2019.06.18
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ベトナムで考えたこと(第3回)

国際理解教育というテーマで語られることの中で,「異文化理解」や「多文化共生」というキーワードがあります。皆さんはどちらになじみがあるでしょうか?

兵庫県立兵庫工業高等学校 学校心理士 教諭 藤井 三和子

異文化? 

メコン川

「異」がイメージすることは,自分の外の世界でしょうか,自分とは違う世界でしょうか?

心理学では「自」と「他」の関係性について,人間関係の中で「自己を知る」ことと「他者を知ること」の必要性・重要性が論じられます。ひとの心を理解するためのまず第一のことであるからであると理解しています。「自己」が本当に「わたしはなにものであるか」という根源的なことから,「わたし」の属する文化圏にまでおよび範囲が拡がっていき,自己の属する社会になり,他方,「他者」も同様に範囲を拡げていきます。「異」文化と文化を語っているようで,実は突き詰めれば,「人のかかわりあい」になります。

「異文化理解」が意味するところとは?

さて,話を「異文化理解」に戻します。「異文化理解」とは「異」とするところで,自分とは違うんだと,高い壁を作り,そして自ら乗り越え,相手の側に歩み寄るという思考ではないかと考えています。つまり,ある文化や対象を見る時に,自分とは違うということを前提として,見ることになります。これは悪いことであると言っているのではありません。違いは必ずあるものです。違いを認識することで正しく物事が判断できたり,違うからこそ歩み寄りの必要性が出てくることもあります。また,違いを認識することで,自己を知ることができます。なにより,比較して,差(違い)を見ていくことを私たちは得意としているのではないでしょうか?

異なる文化でも共通なことはあります。例えば,人はうれしいことがあれば喜びますし,悲しい出来事には悲しみます。これはどんな文化でも共通なことです。しかし,紛争地帯の悲しみや戦争に巻き込まれた人々の悲しみ,悲嘆を私たちはどれほど感じることができるでしょうか?

「共通性」を見る目を!

ホーチミンの戦争証跡博物館ですさまじい現実を見たとき,「異文化」として理解しようとすると,自分とは違う世界のことと捉えてしまう危うさを感じました。そこで生きている人に対して,私たちは同じ人間として悲しみや悲嘆,絶望を「じぶんごと」として捉える努力をしなければならないのではないでしょうか。簡単なことではないです。とても重いテーマです。しかし「異」文化ではなく,「共通性」をその文化の中に見出そうとする視点を持つことができるはずです。

しかしながら,高校生や大学生がはじめて海外へ出かけた時に「異」ではなく「共通性」に目を向けることはなかなか難しいことです。そこで,引率者や研修のコーディネーターの役割が出てくるのではないでしょうか。助言や考え方の方向を示してあげることで,ものの見方かが変わるかもしれません。何らかの心の成長を促すことができると信じています。

海外での学びを深める

生徒たちの心の成長を促すためにも,育成者である教員が海外で「異」と「共通性」を見て,考えてくる意義は大きいと思います。その場に行って,自身の価値観を疑ってくる経験とでもいえるでしょうか。外国語とりわけ英語の4技能の習得は確かに必要です。しかし,文化を見る力を養うことも必要です。そこで,共に生きる国際理解教育の一環として世界を見ておく必要性が出てくるのです。

ベトナムは多くのことを考え,学べる国です。もっと多くの,これからのグローバル化する世界を生きていく子どもたちを育成する先生方に,ぜひ実際に足を運び,経験してほしいと思いました。そんな教員のための海外研修を企画したいという思いを強くしてくれたベトナムとの出会いでした。

藤井 三和子(ふじい さわこ)

兵庫県立兵庫工業高等学校 学校心理士 教諭
兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 専門職学位課程 教育実践高度化専攻 グローバル化推進教育リーダーコース 在籍
生徒の心の成長を促す存在でありたいと,教育の力を信じて,工業高校で英語を教えています。大学院での学びと学校現場での実践で感じたことを紹介していきたいと思っています。

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