かつてクラス担任だった頃、生徒とのコミュニケーションを図る意味で、毎日欠かさずやっていたことが2つあります。「学級通信」の発行と、生徒と交わす「交換ノート」です。
先日、本棚を整理していて、初めて担任を持ったクラスの生徒と交わした交換ノートに関する、私自身の記録(メモ)が出てきました。実施する中で感じたことや生徒・クラスの変化など、交換ノートを取り入れた経過について、自分がどう考えていたかが手に取るようにわかる内容でした。
読みながら、当時とは学校やクラスのありよう、生徒の環境は大きく変わってきましたが、根底に流れる ”担任道” みたいなものは共通するんじゃないか、あるいはICTを利用した ”現代版交換ノート” ができるんじゃないか・・・と強く感じ、改めて当時のことを振り返り、整理しておきたいと思うに至りました。
今回と次回の2回シリーズに分けて、ここで紹介していきます。
きっかけは生徒同士の「手紙交換」
クラスづくりを考えていくとき、どんな方法でそれを行うにしても、常に念頭に置いておかなければならないこと。それは、生徒と担任の「心のつながり」だろうと思います。どうしたらそれができるのか、新学期から初めて担任を持つことになった私にとって大きな悩みでした。
そんなとき、ふと、生徒同士がノートの切れ端に短い手紙を書き、それを交換している姿が目にとまりました。これはいけるんじゃないか・・・。直感でそう思った私は、あまり深く考えず、それを生徒とのやりとりに取り入れてみることにしました。
そして、入学式後の学級開きの中でクラスづくりの方針について話したあと、こんな言葉を付け加えました。
《ボクは、このクラスをホンネで語り合える場にしたい。そのためには、ボクと皆さん一人ひとりが、少しでもお互いのことを知る必要があるだろう。高校生になって・・・と思うかもしれないが、今日からボクと「交換ノート」をしていこう。自分の好きなノートを1冊用意してほしい。そしてそこに、どんなことでもいい、学校でのこと、家でのこと、とにかく自分の思ったこと、感じたことをそのまま書いて、ボクに出してほしい。その日のうちに返事を書いて返すから・・・。》
いささか、キョトンとした反応だった生徒たちでしたが、翌日、朝のホームルームでノートを集めたところ、全員がノートを準備し、思い思いの言葉を綴ってきてくれました。多い生徒で1ページ、少ない生徒で1行と文章量はいろいろでしたが、それも生徒の姿を物語っているようで、興味深いものでした。
内容的には、やはりこれからの高校生活に対する不安がほとんどで、私は返事を書き込みながら、今度書きやすいようにと、いくつかの質問を付け加える配慮をしました。
帰りのホームルームで教室にこのノートを持参し、明日は自己紹介のつもりでもう少し自分自身のことを書いてくるように・・・と言い添えて返却しました。すると、全員の生徒がすぐにノートを開き、書いてある私の返事を読み始めたのです。この調子だと、なんとか軌道に乗るかもしれない。まずは順調な滑り出しでした。
ノートを出さなくなった生徒
ところが、日が経つにつれていくつかの問題点が出てきました。まずその一つは、ノートを出さない生徒が出てきたことです。2週間目くらいから、5~6名のノートがまったく出なくなってしまいました。
もしかすると、毎日書くことが無理なのかとも思い、以後、20数人ずつ2グループに分け、一日おきに出す形に改めました。これは、私にとっても返事を書くノートの分量が半分になるという負担減につながり、その分、ゆっくり返事を書ける余裕がうまれました。
にもかかわらず、依然として3名がまったくノートを出してくれません。理由を聞くと「ダルい」「めんどうだ」「こんなことして何になるの?」といった調子です。入学当初から、学校生活全般においていろいろと指導が必要な生徒だったということもあり、交換ノート以前の問題として対処していくことにしました。
私が採った方法は、交換ノートを担任からの一方的な「手渡しノート」の形にし、直接、面と向かって話すだけの指導では不十分な点を補っていくことでした。折を見て、3名の生徒にノートを書き続けました。しかし、結果的に生徒の心を変えることはできませんでした。
《私にとって、この1年間の学校生活は何のためだったのかよくわからなかった。何かをしなければならないのに何をすればいいのかわからず、やったところで満足にできない。何もかもわからない間に1年間が過ぎてしまった・・・。》
3人のうちの1人が書き残した一文です。彼女たちは学校生活の中に自分自身の存在を見出せないまま、高校1年生終了時点で去って行ってしまいました。
ですが、まったく無駄だったわけではないことが、後日わかりました。届いた手紙の中に、こんなメッセージが添えられていました。
《交換ノートのおかげで、先生の考えやおっしゃりたいことはよくわかりました。それに応えたい自分がいなかったわけではありません。でも、それでも自分自身がつかめなかったのです。》
かろうじて、心のつながりだけは持てたようでした。
しかし、ノート上での心のつながりは持てても、日常のクラス(ホームルーム)の実生活において、彼女たちをサポートしきれなかったのでは、結果的に何もなっていません。 当時のメモには「悔しい」という文字が並んでいますが、それは私の至らなさであって、クラス運営としては失敗です。
まだまだ自分は未熟だなぁ・・・。そんな気持ちばかりが脳裏を巡っていました。
(続きは次回へ・・・)

安居 長敏(やすい ながとし)
滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。
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