2024.02.26
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先生にとっての何だかとても大切なこと マジカルフレーズ「そうなんだ」の効用

学校を後にして帰宅するとき、心がどっと疲れた一日の時もあれば、何だかぽかぽか・ウキウキの日もありますよね。私たちの学校での日常は、何十、何百のちいさな確認や判断、選択の連続です。子どもたちからの問いかけも多いと思います。いつも自覚しているわけではありませんが、その一つ一つに子どもたち一人一人の安全・安心と成長が待っていると考えるからこそ、耳を傾けて向かい合っているわけなのです。とはいえ、答えるにしても私たちのエネルギーにはやっぱり限りもあります。 今日はその問いかけにどう答えるのかのお話です。

静岡市立中島小学校教諭・公認心理師 渡邊 満昭

子どもの問いに答えること

「ねえ先生、どうしたらよいの?教えてよ」という問いには、心をくすぐられます。「教師」の語源もそこにあるのかなと思います。
聞かれたらなるべく真摯に答えようとするのですが、それを何回も何十人にもするのは、実際には難しいことです。とはいえクラスには現に30人ほどの子どもたちがいて、それぞれ問いを持っている時もあります。

そんなとき、私たちはどうするのかといえば、最初に大まかな説明をしますよね。活力のある子どもたちからの問いに答えつつ説明を加えていき、質問が一段落したところで、さあ進めてみようと授業や作業に取りかかります。
これは予定された時間を費やしてしまうのを防ぐためでもありますが、よく考えてみると、本当に答えなくてはならない事や上手に言葉を返してあげたいケースに余力を残しておくための自然な流れとも言えるのかなとも思ったりします。

予測も可能な問いのように、余裕たっぷりに受け答えできればいいのですが、場合によってはみじんも余裕のない問いもあります。なかなか答えの出ない問いもあります。そんなときあなたならどう答えますか(もちろん、これから一緒に考えようと伝えるのが良いことも多いのですが)。
ずばり、それはよいとかだめとかはっきり答える場合もあるでしょう。でも無言で目配せをすることもあるでしょう。○○というふうに私は受け取ったよと返す場合もあるでしょう。

答えの使い分けが上手な先生

ここで私たちが考えておきたいのは、相手が何を求めているのかということだと思います。問いそのものに答えてほしいのか、それとも問いを通じて何か他のものを求めているのかです。
そのあたりの使い分けが上手な先生がきっとそばにいると思います。その先生のクラスは、多少いろいろあってもしっかりした自立の軸が子どもたちに感じられ、あちこちに希望が見えるのではないでしょうか。

たぶん先生は、問いかけに対し時に応じて否定も肯定もしない答え方、たとえば「へぇーそうなんだ」と一見受け流しているような答え方も使っている気がします。
カウンセリング色の強い私は、「君は○○と考えているんだね」と相手の考えをまとめたり繰り返してあげたりすることで、相手に再考を促すことができると考えていました。でも、相手の表情がみるみる曇り、「これはまずい!」と思うことが多々ありました。

「そうなんだ」という答え方の魅力

そんなとき、この「そうなんだ」という答え方がすごく魅力的に思えたのです。
試しに「そうなんだ」とつぶやいてみましょう。あらふしぎ、何かそうなんだと自分が言っているときの状況(イメージ)や問いかけしている相手の顔が浮かんできませんか。
そうなんだという言葉には、直近の「そうなんだ」と言わざるをえなかった時のイメージを思い出す、スイッチのような効果があるのかもと思ってしまいます。
さて、それはどんな場面でしたか。

A 相手の気持ちをその通り私もそう思っているよと受け止める
B 相手の気持ちを無視せず、否定も肯定もせずそのまま受け止める
C 相手の気持ちを暗にその通りとは思っていないよと思うけどとりあえず受け止める

ざっとこんな感じで分類できると思います。
逆に、抑揚の付け方、声のトーン、言葉のスピード等でABCのどれかに「そうなんだ」を使い分けることも可能です。先ほどとは別の言い方で「そうなんだ」とつぶやいてみてください。どうです、ことばの印象が変わったのではないでしょうか。
相手の問いにストライクで返すばかりがよいのでもなく、カーブ、シュート、時には隠し球とあれこれ変化をつけて返し、子どもの考える主体性をくすぐり、自立をだんだんと図っていくことが、大切なのだと思います。

またそのことが私たちに少しだけ余裕を生み、命に関わることなど本当に私たちがとっさに対処しなければならないことに向かい合う力を生むのではないでしょうか。
何気ない学校の日常を、こんなマジカルフレーズが実は支えているのかもしれません。
私たちが、子どもたちとの対話の中で何気なく使っている言葉の中に、きっとそれはあるのだと思います。

渡邊 満昭(わたなべ みつあき)

静岡市立中島小学校教諭・公認心理師・学校心理士・環境教育インタープリター・森林セラピスト


いつの間にか、小中学校全学年+特別支援学級+特別支援学校+通級指導教室での担任を経験し、生徒指導主任+特別支援教育コーディネーター+教育相談担当経験も10年を超えていました。すると担任を離れたとたんに何かを忘れてしまって、担任に戻ってみると忘れていたことに気がつくということがたびたびありました。それはうまく言えないけど何だかとても大切なもの。先生を続けていくための糧のようなもの。
その大切なものについて、自分の実践と合わせお伝えしていこうと思います。

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