道徳の特別教科化で求められる「考え、議論する道徳」授業(vol.2) ソーシャルスキルの習得が今の子どもには必要 にしみたか学園三鷹市立第二小学校 荒畑美貴子 主任教諭
ソーシャルスキル・トレーニングを取り入れ、「考え、議論する道徳」授業を実践する、にしみたか学園三鷹市立第二小学校の荒畑美貴子主任教諭。子ども達の本音を引き出し、表面的な模範解答で終わらぬ議論に発展させ、最後には相手の気持ちを尊重しつつ自分の考えを上手に伝える方法を習得させていた。後編では、まず本授業のねらいや各学習場面の目的を解説していただき、ソーシャルスキル・トレーニングを道徳の授業に取り入れる理由についても語っていただいた。
授業者に聞く
従来の道徳教育ではいじめはなくならなかった。この事実を重く受け止めるべき
今日の授業のねらいと、学習活動の工夫
――素晴らしい授業でした。活動の一つ一つがとても斬新でしたし、子ども達の本音をぶつけ合う姿、良い人間関係を築く方法を模索する姿勢に驚かされました。まず授業の冒頭で、ご自身がいじめられた経験を話しましたが、そのねらいは?
荒畑美貴子(敬称略 以下、荒畑)道徳の授業を成り立たせるには、「心を開く」ことが大事。子ども達に心を開かせるために、まず私が心を開いてみせました。自己開示ですね。 今でも私が傷ついていることを伝えて、「優等生ぶって」と批判された側がどんな思いをしているか、何十年経っても泣くほどつらいのだと、子ども達に実感してほしかった。そして真剣に学ぶ空気を作りたかったのです。
――続いて、自作の教材文『ナイトウォーク』を朗読して聞かせました。子ども達はすっかり感情移入し、まるで自分のことのように考えていました。
荒畑今の社会では、このような事態が起きやすい傾向があります。間違ったことは言ってないのに、「優等生的な発言だ」と集団で批判する。自分が努力して這い上がることよりも、他人を批判して引きずり降ろして自分が上がろうとする風潮が、社会全体に蔓延していると感じています。そんな社会の悪い風潮に子ども達が染まるのを防ぐために、今回の授業を行うことにしたのです。
――次に、教材文『ナイトウォーク』の会話部分を交互に演じさせました。初めて見る学習活動でとても新鮮でした。
荒畑ソーシャルスキル・トレーニング(以下、SST)の「ロールプレイ」という手法です。まずは「僕」と「友達」を交互に演じさせ、それぞれの心情を体感させたかったのです。人間って、実際に言われてみないと、感情を理解できないので。
――子ども達から「論破できてスカッとした。優越感を感じた」など、かなり生々しい感想が出てきました。
荒畑「話を遮って場の雰囲気を壊した『僕』が悪い」という意見が出てきたのには、私も驚きました。正直言うと、「話を遮って」のくだりは、何気なく書いたのです。しかし、ここに子どもは食いついた。今の子ども達は場の空気をとても大事にしており、だからその空気を乱す優等生的な発言を嫌うのだと、よくわかりました。
――それぞれの感情を体感させた上で、なぜ「集団での批判が起きるのか」の原因を考えさせる活動では、「僕」にも原因があるという意見が出て来たのにも驚きました。てっきり「友達が悪い」という意見が大勢を占めて、だから友達は謝り、改めるべきだという指導になるのかなと予想していました。
荒畑従来の道徳の授業ならそうなるでしょう。しかし、それでは子どもは変わらないと思うのです。「集団で批判した方が悪い」と一方的に批難するだけでは、この子達の心情は揺さぶられないし、言動も変わらない。優等生を批判する側にも、言い分や本音があります。それを言わせないまま授業を進めても、子どもには不満や反発心が残り、授業ではその場を取り繕って、しおらしい意見を述べたとしても、普段の生活には反映されません。だからここで、両方の視点から原因を考えさせ、本音で意見を述べさせたのです。批判される側にも、「何が原因で批判されるのか」を考えさせたのです。
――そして最後に「次の実行委員会をどんなセリフで始めれば、和解できるか」を考えさせました。子ども達が上っ面の謝罪に終わることなく、お互いが丸く収まるセリフを真剣に考える姿に感動を覚えました。
荒畑今日の授業のねらいは、相手の気持ちを尊重する表現を考え、相互理解するスキルを習得することでした。だからこの最後の活動が今日のメイン。しかし、いきなりこの活動をやらせても、建前論や綺麗事で終わってしまうでしょう。内心は不満があるのに、「謝っとけばいいや」とその場しのぎになってしまうかもしれません。まず「僕」と「友達」の心情を経験し、集団批判が起きた原因を本音で語り合わせた上でこの活動を行ったから、子ども達は自分のことのように真剣に和解策を考えられたのです。
――「攻撃型・受け身型・自己主張型」という三つの伝え方や「作戦ゴリラ※」をヒントとして教えていました。
荒畑これは、「アサーション・トレーニング」というコミュニケーションスキルを高めるための手法です。相手の気持を尊重しつつも、自分の考えを主張する力をつけるためのトレーニングです。
――三つの伝え方や「作戦ゴリラ」を伝えただけで、子ども達の考えが一気に変わったのにも驚きました。こんなに簡単に変わるものですか?
