2022.05.23
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

道徳科と国語科の指導の違いを生かした授業展開(後編) 東京学芸⼤学附属⽵早⼩学校 道徳教育研究会「語ルシス」セミナーリポート

主体的・対話的で深い学びを実現する道徳授業づくりを検討する道徳教育研究会「語ルシス」が開催したオンラインセミナー「『ポスト・コロナ時代に対応した道徳授業づくりー道徳授業の普遍と変革ー』道徳科×教科横断的資質・能力×国語科」リポート。前編では、教材「およげないりすさん」を使用した道徳科×国語科の実践提案を通して、道徳科・国語科の特質を見つめ直した。
先が見通せない今の時代、子ども達には答えのない問いを追究し、自分の考えを自分の言葉で表現する力が求められている。その育成には道徳科における「読み取り道徳」からの脱却のみならず、国語科の担う役割も大きい。後編では、教材「泣いた赤おに」を使用した3つの実践発表と、国語科・道徳科それぞれの視点からの講話をリポートする。

道徳科・国語科教材「泣いた赤おに」の3つの実践発表

実践発表1:道徳科(4年生)

愛知県あま市⽴七宝⼩学校教諭 鈴⽊賢⼀氏

愛知県あま市⽴七宝⼩学校教諭の鈴⽊賢⼀氏は、道徳科・国語科に共通する定番教材「泣いた赤おに」の主題を再検討し、道徳科の授業づくりに生かした。

この教材は道徳科・国語科ともに、青おにの赤おにに対する献身的な行為が深く心を打つ物語として、友情を主題としていることが多い。しかし、鈴木氏は作者の浜田廣介と作品について仔細に調べ、教科書とは異なる原作の叙述から、おにと人間との融和、信頼関係を築いていく物語として読むことが必要ではないかと考えた。

この教材解釈を踏まえて、中心項目を公正、公平、社会正義とし、授業のねらいを考案。授業では、まず作品を読んで「おにと人間が仲良く暮らす」という赤おにの本来の望みを押さえた上で、「なぜ、悲しい結末に?」「本当の望みを叶えるには、何が大事なんだろう?」と発問。振り返りでは「お互いに努力することが大事」「自分とは違うからダメだと決めつけるのはよくない」といった、授業のねらいに迫る記述を引き出した。

実践発表2:道徳科・国語科(6年生)

東京都調布市⽴⼋雲台⼩学校教諭 久我隆⼀氏

東京都調布市⽴⼋雲台⼩学校教諭の久我隆⼀氏は、①国語科→②道徳科→③国語科のクロスカリキュラムで「泣いた赤おに」を学ぶ授業を発表。国語科では心情や性格、関係、設定などから人物像をつかむこと、道徳科では「よさ」について考えることに焦点をあて、両者から赤おに像に迫った。

①国語科では、1時間目は教師の範読後に赤おにの心情・性格を表す叙述を見つける活動を行い、2時間目はそれを発表して学級で交流。②道徳科の2時間では、範読後に「赤おにはよいおにだと思いますか?」という問いについて考え、交流していった。赤おにのために自分を犠牲にした青おにの作戦の是非を問う発言が飛び出し、議論は沸騰。赤おにの選択や言動について、友情だけでなく公正、公平にも関わるさまざまな疑問が生まれた。その結果、①国語科の時点ではプラスだった子ども達の赤おにへの印象はマイナスに傾いた。

③国語科では、子ども達の関心が高かったことから、時間を拡大して国語科と道徳科の教材を比較して議論。最後に行ったワークでは多様な赤おに像が浮かび上がり、国語科と道徳科の両方から迫ったからこその成果が見て取れた。

実践発表3:道徳科・国語科(4年生)

