アクティブラーニングという表現が、「ゆとり教育」とか「確かな学力」「生きる力」といった言葉と同様に、ひとつの大きなうねりとなって教育現場に入り込んできました。
文部科学省の用語集で調べてみると、アクティブラーニングとは、「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、 教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である」とあります。
生活科や総合的な学習の時間が設置されたときにも同じようなことがありましたが、アクティブラーニングという言葉を使うまでもなく、これまでにも学校現場では、子どもたちの主体的な学びを促すための努力が払われてきました。ですから、何を今更と思っている世代もいるのです。しかし、若手にとっては目新しいものと映るのかもしれません。
それが原因だろうというのは推測の域を出ませんが、若手が「アクティブ」という表現を、「進んで働きかける」とか「活動的に学習する」というイメージで捉えているのではないかと思われる節があります。授業中に歩き回って友達に教えたり教わったりすれば、アクティブラーニングだと思い込んでいるような授業を、時々見かけることがあるのです。基礎的な内容を教えることもせず、「さあ、友達と教え合って学習しましょう」という働きかけに、長い間教師を続けてきた私は戸惑うこともあります。
この言葉が使われ始めた背景には、教師がきちんと教えることをしないで、子どもたちに課題を解決するように促す風潮が広がったため、それに対する危機感があったとも言われています。先進的な研究をされている東京大学の市川伸一先生は、「教えて考えさせる」という手法が有効であるとおっしゃっています。私も、教えることは教える、その土台があった上で考えを深めたり広げたりすることが大切なのではないかと思っています。我々がやるべきことの第一歩は、子どもたちが主体的に学ぼうとする姿勢をつくっていくにはどうすればいいのかを考えて授業をすることであり、体験やグループワークなどの手法や形態は、それに付随するものであると思います。
では、実際のところ、アクティブラーニングの意図するところを達成するには、どのように授業を行っていけばいいのでしょうか。
大切なのは、能動的な学びというのは、子ども一人一人の内面の問題だということを常に意識することだと思います。クラス全体を相手にして授業をしていたとしても、個人の内面の動きを把握すべきなのです。授業をする際、私たちは往々にして、クラス全体の動きや集中力やモチベーションの高さを感じることに集中しがちです。しかし、一部の子どもたちが活発に意見を発表していることに満足してしまい、それがクラス全員の姿であると錯覚してしまったとしたら、理解が不十分である子どもを見逃すことになってしまいます。ですから、個人と全体の両方を見るバランスが、とても大切なのです。
先日、子どもたちを小さな魚に喩えて、その魚をどれくらいの池で泳がせればいいのかというイメージを使って、若手に話をしました。子どもを魚に喩えるという失礼を許してもらって、このイメージをもとに話を進めたいと思います。ちなみに、小魚を育てようとしている者を教師に喩えています。
さて、大きなたらいに30匹くらいの小魚を入れておくと、自由に動き回ることができます。そして飼っている者は、それぞれが元気に泳いでいることを把握できます。えさを与えると、小魚が寄ってきますので、食べ損なっているものがいないことがわかります。小魚が主体的に動いたり、えさを食べたりしているという姿として捉えることができます。
しかし、プールのような広い場所に小魚を放っていたらどうでしょうか。自由に泳ぎ回るスペースが広いから、幸せだと言えるでしょうか。飼っている者は、一匹一匹が元気に泳いでいることを確認するのに時間がかかります。見逃してしまう小魚もいるはずです。一生懸命にえさを与えたとしても、それに気付かない小魚もいるでしょう。思いがけず大きな魚がやってきたときに、助け出すことができないかもしれません。
さらに、洗面器のような狭いスペースに詰め込んで、身動きできないようにしてえさを食べさせ続けるとしたらどうでしょう。小魚は、動かなくてもえさをもらうことができますが、自分からえさを見つける力もつかないし、泳力も身につかなくなってしまいます。
では、実際に学校の様子を思い浮かべてみたいと思います。教師は、大切な内容を話すときには、子どもたちを集めて狭いスペースの中で話すことがあります。本の読み聞かせなど、集中力を求められるときにも同様です。一方で、行動のためのグループを作って、公園を探検させるようなこともあります。教育における場の設定は、多種多様なのです。
その中で、子どもたち一人一人が学習の内容を理解し、自ら課題に向かって学習を進めていっているのかどうかを把握していくことが、教師には求められます。さらに、クラスとしての力量を高めていくことも求められるのです。
毎時間の授業で、このような気配りをするためには、経験がものをいいます。先日、大学の先生から話を聞く機会があったのですが、学生は知識があっても、子どもの個性に当てはめて働きかけるのは難しいとおっしゃっていました。頭で考えていることと、実際にやってみることの間には、大きな差があるのです。
授業の準備をきちんと行うことによって心に余裕をもち、授業中には子どもの様子を把握することに意識を向ける努力をしていかなければなりません。そして、授業を振り返るときに、子ども一人一人の様子を思い浮かべるのです。それによって、翌日に向けた授業の準備と同時に、心の準備をするのです。この積み重ねによって、教師としての力量は確実に高まっていきます。
間もなく2学期が始まります。勤務校では来週から後期の補習も再開され、水泳指導も行われます。準備を整え、子どもたち一人一人が楽しく充実した学校生活を送ることができるよう、がんばっていこうと思っています。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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