荒畑以前、三つの伝え方を教えたら、子ども達は「私は攻撃型だ!」、「私は受け身型だわ……」と、皆つぶやいて自覚していました。三つの伝え方があると知ることで、まず子ども達は自分の「伝え方」を自覚した。そして自己主張型の良さを理解し、「自己主張型になりたい」と目標を持てた。だから変われたのです。子どもは素直ですから。「伝え方」の分類を教えず「そういう言い方は良くないよ」と叱るだけでは、子どもは自分の言い方のどこに問題があるのか自覚できないし、どう直すべきかの目標も持てないので、言動を改められないのです。
――考えた和解のセリフを皆の前で実際に演じさせたのも、とても斬新に感じました。
荒畑SSTの「リハーサル」という手法です。考えた言動を実際に行ってみて、それでうまくいくかを確認すると共に、お手本として習得させるのがねらいです。
――最後に子ども達が「これからは相手のことを考えて発言したい」など、決意を表明したのが素晴らしかったですね。
荒畑授業で学んだことを普段の生活に活かせるようになってほしいと願っていますので、私も子ども達の感想を聞いて嬉しかったです。
なぜソーシャルスキルを学ぶのか
――今日の授業のねらいは、「相手の気持ちを尊重する表現を考え、相互理解するスキルを習得する」とおっしゃいましたが、「スキルの習得」が道徳の授業の目標とは、従来の道徳とは大きく異なりますね。
荒畑従来の道徳の授業を否定するつもりはありません。偉人の話や教訓的な話を読み解くのも良いと思います。しかし……そういう道徳教育を60年近くもやってきたけど、いじめはなくなりませんでしたよね。この事実を、重く受け止めるべきです。 これまでの道徳授業では、子どもの言動を変えることができませんでした。「思いやりを持とう」とか「正直になろう」とか、頭では理解できても、子どもの人生に反映されていない。そこを何とかしたいと思ったのです。
――そこで、SSTの手法を取り入れたのですか?
荒畑今の子ども達は、いじめや喧嘩や感情のもつれが起きやすい傾向にあると思います。どんな子どもでも、一歩間違うとすぐこのようなことが起こる。原因の一つに、ソーシャルスキルの低下があります。周りとうまくやっていく力が、今の子ども達は決定的に欠けているのです。
――昔の子どもは、そうではなかったと?
荒畑私が若い頃に接していた子ども達は、今の子どもよりずっと“大人”でした。例えば、私が担任していたクラスに、発達障害のある怒りやすい子がいたのです。ドッジボールで負けると、チームメイトに罵声を浴びせ続けるなど、私もどう指導したものか悩んでいました。ところが、子ども達はその子を仲間外れにせず、なだめたり励ましたりしながら、上手に付き合っていました。大人の私よりすごいと感心しました。しかし今は、子どもが本当に“子ども”になってしまっていると感じます。
――なぜそうなってしまったのでしょうか?
