しみと出会うための何らかのきっかけになったら、この上ない喜びです。
わたしは今は大学で教鞭をとっていますが、10年ほど前までは公立高校の教員でした。12年間国語教師として、じぶんが何者かわからず焦ったり悩んだりしがちな年ごろの若者たちの話し相手として、たくさんの高校生と関わってきました。大学教員生活は、わたしにとってはある意味この延長です。
年甲斐もなく、大学生とどうしてこんなに話が合うんだろう、と考えたことがあります。おそらくわたしにとってはこの12年の高校教員経験が大きく影響を与えているのだと思います。それだけわたしはあの頃、夢中になって高校生とともにいたから。
読書体験を通してたくさんの人と関わりたいと思ったのも、そんな経験がベースにあるのだと思います。
友人とわいわいやっているときは朗らかにふるまう学生も高校生も、ソファに座ってじっくりと話を聴きはじめると、たくさんの思いを抱えてここまで必死で生きてきたのだなということに気づきます。わたしは何も与えられないけど、じっと話を聞くことで少しずつ、表情が変わります。もしかしたら何らかの形で、おのずと解決のいとぐちが見えたり、こころの整理がついたり。そういうことだったらいいなあと、ひそかに祈っています。
直接はたらきかけるのが難しいと感じたときは、わたしは「物語の力」や、身体をつかって無意識を表現することにつながる「アートの力」を借りることが多いです。
本の中にじぶんと同じようなキャラクターを見つけて感情移入したり、自身の過去を整理したり。ハサミでちょきちょきしたり、色を重ねたり、ひたすら木材を磨いたり。何かをつくるために没頭することで、今のじぶんから少しだけ離れておのれを見つめ直す経験は、せちがらい日常を離れたかれらを、少しだけ大人にするのかもしれません。
わたしの残りの教員生活は、何をおいてもそんな若者たちとのんびりと本を読んだり表現アートに没頭したり、そういう自由な時間の中で、「意味」も求めず、ワクワクした気持ちによりそって、じぶんの中から湧いてくる思いを少しでもたくさん言葉や形にしていく姿を見てみたい。そんなことを最近はとくに思います。
ふとわたし自身がとあるゲームの冒険者になったイメージが浮かんできます。私の「職業」は「文学」と、そして「表現アート」。どちらも言葉にしがたい思いを、言葉でないものに置き換えて、そこから新たに言葉をつむぎ、おのれのことをとらえなおせるきっかけになるものです。
わたしはこの二つの「職業」をもって、戦うのではなくて学生たちの今によりそい、もしかれらが今、じぶんを生きにくいと感じていたらそうっと出向いて、隣に座って伴走する。そんな気持ちで、わたし自身の人生のロールプレイングゲームを続けていけたらと思っています。
荒野に切りひらく、そんな道なき道を手さぐりしながら進んでいるわたしのリアルな「つれづれ」を、こちらで報告できたらと思っております。半年間、どうぞよろしくお願いいたします。

荒木 奈美(あらき なみ)
札幌大学地域共創学群日本語・日本文化専攻 教授
高校で12年間、大学で8年半、たくさんの高校生や大学生と主に文学作品を通じて関わってきました。自分の好きな漫画やアニメやゲーム、アーティストについて語るとき、彼らは本当に顔を輝かせて熱心に語ってくれます。自分の「好き」を極めたいと思うことは学びの原点。高校生や大学生の「学ぶ意欲」を引き出すために私たち教師ができることは何だろう。「主体的に学ぶ」学習者を育てるための教育のあり方について、今日も実践を通じて、探究を続けています。
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