埼⽟県和光市⽴第五⼩学校教諭 古⾒豪基氏

埼⽟県和光市⽴第五⼩学校教諭の古⾒豪基氏は、デジタルとアナログを併用した「泣いた赤おに」の道徳授業を提案。①国語科(朝活を活用)→②総合的な学習の時間→③道徳科→④道徳科というカリキュラム構成で実践した。

①国語科では、生活の中での疑問から友情にまつわる問いを発見。②総合的な学習の時間では、その問いをグループで検討し、友情についての問題意識を広げていった。

③道徳科では教材を読んで問いを考え、板書しながら全体での対話を行った。「人、赤おに、青おにが心を通じ合わせるためには?」「青おにが赤おにのためにしたことは友情として成り立つのか?」といった問いからテーマを追究。ここまでに培った生活ベースの価値観と教材の価値観を対照させ、対話に広がりを生み出していた。

④道徳科では、ICTを使って「『友だち』ってどういう人なの?」というテーマについて考え、それぞれの考えを共有。終末にはリフレクションとして授業での学びや気づきをノートに記述した。さらに家庭でもタブレット端末を使ってリフレクションを行い、少数派の意見もみんなで共有して多面的・多角的な学びを実現した。

講話1:道徳科と国語科との共通点、相違点から教科横断的資質・能力を検討する

⼭梨⼤学⼤学院准教授 茅野政徳氏

⼭梨⼤学⼤学院准教授の茅野政徳氏は、「国語科は道徳の多面性・多角性を支え、より実り多き学習にする力がある」という仮説のもとに講話をスタート。まず「およげないりすさん」を、①いくつの場面があり、なぜ場面は変わったのか、②何度も出てくる言葉は何か、③語り手は誰に寄り添っているのか、④登場人物達の特性は何か、⑤どれくらい強調語(誇張表現)が入っているか、という5つの観点で分析し、道徳科に役立つ国語科の理解の仕方について述べた。

例えば、②何度も出てくる言葉。短い物語であるにもかかわらず、この教材には「みんな」という言葉が7回も登場する。そして、この「みんな」の中にりすさんは含まれていない。こうした言葉に着目することで読みを深めることができる。また、カメには物知りなイメージがあるように、私たちにはそれぞれの生き物から思い浮かべる性別や年齢などの固定概念がある。それが④登場人物達の特性で、作者がこれに基づいて登場人物を選んでいることを知っておくと、思考に新たな視点が加わる。

「これらは『形式知(書かれ方・言葉の使い方)』と呼ばれ、内容を支えるものです。この形式知を子ども達に養うことは、道徳科でより多面的・多角的に考え、心情や関係性を理解するのに役立つかもしれません」と茅野氏。また、人の生き方や考え方を知るには読書しかなかった時代とは異なり、動画共有サービスなどのメディアが発達した今、国語科には「これまでの個々の作品の主題を考え、感想を話し合う学習から脱却し、日常の読書に生かせる読みの技術、形式知を養っていくことが必要」であると指摘。「そうすれば国語は価値ある教科として、今後も生き続けられるのではないでしょうか」と訴えた。

もう1つ、国語科が道徳科に資するものとして茅野氏が挙げたのが、表現の仕方だ。茅野氏は⼭梨⼤学⼤学院で行った語彙調査や教員時代の経験などから、子ども達の使える言葉の数はどんどん減っており、「登場人物の行動を読み取れたとしても、それを最適な言葉で表現できない」事態に陥りつつあると警鐘を鳴らした。

では、国語科で子ども達の頭に言葉をたくさん詰め込めばよいかというと、それだけでは問題は解決しない。なぜなら、子ども達が聞いたり読んだりしてわかる語彙は小学校入学時の6千語から、卒業時には2万語、中学生卒業時では3万6千語に増えるものの、日常生活で使う言葉は3千語で事足りてしまうからだ。

