2016.05.23
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再・指導言を鍛える

大阪府公立小学校教諭 松森 靖行

  みなさん、こんにちは。

 4月が終わり、5月も後半を迎えようとしています。クラスの様子、授業の様子はいかがでしょうか?夏休みまでの計画をしっかりと立てて、無事に1学期を終えたいものですね。

 さて、前回は「一教一心」「一育一心」について、前々回は若手の自己研修について話をしました。この2つを合体させて、今回からいろいろな教育実践や理論めいたことについても紹介したいと思います。

 今回は、「指導言を鍛える」というお話です。このコーナーでも前にお話したことと被ることがあるかもしれませんが、それくらい大切なことと私は考えています。

 どんなによい教材、どんなによい板書、どんなによい先生で授業をしたとしても、教師の「指導言」が優れたものでなくては、よい「授業」「育ち」にはなりません。「指導言」とは、一言で言えば、教師からの「発問」「指示」「説明」です。つまり、授業中に教師から発せられる言葉のほとんどが「指導言」なのです。「指導言」以外には、「フォローする言葉」(ほめ言葉など)があります。

 よく、子どもたちが授業についていけていない、子どもたちが授業に集中できていない、という状況を見ることがあります。そして、「子どもたちに問題があるのでは」と考える先生方も見た事があります。しかし、子どもたちが授業についていけていないのではなくて、「教師が子どもに合わせていない」のです。子どもたちに合わせた指導言を使っていないから、「子どもたちが授業についていけなかった」「子どもたちが授業に集中できていない」という状況に陥るのです。

 指導言には、「発問」「指示」「説明」があると書きました。今回は、「発問」について述べていきます。「発問」は、「ゆさぶり」と私は考えています。私が神様と崇めている有田和正先生の教えです。子どもたちの思考を「ゆさぶる」ほど考えさせる「発問」を考えることが必要です。「ゆさぶり」には、3種類あると私は考えています。(これはあくまで私の考えです)

 まず、授業の最初に、つまり導入での「大きなゆさぶり」。これが授業の全てを支配すると言っても過言ではありません。そして、授業の要所要所での質問形式での「小さなゆさぶり」。最後に、まとめ的な「締めのゆさぶり」です。有田先生は、授業を「オープンエンド」(まとめ的なものは行わずに、謎を残して終わる方法)も提唱されています。私も「オープンエンド」も意識していますが、「まとめ的」なものをしながら、「オープンエンド」をするようにしています。これについては、また今度・・・。

 授業の導入での「大きなゆさぶり」です。現在担任をしている6年生の社会科での授業の様子についてお話をします。6年生の社会科は歴史学習を最初に行います。縄文時代から弥生時代、古墳時代へと進んでいきます。

 一般的な授業の流れ方は、「縄文時代は狩猟採集生活で、争いもなく平和で協力的だった。米づくりが伝わり、土地や水の争いが起こり、大きなくにができ、争いが絶えなかったのが弥生時代。くにが大きくなり、くにの「大王」等が、権力の象徴を表すために作らせたのが古墳。」という流れで授業が行われます。そして、その途中で調べ学習を行い、発表させ、まとめさせていきます。しかし、これでおもしろいでしょうか。興味を全員が感じるでしょうか。子どもたちの「思考」が「ゆさぶられる」でしょうか。

 私は次のように授業の流れを考えました。ポイントは、縄文時代から弥生時代へのつなぎです。縄文時代について学習した後、弥生時代の争いをしている場面の絵を提示します。すると子どもたちは、「平和だったのにどうして?」と疑問をもち始めます。ここで、すでに「ゆさぶり」なのです。その絵の中には、「水田」が描かれています。「縄文時代の絵とちがうところはどこかな?」ここでも「ゆさぶり」です。子どもたちは一生懸命に探します。たくさんの考えの発表の中に、「米をつくっている」とう意見が出てきます。急に出てきた米にびっくりの子どもたち。そこで、米の伝来について話をします。前述した授業の流れより、何倍も子どもたちは食いついてきます。そこで、弥生時代の米づくりの絵を提示します。「どうして米づくりをしていたのに争いが起こったのだろう。」ここまでくれば、子どもたちは、考えたり、考えを発表したりしたくてうずうずしています。子どもたちが全員授業に食いつてきます。(実際、ここで授業が終わり、次の時間も社会がしたいとアンコールがあったほどでした。)もう、子どもたちから、資料集で調べ始めたり、班で話し合いを始めたりしていました。何度も担任の「指導言」で「思考」を「ゆさぶられた」結果、こうなってしまいました(笑)。

 ここでの「大きなゆさぶり」は、「争っている様子の絵を提示したこと」です。言語化したものはありません。子どもたちの様子を考慮し、どのようにしたらより良い「指導言」になるか、考え抜いた結果、こうなりました。

 「指導言」の「ゆさぶり」のポイントは、『子どもが、「あれっ」と思うもの』『より短い、言葉や動作で』の2つです。

 「指導言」を考える、「指導言」を教師自体が鍛えることは、子どもたちへの教師の最大の「思いやり」です。私は、「指導言」を考える時に、「だれでも分かるように」「特別支援の観点を入れて」考えています。これも、「一教一心」「一育一心」、「指導言」の中に、「魂」を入れて考えるということなのだと思います。このような力は、すぐには身につきません。私も17年目ですが、まだまだです。やはり、日々の努力なのです。

 次回は、「小さなゆさぶり」について話をしていきます。

 それでは。 

松森 靖行(まつもり やすゆき)

大阪府公立小学校教諭
休日には全国の教員セミナーに講師・受講者として参加、仲間と切磋琢磨しています。2014年度は大阪府の教員となり、若手教員研修を担当。若手の皆さんと一緒に学び直しをしています。

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