2024.03.14
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「それは他の人には真似できない」は即ち、学ぶ価値がないということなのか?(後編)

はじめての後編!

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。
前編に引き続き、「『それは他の人には真似できない』は即ち、学ぶ価値がないということなのか」という問いについて考えていきます。
前編では、「明日からすぐ使える系」のものが持て囃される理由を、

①受け手の時間がない
②受け手が疲弊している
③「明日からすぐ使える系」は受け手にとっても送り手にとっても負担が少ない

の三つに整理しました。
受け手には時間がなく、疲弊している状況があります。受け手にとっても、送り手にとっても、インスタントに役立つものの方が負担が少なく、充実感も得られる。語弊を恐れずに言えば、多くの受け手が「おかゆ」でないと受け付けられなくなっている。
そのような状況について、理解はできるけれど、個人的に納得はできない、ということを申し上げました。

で、後編です。

すぐ役立つものは、すぐ役立たなくなる

私が納得できない理由についても、3つの見方から説明します。

①すぐ真似できることをかき集めた人に魅力はあるのか?
②本当に「真似」できているのか?
③学ぶとは、変わることではなかったか?

では、まず①すぐ真似できることをかき集めた人に魅力はあるのか?についてです。
すぐ真似できることをかき集めた人に全く魅力がない、というわけではない、とは思います。
ただし、前編でも申し上げたように、時間がなく、疲弊感漂う状況において、すぐ真似できることに人々が「殺到」しています。すぐ真似できることを、多くの人が学べば、多くの人のやることが似通ってきます。インプットが似通ってくるわけですから、そこからアウトプットされることも多少の誤差こそあれ、だいたい似通ってきてしまう(特にインプットがインスタントなものであればあるほど、アウトプットは似通っていきますよね)。それは、魅力がないとは言えないかもしれないけれど、「面白い」とも言えないですよね。

次に、②本当に「真似」できているのか、についてです。
先ほど、多くの受け手が「おかゆ」しか受け付けられなくなっている、という例を挙げました。時間がなくて疲弊している人でも、食べやすく、理解しやすく、消化しやすいものが受け入れられる傾向にあるという話です。
問題はその食べ方で、みんなそれを急いで掻き込んでしまっている印象があります。食べ方が非常に似通っていて、そこに「このおかゆって、梅干しポンって入れたらさらに美味しいんじゃないか」という工夫があまりない。(これはあくまでも、「俺はとりあえず何にでもマヨネーズかける」とかそういう話ではなくて、「このおかゆ」をより美味しく食べるには今回梅干しか、海苔か、はたまたピータンか、という「おかゆ」に対するリスペクトを示した上での話です)

ちょっと話が逸れてしまっていますけれど、おかゆを急いで掻き込んでいるかぎり、「表面上」のことしか真似できません。「なぜこういう『おかゆ』が生まれたのか、そこにどんな想いがあるのか」とか、「自分のクラスの状況に当てはめて、さらにこう工夫してみたらもっと効果的なのではないか」という疑問や仮説をもって味わわないと、真似もなにもないのではないか、というのが私の意見です。表面上真似できたとしても、やっぱりそれははりぼてで、脆いものになってしまうと思います。

最後に、③学ぶとは、変わることではなかったか?についてです。
学ぶということの意味にはさまざまなものがあると思うのですが、自分の中の何かが組み換えられて、見えるものの意味がそれまでとは変わったり、自分の行為が変わったりすることが、一番大切なことなのではないかと私は思っています。子供にも、そのような学びが起こる学びの場や授業を用意したい。学ぶというのは、自分の中にそれまでなかったものを掴まえに行く作業であると、授業のなかで体感してもらえたら、と思い準備しています。

しかし、我々は自分の中に既にあるものとの繋がりがあること、今やっていることの延長線上にしか、具体的なイメージをもつことができません。今自分の中にないものは、今の自分ではうまく思い描けない。だから、今の自分では理解できないものに対して「これは自分にとって学ぶ価値のあるものだ」とはなかなか構造的に感じられないのかもしれない。ですから、そのような構造を打破して、今はまだわからないけれど「これは自分にとって大切な学びになるんじゃないか」とワクワクしたり、「ピンとくる」ことができるのは、実はとても大切な力なのではないでしょうか。その上でだんだん「自分にとっての学びの価値」も明らかになっていくのかもしれません。

すぐ役立つものは、すぐ役立たなくなります。
「それは他の人には真似できない」ものから時間をかけて学ぶことで、「自分でつくりあげる」ものを生み出すことができるのではないでしょうか。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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