「何事もスポンジのように吸収できるこの年代は言葉を増やす絶好のチャンスですが、頭の奥にしまわれていては意味がありません。手前に引き出して語る言葉にしていくことも国語科の使命です。それができれば、道徳科での読み取りや自分の考えを語る際にも役立つでしょう。国語科で身につけた言葉を道徳科でも使っていただき、言葉をより手前に置くようにタッグを組んで歩んでいければ嬉しいです」(茅野氏)

講話2:道徳科としての授業を効果的に展開するー道徳科と国語科との指導の違いに着眼して

東京学芸⼤学⼤学院特任教授 永⽥繁雄氏

東京学芸⼤学⼤学院特任教授の永⽥繁雄氏は、道徳科の授業を効果的に展開するにはどうすればよいのか、道徳科と国語科の指導の違いに着目して解説した。

まず永⽥氏は、「泣いた赤おに」が定番教材として人気がある理由として、自由度の高い「子供から遠い創作教材」、起承転結が明確な「メリハリのある展開」、心を揺さぶる「感動性」、明確な結論が描かれていない「オープンエンド性」を挙げた。一方で、人間の差別の対象がおにに抽象化され、その問題が解決されないままおに同士の友情物語として扱われているという課題もあることを指摘。しかし、それゆえに小学校から中学校、さらには高校と、発達段階に応じて柔軟な展開が可能で、指導の創意工夫が生まれる余地もあるとした。

また永田氏は、道徳科は国語科とは教材のタイプと生かし方が異なるとして、その違いについて次の3点を挙げた。1つ目は、知識の系統性やまとまりなどを生かして主に「単元」を設定するのではなく、テーマを軸に「主題」を設定すること。2つめは、「できる・わかる」に傾かず、自分の問題として考え、自分なりの答えを見つけることを目的とすること。3つ目は、道徳科では教材は自分の生き方を考えるための手掛かりであり、自身を見つめるためのフィルターのようなものとして扱うこと。

「道徳教材ではいろいろな文学作品を数ページに短くして使いますが、それによって作品の設定を生かし、読解の負担を軽減しています。その上で、問題提起的な改作、考えどころの空白化を行う。私は『泣いた赤おに』では、赤おにが青おにを叩く芝居をする場面に『拳が一瞬止まりました』という赤おにの心の迷いを表す一文を入れていました。これによって子どもは一気に自分事として捉え、考えを深めていきます」(永田氏)

続いて、永田氏は多面的思考(主に分析的思考)と多角的思考(主に選択的思考)を行き来し、両者での学びを生かし合うのが道徳授業であるとして、共感・分析的思考(赤おにが涙を流した理由)から選択的思考(自分ならどうするか)に進む2年生の授業と、批判的・選択的思考(赤おに・青おにをどう思うか)から分析的思考(本当の友情とは?)に進む5年生の授業を紹介した。

「こうした学びによって子ども達の自分事化は増幅され、それぞれの納得解を追求していきます。ここで大事なのは、教師が自分の考える価値観に誘導してしまわないように、多様な問いをもち、子どもの問題追求の形に仕立てていくこと。コロナ禍の先の未知の時代を、子ども達は自らハンドルを握って生きていかなければいけません。それに向けて、主体的に生きる力を養うのが道徳の役割。教師には先導者と伴走者のスタンスを使い分け、より後者に力点を置いていくことが求められていると思います」(永田氏)

記者の目

道徳科と国語科の違いはどこにあるのか、それぞれの教科の意義は何か、どのような点に留意すれば「読み取り道徳」「道徳っぽい国語」の授業から脱却できるのか。本セミナーは実践提案・実践紹介、講話を通して、そんな疑問に答える内容となっている。盛りだくさんのプログラムのため紹介することはかなわなかったが、「およげないりすさん」の実践提案後には協議の時間が設けられ、茅野・永田両氏によるコメントや参加者からの質問をもとに熱い議論が繰り広げられていた。ここにも多くの気づきと学びがあり、道徳科・国語科双方の授業づくりに役立てられると感じた。

取材・文:学びの場.com編集部

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop