先日の参観日。道徳を公開しました。
参観日の道徳は、保護者にもメッセージが伝えられるものを考えます。
以前の記事に「電子黒板で変える、道徳の授業」(クリックで記事が見られます)で自作の道徳を紹介しましたが、コンセプトは同じです。
今回は、以前、3年生で行った実践を1年生にしました。
主題名「おかあさんのこころ」
井上美由紀さんとそのお母さんのドキュメンタリーが題材です。
たくさんの方が実践をされていて、それを自分なりに、組み立て直したものです。
目の見えない井上美由紀さんを、お母さんは、厳しく育てます。とても厳しく。
まずは、美由紀さんの生い立ちなどを、電子黒板(パソコンが投影された50インチのテレビ)で映したり、生まれたときの体重をペットボトルで体感させたりして、子ども達に実感させながらすすみます。
そして美由紀さんができることと、できないことを考えさせます。「階段を上る」「野菜を見分ける」「スケートボードにのる」「自転車にのる」
答えは、すべて「出来る」です。
では、どうやって自転車にのることができるようになったのでしょう。と問い、子ども達に自分がどうやって自転車にのれるようになったかを想起させます。
美由紀さんがどうやって自転車にのれるようになったか。
お母さんは何の手助けもしませんでした。お母さんは怒鳴るばかり。それが、絵本になっています。(ポプラ社「のれたよ、のれたよ、自転車のれたよ」井上美由紀・文 狩野富貴子・絵)
その絵本の最後には、
「美由紀、やろうと思ったら何でもできるやろ」そういって抱き合ったおかあさんの「ほっぺが ぬれていました。」
と、締めくくられます。
3年生の児童は、その文章で、お母さんの気持ちがわかりました。ところが、1年生は・・・・
厳しいお母さんは、おかしいと思う1年生が約35%
絵本を読んだ後、
「厳しいお母さんは、心の中で、なんと思っていたでしょう。」
と問いかけました。
私の予想は、「本当は応援していた」とか、「お母さんは成長してほしくて厳しくした」というもので、実際そのような意見もでました。
ところが、ある男の子をあてると、その男児は目に涙をためて、憤りを隠せない様子で、こういうのです。
「大間違いや・・・・ほんまに」
?
はじめ、私はわかりませんでした。彼が何をいっているのか。
「ほんまに、もう、大間違いや。」・・・憤りがすごい。
私「どういうこと?」
男児「そんな厳しくするのは大間違いやねん!!」
やっとわかりました。彼は、厳しいお母さんを許せないのです。
え?絵本で、最後に、頬がぬれていたって読んだのに。
でも、他の児童と目を合わすと、その男児に賛成という様子で、頷いている子が数名いるので、
「このお母さんをおかしいと思うの?お母さんが厳しいのは、おかしいと思う人?」
と挙手を促すと、10人は超えていました。40%とはいきませんが、30~35パーセントは、いました。
私は、自分の見取りの甘さを感じました。何も言わなくても、1年生でも親の厳しさの向こうにある愛情を分かっていると思っていたのです。
少なくとも、この絵本を読んだら、何かを感じ取ると思っていたのですが、ちがいました。
そこで、「実は、この本の中に正解があります。」といって、ある文章を紹介しました。それは書籍の後書きとして「母から美由紀へ」というお母さんからの手紙に書かれた一節を引用したものです。その引用は子供達にではなく、お母さん方に必要だと思って、スライドにいれていたのですが、それが大きな説得となりました。
その手紙(書籍の後書き)には、
『自転車の練習の時も、助けてあげたいと 何度ベンチからたちあがったかしれません。
あなたの姿が涙で 見えませんでした。でも、あなたは最後まで ひとりでがんばりました。
目が見えないと言うことは、人の何倍もの努力が必要です。
あなたの 15年 苦労したこと、苦しんだこと、泣いたこと、いろんなことがありましたね。お母さんはそれを糧にして、
「人の痛みがわかる人間、人に思いやりをもつ人間、
自分の意見をいえる人間」
になってほしいと思います。 』(ポプラ社「生きています、15歳」井上美由紀 著)
とありました。
それを読んだ後、その男児は
「そういうことかあ。」
と、頭を抱えてうごかなくなりました。ある女児は、目をまんまるにしていました。
