2018.08.29
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「教師の発する言葉の影響力の大きさ」

先日、小学校の元校長先生の方と教師が保護者へ話をする際の具体的な言葉についての話をしました。

私が小学校の現場にいた時、教師の不用意(不適切)な一言で親との関係が一気に悪化してしまうケースを何度も見てきました。

言っている本人に悪気はないのですが、うまく受けとってもらうことができず、誤解されてしまう場合などです。

私自身が苦労したこともありますし、一緒に組んでいた若い先生が苦労していたこともあります。

今回、教師の発言の大切さや重要性についてまとめました。

皆さんの何かのヒントになれば嬉しいです。

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師 鈴木 邦明

「教師が発する「心配しています」の絶妙さ」

普段の関わりにおいては、親との話はそれ程難しいものではありません。

特に良いことを報告する時などはあまり考えずとも大丈夫です。

難易度が増すのが、何かのトラブルが発生した時です。

例えば、友達との喧嘩、もの隠し、体育での怪我、登校しぶりなどの場合です。

そういった際に用いる「心配しています」という言葉は非常に良い言葉だと思いました。

状況にもよりますが、冷たくあしらうのでもなく、こちらが非を認めるのでもなく、でも「心配している」というのが絶妙です。

「子どもの怪我の場合の連絡は慎重に」

私が失敗したものでは、子どもの怪我についてのものがあります。

体育の時間に取り組んでいた球技(確かバスケット)で、つき指をした子どもがいました。

ちょうど養護教諭も不在で、私が湿布などで手当をしました。

見た所、変形もなかったですし、本人も痛みを訴えていませんでした。

それなので、連絡帳に事情の説明をし「多分、大丈夫だと思います。」というようなことを書きました。

結局、その怪我は大丈夫ではなく、骨にヒビが入っており、ギブスをすることになってしまいました。

私が余計なことを書いてしまったので、その日に病院には行かず、次の日になったら随分と悪化していて、急いで病院に行ったというものです。

「先生は相手の肩を持つのですか!!!」

別のケースもあります。

ある親が友達間のトラブルについて訴えてきた時に「先生は相手の肩を持つのですか!!」と怒って言われたことがあります。

残念ながらどういった一言を発したことで、そう言われたのかは覚えていませんが・・・。

もちろん、こういった場合においては中立な立場を意識して話していたはずなのですが、相手(訴えてきた親)には、そう思ってはもらえていなかったのだと思います。

はじめに紹介した「心配しています」という言葉は、良い意味で非常に使い勝手の良い言葉です。

こういった言葉を多く身に付けている教師は親から誤解されることも少ないですし、信頼されていくのだと思いました。

教員はそういったことに関して感性を高めていく必要があります。

「長期休業明けの教師の発言にも注意が・・・」

そろそろ地域によっては2学期が始まり出しているところもあると思います。

学級担任として子ども達に夏休みの様子を聞くときにどんな聞き方をしていますか?

「どこかに行った?」と何気なく聞いてしまうことがあると思います。

この言葉の背景には「夏休みにどこかに旅行などに行った。」という前提があります。

学校の先生になる人が育つ家庭は割と経済的に苦労をしていない場合が多いです。

夏休みには家族で海や山などへ旅行に行くことが当たり前であることが多かったのだと思います。

自分の育った家庭をイメージしながら「どこかに行った?」という言葉が発せられるのだと思います。

しかし、クラスの子どもを見るとそういった家庭ばかりではありません。

私が以前担任した子どもで、夏休みの間、住んでいる市から出なかったというケースがありました。

私が何気なく言った「どこかに行った?」という発言に対して、悲しそうな顔で近寄ってきて「私どこにも行ってないのだけれど・・・」と小さな声で言いました。

教師はそういったことを配慮した上で夏休みの様子を子ども達から聞くようにしたいものです。

「どこかに行った?」ではなく「夏休みはどうだった?」と聞くことで話すことのできる範囲が広くなります。

「夏休みはどうだった?」と聞き、いろいろな子どもに発表などをしてもらう前に「どこかに旅行に行ったことばかりでなく、身近なことで面白かったことや不思議だと思ったこと、学びになったことなどを伝えてもらうと嬉しいです。」などの言葉を付け加えると多くの子どもが生き生きと話すことができるようになるのだと思います。

「教師は子どもにとって身近な教科書」

教師が発する一言に対する感性を高めることは教師にとって大事なことだと思います。

先ほど書いた「心配しています」という一言を適切に言うことができるのかということにも繋がってきます。

教師の存在は、子どもにとって非常に重要です。

まるで行動の見本の教科書のようなものです。

言葉づかいや仕草、気配りなど、一挙一動が子ども達に影響を与えます。

私は日々の教育活動は「教師の全人格が試されている」と理解しています。

関わる年齢が低くなればなる程、子どもと生活を共にする時間が増えます。

発する言葉や行動などへの教師の影響が大きくなることを意味しています。

「終わりに」

今回書いてきたようなことは、忙しい日々を送っているとなかなか考えることができなくなってしまいます。

二学期が始まる直前の今の時期だからこそ、こういったことを考える良いチャンスなのだと思います。

素晴らしい二学期の教育活動のために今一度少しだけでも自分の姿を省みる時間を取ることができたら良いと思います。

鈴木 邦明(すずき くにあき)

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。

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