荒畑遊びが減ったからでしょう。昔の子どもは、上級生も下級生も一緒になって鬼ごっこやサッカー、ドッジボールなどで遊んでいましたよね。その中で、上級生は下級生を守ってあげたり、公平になるようにハンデやルールを決めたり、自然とソーシャルスキルを身につけていました。その上級生の姿を見て、下級生は見習ったものです。今は、そういう機会が激減しています。実際、私が昔担任したクラスでも、皆で一緒に遊ぶ機会を意図的に増やしたら、いじめが減り、クラスの仲が良くなりました。 もう一つの理由は、お手本となる大人が身近にいなくなったからだと思います。教師や親が、良いソーシャルスキルのお手本を子ども達に見せてあげられていない。だからこそ授業で、良いソーシャルスキルのお手本を見せ、習得させてあげたいのです。
――根本的なことをお聞きします。そもそもソーシャルスキルとは、どういうものでしょうか?
荒畑社会の中で上手に他人と関わり、生きていくために必要なスキルすべてです。例えば……(と、荒畑主任教諭は立ち上がって、校長室のドアをバタンと閉め)、こんな風にドアを乱暴に閉めるのは、周りに良い印象を与えませんよね。がさつな人、乱暴な人という印象を与え、ひいてはそれが人間関係に悪影響を及ぼす危険があります。一方、こうやって……(と、ドアを静かに閉め)、丁寧に閉めると周りに良い印象を与えます。 服装や髪型、ジェスチャー、表情などもそうです。今日授業で習った「相手の気持ちを尊重する表現方法」も、ソーシャルスキルです。つまり、ソーシャルスキルとは他者との「心や身体の距離感」を上手に持つためのスキル、とも言えます。他者と良い心の距離、身体の距離を持てるようになれば、傷つけたり、摩擦を生んだりすることがなくなります。
――ソーシャルスキルを習得すると、無用な摩擦や衝突を防げるのですか?
荒畑以前こんなことがありました。Aさんが教室で椅子の上に立ち上がって騒いでいたのです。それを見ていたBさんが、無言でAさんを椅子の上から引きずり下ろし、喧嘩になりました。騒いでいる子をやめさせたいというBさんの心情は、間違っていません。しかし、無言でいきなり引きずり下ろしたら、トラブルになります。そこで「まず、言葉で注意しよう」とソーシャルスキルを教えることで、同じようなトラブルが起きるのを防げるようになりました。 子どもは素直ですから、とても吸収が早いです。ソーシャルスキルを習得すれば、それが言動する時の規準になる。ソーシャルスキルを手がかりに、自分がどんな言動をすべきか判断できるようになるのです。
――ソーシャルスキルは、すぐ習得できるのでしょうか?
荒畑自転車の乗り方を学ぶのと同じだと、私は考えています。自転車の乗り方を習い始めた頃は、色んなことを意識して乗らざるを得ません。バランスを取りながら、両足でリズムよくペダルを回して等……。しかし慣れてくると、全く意識しなくても自転車に乗れるようになります。ソーシャルスキルもそれと同じで、最初は意識しないとソーシャルスキルを使えませんが、繰り返し練習し、実践することで、意識せずとも自然と振る舞えるようになります。
――これは失礼な質問かもしれませんが……習ったソーシャルスキルを真似できるようにはなったけど、実は心がこもっていない、というようなことにはなりませんか?
荒畑ソーシャルスキルは、知識、技能、気持ちの三つで構成されると考えています。例えば「攻撃型・受け身型・自己主張型」という三つの伝え方があるのを知るのは、知識。「自己主張型」の言い方を考え、表現する力が、技能。そして、相手と自分の両方を尊重していこうと決意し、目標を持って取り組むのが、気持ち。この三つが揃ってこそ、他者と良い関係を築けます。 最初は真似から入ったとしても、繰り返し行っているうちに気持ちがついてきます。逆にいくら気持ちがあっても、知識や技能がなければ他者と良い関係を築くのは難しいです。Aさんを椅子から引きずり下ろしたBさんも、「騒ぐのをやめさせたい」という気持ちはあったけれど、それを伝える知識と技能がなかったがために、喧嘩に発展してしまいました。
――今の話は、次期学習指導要領の三つの柱「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」そして「学びに向かう力・人間性」の関係と、重なる所がありますね。
荒畑「学びに向かう力」という点で言えば、ソーシャルスキルを誰よりも知りたがっているのは、他ならぬ子ども自身です。子ども達は、他者と上手に付き合う方法をとても知りたがっています。ソーシャルスキルを知らないがために、今の子どもはとても苦労しているからです。以前、1年生に「お互いが気持ち良くなる挨拶の仕方」を教えたら、授業後に子ども達は喜々として習ったばかりの挨拶の仕方を実践していました。子どもが苦しんでいるなら、それを解消する方法を教えてあげるのが、教師の役目であり、大人の役目ではないでしょうか。
教師や保護者はどうあるべきなのか
――道徳教育が改革され、「どんな道徳の授業をすればいいのか」と悩んでいる教師は多く、特に若い教師にその傾向が顕著のようです。どうすればいいでしょうか?
