2016.06.13
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地震と学校教育

明光学園中・高等学校 進路指導部長 前川 修一

みなさん、こんにちは。

今回は予定を変更して、2016年4月14日21時26分(前震)、およびその28時間後の、2016年4月16日1時25分(本震)に発生した、熊本県熊本地方を震源とする「平成28年熊本地震」と、被災地の教育の事情について見聞したり体験したことをまとめておこうと思います。

私は福岡県大牟田市の学校に勤めていますが、居住地は熊本県玉名市です。毎日県境を越えて福岡県内に通勤しているものの、普段の生活は熊本県内ですので、半分被災地、半分震源地からはやや距離のある九州の別の場所、を往復している人間です。

 

1.地震を体験する

 

前震のあった4月14日の21時過ぎは、私はまだ帰宅中でした。自家用車で大牟田市内から県境を越え、山ぎわの近道を走行して玉名市内に至る間に、揺れを実感することはありませんでした。よく言われるように、動いている車の中では地震を感じることはないのでしょう。ただ、風もないのに、なんとなく電信柱が揺れているような感覚はありました。

帰宅するとすぐに家族が大変な地震があったというので、テレビをつけたところ玉名市内は震度6弱という情報でした。家族は口々に、生まれて初めての揺れだったと言いました。警戒していたところ、それから余震が幾度となく続きました。

確かに揺れます。通常では感じない激しい揺れです。

しかし、そのときは家に被害もなく、阪神・淡路大震災の経験がある関西出身の家内も「こういうときは、落ち着いて風呂にでも入ってたがよい」と、さっさと浴室に行ってしまい、少しも動じる気配がなかったくらいでしたので、不安が半分と、それほど大きな揺れはもうこないだろうとの漠然とした「安全」感が半分で一夜を過ごしました。

翌日は普通に出勤しましたが、福岡県内でもかなり揺れたとのことでした。学校のある大牟田市内でも、余震を何度か体感しました。被害の大きかった熊本市内周辺部の様子をテレビで見て、これは大変なことになったと思いました。

地震の直後から遠くの親戚や知人・友人たちから心配の電話やメールをいただきましたが、阪神・淡路大震災の経験のある関西の先生方などから次のようなアドバイスを受けていました。すなわち、(1)大人は洋服を着て寝る、(2)枕元に靴を置いておく、(3)窓は開かなくなる可能性があるので、鍵をかけない(とっさの時には、一番近い窓から逃げる)、(4)避難袋は目につくところにおいておく、(5)乗用車に毛布などを積んでおく、などの点です。

私はこれを忠実に守って夜を迎えました。家内と子ども2人、それに足の弱い70代の母には、なにかあったら一番近い窓から逃げなさい、と言っていました。

日付が変わった4月16日深夜の1時25分、ドーンという突き上げるような揺れがきて、すぐに、ゆっさゆっさと家全体が左右に動く感覚、いわゆる横揺れに変わりました。

本震です。

横揺れは、収まることなく激しく続きます。誤算だったのは、直後に停電したことでした。真っ暗な中で逃げるのです。あんなに準備していたつもりだったのに、家の外に出るまでにさまざまなものにぶつかりました。家族は全員がなんとか戸外に出ることができましたが、自宅は本当につぶれるかと思いました。

避難所となった近くの小学校までは、ほとんどの人が車でなく歩いて移動しておられました。無数の懐中電灯に照らされて、電信柱が大きく左右に揺れ動く姿はとても不気味でした。避難所に行かなかった近所の方は、家に戻るのが恐ろしく、病院の駐車場に車を泊めて一夜を過ごしたとあとから聞きました。

16日朝は、すべての交通機関が止まっていました。JR線、新幹線、熊本空港の被害に伴う航空便、そして橋脚落下に伴う九州自動車道(閉鎖)・・・。

その日は土曜であり、午前中授業の出勤日でした。学校から熊本県内在住の職員・生徒は自宅待機との連絡があり、私は一日自宅にいました。2階のタンスが倒れたのと、書棚の本が片っ端から落ちたこと、それにテレビアンテナが倒れたことのほかにはさしたる被害もなく、また幸いにも私の住む地域は断水がなく、電気も復旧したことから普通に自宅で生活ができました。

けれども、隣近所の家々では瓦が飛んでしまったところも相当あり、テレビで見る震源地付近の益城町や熊本市東部の方々の生活は深刻でした。

高速道路が使えない中、大渋滞の一般国道30kmを移動して、熊本方面から温泉のある玉名市内まで入浴に来られました。また、近くのコンビニエンスストアはどこの店も品切れ状態が続出し、特に飲料水、弁当・パン・カップ麺類の不足は深刻でした。 

しかし、なんといっても不安だったのは、とにかく余震が多いことです。回数もさることながら、かなりの震度がありましたので、家がつぶされたり避難所生活を余儀なくされたりして普通に学習のできない学校の生徒たちにとっては大変だろうと思いました。

 

2.「地震と人間」について授業する

 

