愉しい授業を創る 「お祭り」を生かした生活科・総合的な学習編
秋と言えば、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。そして、収穫の秋を迎え、各地でお祭りが行われます。この「お祭り」を素材とした学習が、学校で展開されている学校も少なくないでしょう。
生活科だけでなく、生活単元学習や総合的な学習で取り上げられている例を見ることもあります。
今回は、この「お祭り」をキーワード に「愉しい授業」を考えてみたいと思います。
浜松学院大学地域共創学部地域子ども教育学科 教授 川島 隆
子どもたちのお祭りを訪れてみると……
つれづれ日誌の執筆も5年目を迎えました。初心を忘れずに、皆さんと共に、授業や学校、園、教育について考えていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、私が小学校の研修主任をしていた頃のことです。
3週間にわたって、勤務していた小学校の地区のお祭りを訪れました。
当時、1、2年生では、生活科で「あったらいいな、こんな祭り」という活動を進めていました。
そこでは、積極的に地区の祭りにかかわっていくよう、子どもたちに働きかけをしています。
そこで、「実際にどんなお祭りをしているのかな?」と思い、お祭りの様子をグルグルと見て回ったのです。
それぞれの地区で出会った子どもたち。
高学年の子どもたちからは「爆竹、やってないでねえ」という言葉がありました。
私は内心、「補導にきたのでも、監視しにきたのでもないけど」と思ったものです。
一方、地区の方々は、大変歓迎してくれて、3つの地区では、豚汁をご馳走になりました。それぞれに味わいのある「豚汁」でした。
2時間以上にも及ぶお祭りめぐりの中で、子どもたちはお祭りを楽しんでいるようでした。
学校、教室で見る子どもたちの姿とは異なる様子を見ることもできました。
むしろ、教室での姿こそ、彼らの一部であり、生活はそれぞれの家庭で、地域で営まれているのだということを、あらためて実感したのでした。
中でも印象に残っているお祭りのシーン
その中で、今でも心に残っているのは、A地区とB地区のお祭りです。
両地区では、ここ数年、互いに交流する場をもっているそうで、この日はA地区の公民館前に、2つの地区の人たちが屋台を引きながら集まりました。
そして、お囃子や踊りを披露しあい、練りをし、大いに盛り上がりました。およそ1時間半、夜9時近くまで行われました。
見所はたくさんありましたが、中でも目を引いたのは、A地区のCさん(4年)とDさん(5年)による「おかめ・ひょっとこ」踊りでした。
あれだけの観衆の中で踊るのは、大したものだと感心しました。
踊った後、大きな拍手をもらい、二人も満足したのではないかと思います。
二人に直接、心境をインタビューしてみたい、そんな気にもなりました。
それはなぜか。
きっと、その二人に限らず、多くの子どもたちがお祭りを「愉しみ」ながら、何かが変わったんじゃないかと思えたからです。
自覚的ではないのかもしれません。
でも、変わるぐらいの経験ができる「お祭り」だったと思えたのでした。
子どもたちの楽しむお祭りを見てあらためて感じ、考えこと
これらのお祭りを見ながら感じたことは、子どもたちはそれぞれの地区でお祭りを経験しながら、何を学んでいるのかな、ということでした。
きっと、それぞれに心に刻まれた何かがきっとあるだろう。
そして、もしかしたら、その学びは今、結果が出るものではないかもしれない。
私自身、子どもたちが祭りにかかわる姿を目で見て肌で感じ、少しだけ子どもに近づけたような気がしたのでした。
生活科では、このお祭りをどのように結びつけていくかを考えました。
お祭りという「素材」と「子ども」をどのようにとらえるかが、まず教師に課せられた課題と言えるでしょう。
生活科・総合について、考えること
さて、2学期に各学年・学級で展開される生活科・総合的な学習について考えてみます。
まず、「素材」ありきではなく、「素材」が学習対象としてふさわしいかどうかを検討します。それをするには、主役である「子ども」なくしては、考えられません。
「子どもの実態」は、どうなのか?
そして、教師は何を願いとしてもっているのか?
総合的な学習を展開するにあたっては、「素材」と「子ども」と「教師の願い」、さらに「環境」や「方策」、それらをトータルで考えていくことが必要です。
もちろん、中心におくのは、「子ども」です。
教科書が存在せず、「内容」や「方法」について、教師の手に委ねられている総合的な学習ですが、今一度、立ち止まって考えてみたいことだと思います。
夏休みの研修会で、印象に残る3つのお話
当時の夏休みに参加したある研修会で、総合的な学習について、大変興味深いお話がありました。
その中から、2つを綴ってみたいと思います。
カリキュラムが固まってくると
一つ目は、次のようなお話でした。
「カリキュラムが固まってくると、それをこなすだけになってしまう。やらせっ放しになってしまう(子どもの学びに目を向けたいものです)」
「子どもが何を学んだか、何が育ったかきちんと見取る。これが総合で大切にしたいことである」
いずれも、今に通じるお話だと思います。
「〇年生の2学期は、これをやればいいんだよね。最初は、…」
「昨年やった〇〇先生も、こんなふうにやっていたし……」
そんなふうにして、始まっていく単元では、目の前の子どもがおきざりになっています。
また、子どもの見取りは、とっても大事ですが、見取って終わってはいけません。
近年、企業モデルの一つとして採用されている「OODA(ウーダ)ループ」の考え方が適用できるんじゃないかと思うのです。
「OODA(ウーダ)ループ」とは、
Observe(観察) → Orient(状況判断) → Decide(意思決定) → Act(行動)
という4つのプロセスを実行した結果について「ふりかえる」(Loop)ことまでを含めた思考法です。
変化の激しい時代や環境にあって、適応しやすい意思決定の方法だと考えられているのです。
子どもの動きや表情、つぶやきや仕草を細やかに見取ること、そこから状況を判断しつつ、教師がアクションを起こしていくこと。
「子どもを見る」ということを、一つの出発点に考えていきたいと思うのでした。
学校でも、子どもの見取りを次なるアクションにつなげていくのは、授業はもちろんですが、教育課程の修正や編成にも生かせるのではないかと思います。
ファーストフード的授業
また、2つめに、こんな話もしてくださいました。
それは、「ファーストフード的授業」です。
「チーン」とやればすぐ食べられる。
とっても便利ですが、手はかかっていません。
とりあえず、出来合いのもので腹を満たそうというのがファーストフード的発想、そんな話でした。
これまでのカリキュラムをなぞるような授業では、教師の本気は伝わらず、子どもも本気になりません。
一方で、教師が本気で創った授業は、子どもに伝わり、響き、動かすものになります。「愉しい授業」の大切な要素の一つといえるんじゃないかと思います。
生活科を含めて、総合的な学習は地域素材をどう調理するかにかかっています。
子どもに合わせた味付けができるのは、担任ならではの腕の見せ所です。
教師が本気で創ろうとする授業にこそ、愉しい授業の原点があるように思います。
むすびに
お祭りから始まった今回のお話。
脱線してしまったところもありますが、お祭りのように地域の文化や歴史が詰まった行事を、子どもたちはそれぞれに経験してきています。
地域で、家庭で培ってきたものをよく見極め、「楽をしないで」「手抜きをしないで」、「愉しい」授業づくりに取り組んでいきたいと思います。いかがでしょうか。

川島 隆(かわしま たかし)
浜松学院大学地域共創学部地域子ども教育学科 教授
2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。
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