荒畑昔ながらの物語を読み解く授業があってもいいと思います。その中で、私が今日やったような授業をたまに取り入れてみてはどうでしょう。まずは私が行ったような授業の型を真似し、やってみること。やってみれば良さを実感できますし、今日の私のように子どもから教わることもたくさんあります。
――荒畑主任教諭の型を真似する際、気をつけるべきことは?
荒畑「両側の視点」で考える学習活動や指導を入れることですね。例えば、何日もお風呂に入らず、ずっと同じ服を着ていて、その不潔さが原因で、いじめられている子がいたとします。そこで教師が「いじめはダメ! いじめている子は反省して、仲良くしなさい!」と指導しても、いじめはなくなりません。隠れていじめるようになるだけです。そもそも、人間関係とは力づくで作れるものじゃないですよね? 私なら、いじめられている子にも「何が原因だと思う?」と考えさせます。不潔さが原因だと自覚させ、そして清潔さを心がけるようにさせれば、いじめられる原因を取り除けます。もちろんいじめていた側にも考えさせます。ロールプレイ等でいじめられる子の心情や辛さを実感させ、「いじめられていた子は、清潔になるよう頑張っている。今度はあなたがいじめないよう頑張る番。そうすれば『Win-Win』になるよね」などと指導します。
――家庭での道徳教育はどうあるべきでしょうか?
荒畑まず子どもとたくさん会話してほしいですね。今、子どもとの会話がすごく少ない家庭が増えています。 そして、これは若い教師にも言えることですが、大人は何でもかんでも子どもより「上」じゃないと威厳を保てないと思いこんでいませんか? 何もかも子どもを上回っていないと、指導やしつけを聞かなくなると思っていませんか? 子どもはすごいですよ。6年生にもなると、私よりも算数が得意な子はいっぱいいます。子どもが優れている点は素直に認めて、子どもに教わればいい。勇気をもって、白旗を上げることも大事です。 その代わり、別の所で「先生すごいな!」「親はすごいな!」と感心してもらえるように頑張ればいい。授業もその一つ。私も、「面白い授業をやることに関しては、まだまだ子どもには負けないぞ!」という気概で頑張ってきました。そうすれば、子どもは大人を尊敬しますし、生きるお手本にします。「頑張ってどんどん私を越えていってね。でも、簡単には越えさせないよ!」という姿勢で、子どもと接すればいいと思います。
――とてもよくわかるお話をありがとうございました。2016年度をもって退職されると伺いましたが、今後はどうされるご予定ですか?
荒畑子どもがソーシャルスキルを習得し、少しでも幸せな人生を送れるよう、ソーシャルスキルを教えてあげたい。それが私の願いです。もしSSTを取り入れた道徳の授業を見てみたい方がいらっしゃいましたら、お気軽に声をおかけください。出前授業でも講演でも、うかがいます!
※「作戦ゴリラ」とは、(ゴ)ごめんねと謝り、(リ)理由も述べ、(ラ)お互いにとってラッキーな提案をすれば「Win-Win」な関係を築きやすいというコミュニケーションのコツ。東京都立矢口特別支援学校主任教諭の川上康則氏のオリジナル実践です。同氏の講演会等で度々紹介されています。
記者の目
今なぜSSTが必要なのか、ソーシャルスキルとはどんな力なのか。荒畑先生はとても丁寧に、例を挙げながら説得力のある言葉で教えてくれた。特に印象に残ったのが、「子ども自身が、ソーシャルスキルを知りたがっている」という言葉だ。子どもが求めているなら、教えてあげるのが大人の役目という話も、とても納得できた。荒畑先生は、学びの場.comの「教育つれづれ日誌」のコーナーでも、教育エッセイを連載されている。ぜひそちらも、ご覧いただきたい。このインタビューではお伝えしきれなかった荒畑先生の教育理念が、たくさん語られている。
取材・文:長井 寛/写真:言美 歩
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