先生にとっての何だかとてもたいせつなもの 先生の「くちぐせ」それがもしかしたらその子の乗り越える力となるのかもということ
ふさぎこんでいたその子が再び動き出したとき、ちらっと「○○○○○」と小さくつぶやいたのが私には聞こえました。
なにやらよく聞く、いやよくつぶやいてしまうその言葉。
あれれ、もしかして私の「くちぐせ」を聞いていたのかなと思ったのです。
静岡市立中島小学校教諭・公認心理師 渡邊 満昭
新学期のやる気を支えるためには
新学期は、心機一転だれもが今年こそとはと、はりきる気持ちを持つのではと思います。
この仕事も継続というよりは、毎年一新の部分が大きいなと私には思えたので飽きっぽくても続けることができたのだと思います。
とはいえ毎年の課題は、心機一転のチャンスが授けてくれた子どもたちのせっかくのやる気を、いかに軌道に乗るように支援するのかというところです。5月6月はそのあたり、いろいろな表れが見えてくる気がします。
現実は甘くないです。やる気があっても昨年までの積み重ねが不足していることは明らかだったりします。年度の初めの高揚感が収まりつつあるときに、学力や人との関係でちょっとした困難さにぶつかると、やる気が失せたり低空飛行にもどったりすることは多々ありそうです。
自分の期待通りに進まないことも多いでしょう。「学校へ行きたくない」という声を聞くのも、経験上この頃から増えてくるように思います。
だから先生はきっとこの時期、学習の方法を工夫して意欲の定着を図ったり、いくつかの学校行事等を配して「チャレンジの機会は決して一度だけではないよ」と示したりするのだといえるのかもしれません。日々の学習や年間計画上の行事の配置に、やる気を維持発展させるためのデザインが盛り込まれていたりするといいなと思ったりします。
先生の思い出とくちぐせ
ただ目の前の子どもたちはもっともっとちいさなサポートで、実は現実を受け入れたり乗り越えたりしながら成長していくものかなとも思います。「先生のくちぐせ」ももしかしたら大切な要素かもしれないと思うようになりました。
なぜかというとメディアでいろいろな方々が、自分の先生を語るとき、「○○が口癖でした」とかなりの確率でコメントしているのではと思ったのです。
もちろんインタビュアーの方が聞いているのかもしれませんが、それはそれで、インタビュアー自身にも思い当たることがあるということになります。
くちぐせなので、望ましいものもちょっと……というものもあるのでしょう。言いたくて言っているわけでもないかもしれません。だから気をつけようというのではなく自然体で良いのだと私は思っています。それこそ先生の生き様を伝えるものなのではないでしょうか。
くちぐせ まあいいやの効果
さてその子が口ずさんでいたのは「まあいいや」でした。そしてその子はいつもの様子にもどっていきました。私からはあえて言葉をかけることはしませんでした。
いろいろ試みても難しい時、そのことはそのことにして、次のことに目を向ける姿勢があっても良いときもあるのだと思います。一人でこうした切り替えができることも、学校で学べる大切なことだと思うのです。
「まあいいか」が私の口癖なのかはわかりません。ですがどうやっても難しいとき「でも、まあいいか」と言っているようです(子どもたち曰く)。
学校の日常はそれなりに計画を立ててもいろいろなことがあるので、その通りにならない事もしばしばです。だから大局を見つつも片目をつぶって、それでも前向きに乗り越えていけたらと思うこともありますから。
「まあいいか」ということばをちょっとつぶやき自分で聞き直すと、なぜか少し落ち着き次の一手を考え始める自分がいます。だから、もしかしたら子どもたちを前にしていてもその言葉ばかり言っているのではとちょっと心配になります。
ですが、大学の恩師も研究で行き詰まるときはそうつぶやいていたので、いつのまにか私も口にするようになったのでした。そうやって先生は導いてくれたことを私は知っています。
くちぐせを語ってもらえること
この文をお読みくださった皆様の中にも、「先生のくちぐせは○○○でしたね」と言われたことのある方がいらっしゃるのではないでしょうか。先生方それぞれに思い浮かぶ自分の「くちぐせ」があるのではないでようか。それは座右の銘のようなものから、日常のちょっとした切り替えのことばまで様々だと思います。
どのようなエピソードがあるにせよ、それはその方なりをあらわすことばとして、その子には受け止めてもらえたのでしょう。
その子が出会った目の前の状況に、ぴったりだったことばなのだと思います。しかもくちぐせですから、シャワーのように毎日耳にするのかもしれませんね。
そしてその子も実際にそのことばを使って、少しずつでも次々にやってくる現実を乗り越え意欲を保つことができたからこそ、印象深く残ったのではないでしょうか。
そう考えると、今日もつぶやく「くちぐせ」が大切なものに思えてくるから不思議です。

渡邊 満昭(わたなべ みつあき)
静岡市立中島小学校教諭・公認心理師・学校心理士・環境教育インタープリター・森林セラピスト
いつの間にか、小中学校全学年+特別支援学級+特別支援学校+通級指導教室での担任を経験し、生徒指導主任+特別支援教育コーディネーター+教育相談担当経験も10年を超えていました。すると担任を離れたとたんに何かを忘れてしまって、担任に戻ってみると忘れていたことに気がつくということがたびたびありました。それはうまく言えないけど何だかとても大切なもの。先生を続けていくための糧のようなもの。
その大切なものについて、自分の実践と合わせお伝えしていこうと思います。
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