さて、私は4月18日(月)に本震後初めて出勤しました。月曜日の1限目の授業といえば、高校3年生の「倫理」です。私は迷いましたが、特別授業「地震と人間」というタイトルでグループワークを行いました。そのときの様子をSNSで発信したところ、「教育ICTリサーチ」さんがブログにまとめてくださいました。以下の記事です。

http://blog.ict-in-education.jp/entry/2016/04/18/171833

ご覧のとおり私の勤務校は県境に位置するので、約40%が熊本県内から、残りの60%は福岡県内、しかも学校のある筑後地区から福岡市内まで広範囲に居住する生徒が通っています。したがって、今回の地震に対する気持ちの温度差があり、グループで話し合いをすることで見えてくるものがありました。特に被災地の熊本県内の生徒が恐怖心からの精神的ダメージを受けているのに対して、他地域の生徒の中にはどこか他人事にしかとらえられない生徒もいたのです。

(1)震災直後の気持ち、(2)周囲の現状、(3)私たちにできることは何か、とグループで話し合いを進めていくにつれ、お互いにたくさんの気づきが発生し、「他人事」から「自分事」への転換とともに、ダメージを受けている生徒も話すことで楽になる作用があったことは確かです。アクティブラーニングの本領発揮といえるかもしれません。いま振り返ればもう少し準備をしておけばよかった面もあるのですが、あのときあの状況でしかできなかった授業だったと思っています。

「倫理」ではギリシャ哲学に始まり、先人たちの思想や哲学、また宗教のあり方を学んでいきます。ときどき、この特別授業を振り返って、人間にとっての本質的な問いと絡め、さらに思索を深めていきたいと思っています。

 

3.熊本市内の学校の状況を知る

 

さて、被災直後からSNSなどを通じて、熊本市内の教師仲間から続々と情報が発信されるようになりました。代表的な例を2つ紹介しておきます。

 

熊本県立第二高等学校は校舎が大きく被災したばかりか、地域の避難所となったために長いこと授業はストップ、教室の復旧は後回しになりました。

今村清寿先生は、地震直後からリーダーシップを発揮した先生です。教職員・在校生・卒業生それぞれの有志とともに被災者の元気な方を募り、「チーム第二」を結成して避難所の炊き出しや物資の配給などさまざまな支援活動にあたられました。

その活動たるや、全国から支援の輪が広がったり、励ましのメッセージが寄せられるなど八面六臂の活躍ぶりで、非常時の学校のあり方を私はずいぶん考えさせられました。

今村さんの強みは常に前向きで明るいこと。めちゃくちゃになった校舎の写真にも「この難局を乗り切るため、みんなで知恵を出して行きましょう」と言葉を添え、生徒はもとより幅広い層の人々と協力し合う姿勢が感動的でした。

 

熊本県立東稜高等学校も同じように被害を受けた学校です。

児玉光先生は、自宅が全・半壊していてもボランティアに参加している生徒に対して、黒板のすみにこう書きました。

「状況は違えど、受けた心の傷は一緒です。支え合って、少しづつ『普通』に戻って行こう!辛かったら、声に出したり、文字で伝えてきてください。友達でも、先生でも、家族でも誰でもいいです。一人で背負う必要はないからな!!」

私が「地震と人間」の授業をした4月18日のSNSには、「卒業生や在校生、クラスの生徒たちがいろんなところでボランティアをしていることを知りました。全員が何らかの形で被災しているにもかかわらず、無私の活動をしていることがとても嬉しい!しばらくは説教しません(笑)しっかり褒めてやろうと思います。」

私は児玉さんの言葉をみて、大泣きしてしまいました。そこに、学校があるからです。そこに、生徒と教師がいるからです。どんなに建物が壊れていても、生徒と教師の絆があれば学校は存在するのだと思い知りました。参りました。

 

4.状況はつづく

 

震災時の学校のありかたとして、いま一つ紹介したいことがあります。

NPO法人カタリバの創立メンバーである今村亮さんは、熊本市の出身です。震災の直後から熊本に帰り、もっとも被害のひどかった熊本市東部、益城町、御船町、西原村、南阿蘇村の学校の被災状況を見て回り、各地の教育委員会と意見交換をされました。その結果、全壊戸率が50%にもなる益城町が圧倒的に被災度が高いと判断し、さらに調査を進めたところ、5月25日段階で益城中学校は断水が続いており、木山中学校は校舎の利用が全面的に不可能ということがわかりました。

今村さんは早速地元の大学生に呼びかけて、放課後の学習支援ボランティア活動を行っておられます。

カタリバは東日本大震災にあたって宮城県女川町の女川向学館、および岩手県大槌町の大槌臨学舎にてコラボスクールを実施、放課後支援などに実績を上げた経験があります。そこでこの地域でもコラボスクールを立ち上げ、(1)放課後等を使った学習支援活動、および、(2)復興・復旧と同時並行しての学校職員の負担を減らすために、通常の学校活動(行事・部活動)の支援を提案されました。

ところが、今回は国や県の資金的な協力が得られていません。

今村さんたちの懸念は、地震によって高校進学をあきらめる生徒が出てくることです。それだけは絶対に避けたいと、経費の目標額を1800万円と算出し、子どもたちの受験まで支援を続けることにして、その全額を募金に頼ることになりました。

ご賛同いただける方は、下記「熊本地震子ども応援募金」までご寄付をお願いいたします。

www.collabo-school.net/donate/kumamoto/

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

前川 修一(まえかわ しゅういち)

明光学園中・高等学校 進路指導部長
インタラクティブな学びの場がどうしたら実現できるか、有効かを、日本史・中学公民のAL授業や進路指導を通じ考えています。平成28年度日本私学教育研究所委託研究員。

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