5校時の参観で、授業後は帰る用意をしないといけないのに、この男児は「そういうことか」と頭を抱えて、少しの間、動けなくなっていました。
この男児の人生観を広げる1時間になったのではないでしょうか。
お母さん方へもメッセージを送りました。
この題材を1年生にも設定しようと思ったのは、最近の子どもが、言葉の向こうにある、「見えないけど大切なこと」を感じる力が少なくなっているように思ったからというのが1番です。お母さんの厳しい口調には、心配や愛情がつまっていることをわかってほしいと思ったことが半分。もう半分はお母さん方に対して感じ取ってほしいことがありました。
私は、ストレスという言葉が嫌いです。なんでもストレスだと言えば、立ち向かわないことを正当化できるような風潮が嫌いです。
生きていれば、成長しようとするとき、次のステージに向かおうとするのだから、目の前に、壁ができます。でも、自分が出来ることに集中し努力したとき、それは、次のステージへの扉となり開くものです。その壁(扉)までも、ストレスだという言葉にくくるのは、私はちがうと思うのです。
お母さん方にも、強くなってほしい。
子どもがつらい思いをすると、「かわいそう」と思う。でも、それは、もしかしたら、子どもの扉を親が奪っているのかもしれない。お母さん達の視野も広がる一助になればと思い、この題材を参観日に設定しました。
参観授業の最後は、子ども達にではなく、お母さん方に語りました。
「お子さんが、つらいと感じる壁がでてくることも、この6年間であると思います。いえ、必ずあります。でも、そこで、ぐっとこらえて、お子さんと乗り越えると、必ずひとまわり成長したお子さんに出会えます。かわいそうと思わず、これが成長の扉と思ってください。それが、やがてくる思春期の荒波を乗り越える心の土台となると思うのです
どうか、ぐっとこらえて乗り越えてください。」
どれくらい伝わったかはわかりませんが、涙を浮かべて聞いてくださっていたお母さんもいました。
ちょうど音楽会の練習が始まったところにこの授業をしました。初めての楽器に悪戦苦闘している子もいて、後日連絡帳で、「実は、楽器が出来ないのが気になって、学校にいきたくないと言っていたのです。できるようになったら楽しいことが増えるよと言いながら行かせました。」と。
1年生のお母さんは、お母さんの視野が広がることが、子どもの力と直結します。
どこにでもストレスはあります。本人がストレスと言うとストレスになるからです。
特に低学年は、お母さんがストレスと断定すると、その呪縛からなかなか抜けられなくなります。
本当に取り除かなければいけないストレスもありますが、経験すべきストレスもあると私は思います。
だから、ストレスという言葉は嫌いです。
だって自分の可能性を閉じてしまう言葉だから。
本当は、扉を開く鍵かもしれませんもの。そのためには、お母さん方にも視野を広げ、強くなってほしい。それが、お子さんの幸せにもなり、母としての大きな幸せとなるから。
とはいえ、私自身、娘のこととなると弱気になったり、どうしていいかわからなかったりしたこともありました。そんな時は、ママ友に相談したり、時に、担任の先生に相談したりしました。
お母さんのみなさん、「こらえる」と言いましたが、一人ではこらえられないことも多々あります。そんな時は、どうか、担任の先生に相談してください。クレームではありません。相談です。お子さんをかわいそうと思った時点で、クレームとなり、それは、次への扉を閉ざすことになってしまう。母さえうろたえなければ、彼・彼女の力に、必ずなります。ぐっと乗り越えるために、前向きな道を選ぶために、担任の先生とお話すればいいのです。
自立のための一歩を育てられる母になれるよう、私もがんばらないと。

松井 恵子(まつい けいこ)
兵庫県公立小学校勤務
兵庫県授業改善促進のためのDVD授業において算数科の授業を担当。平成27年度兵庫県優秀教職員表彰受賞。算数実践全国発表、視聴覚教材コンクール特選受賞等、情熱で実践を積み上げる、ママさん研究主任です。
同じテーマの執筆者
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)
この記事に関連するおススメ記事

「教育エッセイ」の最新記事
