2024.12.12
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学級の文化(その2)

その1と合わせてお読みください!

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。

前回、「学級の文化 その1」ということで、辞書や論文から考えたことをいくつか述べました。
学級文化というのは、クラスに流れる価値意識や規範、行動様式であり、それはそのクラス固有のものであり、だんだんと集団のなかで(あえて訓練、養殖、栽培という言葉を避けるなら)醸成されるものであること。

集団との関係を築くということを考えた時に、どうしても自分はそれぞれの個との関係の集積としてしか見られていなかったんじゃないか。30人学級で言えば、「30人集団と教師の関係」を「1人と教師の関係×30」としてしか捉えられていなかったんじゃないか、という自分への疑念。
今回は「その2」として、それらのことを受けて自分なりに教室で目の前の子供たちとの関わりの中で考えていることを述べていきます。

同調する力学

学級の文化をつくるということを考えた時に、僕の頭の中に思い浮かぶ言葉がいくつかあります。それは「同調圧力」です。
クラスに流れる価値意識や規範、行動様式というものは、その集団の中ではこうあるべき、という同調圧力を生み出します。

仮にAさんを周りのみんなが無視するとき、それに同調しないと今度は自分が無視されてしまうのではないか・・・という恐れから自分の行動が規定されるということも残念ながらあります。自分が本当にそうしたいと思っているわけではないのに、それに流されてしまうということですね。
また給食の例にして考えてみると、量を食べられる子と、どうしても食が細い子がいます。学級の中で、給食を作ってくださる方に感謝をもつということは大切なことだけれど、「一人分としてこれくらいの量はみんなが食べなければいけない」という同調圧力が働けば、辛い思いをする子も当然生まれます。

ヒエラルキーが高い存在や多数派が文化を作り、ヒエラルキーの低い存在や少数派が抑圧されてしまうという状況。このように同調圧力と言うとネガティブな印象を持つことが多いのではないでしょうか。
ただ、教室での子どもたちを見ていると、同調圧力というより同調「揚力」とでもいうような現象をそこに認めることがあります。

例えば授業の場面で言えば、思考を愉しみノートに自分の考えを書く量というものは、一緒に学ぶ仲間にものすごく影響を受けます。学び合う仲間のノートを読むと「自分にはないこんな考え方ができていてすごい」「一面的にではなく多面的に立体的に考えを創るとこれくらいの量書けるんだ…!」という刺激を受けます。そういう刺激を継続的に得て、自分の思考に落とし込んでいくときに、断片的、一面的にしか思考を言語化できなかった子の言葉はどんどん豊かになり見違えるようになっていきます。「思考をこんなふうに言語化できるってかっこいい」という雰囲気が同調「揚力」となって子供たちの力を押し上げていきます。もちろん、裏を返せば「なんかあの人たち複雑で小難しいこと言ってるよね」と腐すような仲間で群れれば、その集団の思考力はどんどん痩せ細っていくということです。

集団の文化を醸成するというときに、いかにしてそのような同調「揚力」を生み出すことができるのか、ということに日々試行錯誤しています。どんな集団にも通用する「これ」というハウツーは無いですもんね。

貢献の呪い

もう一つ、キーワードとしてあげたいのは「貢献」です。
学級や集団という場にいるときに、そこで場や他者に貢献するということはとても大切な視点だと思います。「働かざるもの食うべからず」ではないですけれど、やっぱり人からしてもらい奪うばかりのテイカーだと、その場に対して好ましくない歪みを生み出してしまうのではないかと思います。多様性とか人それぞれという言葉を盾にしてテイカーで居続けよう、人から搾取し続けようとするのは、僕は好きではありません。何らかの貢献ができる人、ギフトを送れる人、ギヴァーでありたいと思っています。

ただ、そのギヴァーであるということについても、行き過ぎると「人から感謝されないと不安」という感情を抱いてしまったり、自分がこうしたいということを忘れて他者の物差しでばかり気にしてしまったり、ということになりかねません。自分は果たして貢献できているのだろうか、とビクビクオドオドして、他人の顔色を伺う。僕はそれを「貢献の呪いにかかっている状態」と捉えています。そこにはもう、誰かにギブする喜びみたいなものは失われています。(教師というのは、「してあげる」ということに慣れ、「してもらう」ということを恥だと思う思考様式を身に付けてしまいやすい職業なのかな…と最近考えています。)

クラスで子どもと集団を創っていくときに、「テイカーに留まることなく、貢献の呪いに陥ることのない状態」をどのように目指せばいいのか。そこについてもまた、試行錯誤しています。

一人一人との関係を重視しつつ、その集団の中に立ち上がっている雰囲気を見る。接写レンズと望遠レンズを切り替えながら、学級の文化というものと向き合っていこうと思っている今日この頃です。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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