2023.12.01
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書籍からの学び~吉川幸男氏に学ぶ~(その1)

これまで、「書籍からの学び」ということで、主に実践者の書籍、授業記録を紹介させていただきました。しかし、社会科授業づくりにあたり、実践者だけでなく、いろいろな研究者の方にも影響を受け、多くの示唆をいただいています。そのような研究者の方の考え方や書籍などから学んだことを書かせていただきます。

大阪市立野田小学校 教頭 石元 周作

実践者至上主義

私は今でこそ、「社会は面白い」「研究すればするほど世界が広がる」と思っており、この「教育つれづれ日誌」でも社会科に関することばかり書いていますが、それまではそんなに熱をいれて授業づくりをしていたわけではありませんでした。それよりもどちらかというと「『学級経営』『学級づくり』のほうが教科教育よりも大切だ」という思いのほうが強く、今思えば「実践こそがすべて」「実践していないなら何も言えない」というような硬直した思考がどこかにあったように思います。いわば現場が一番大切であるという悪しき「実践者至上主義」という感じでしょうか。もともと初任校が生活指導上の課題が多く、目の前のことに手いっぱいで、研究する時間などない、と考えていたことを思い出します。

しかし無知とは恐ろしいもので、そういった困難な状況が多い学校だからこそ、研究をする必要があった(自分が)と今振り返ると思います。なぜならそこに課題や問いがいくらでも転がっていたからです。その困難な状況を変えていくために研究があるのに・・多くのことを学びましたが、さらに多くのことを獲得できていたのかもしれません。

そのような自分でしたから、研究授業で来られる研究者の方の意見も自分の理解できなさを脇におき「理論ばかりで実践に役にたたない」「子どもの実態がちがうから難しい」などと言い訳をしていました。

吉川幸男氏

社会科の研究を進めていくうちにいろいろな方に出会い、様々な書籍を紹介していただきました。その中で、実践者以外の研究者の方で自分の知的好奇心を刺激され、もっと書かれているものを知りたいと思ったのが吉川幸男氏です。

吉川氏は長い間、山口大学教育学部で教鞭をとられている研究者でもともとは中学校・高等学校の教師だったようです。

様々な論文を書かれていますが、書籍としては『「差異の思考」で変わる社会科授業』(2002明治図書)があります。また、月刊『教育科学 社会科教育』(明治図書)において2000年4月号から2001年3月号まで「社会科で求める『考える力』とか何か」という連載を書かれていました。私の印象でしかありませんが、主に社会科における「思考」に言及されているものが多いようで、そこが私の興味・関心と合致したところがありますが、授業づくりにおいて多くの示唆を感じ、もっと読んでみたいと思った初めての研究者の方です。

差異の思考

「なぜBは・・・なのにAは~なのか」「Bは~であるのに対し、Aはどのようであるか」「Bは~しているが、Aはどうすればよいか」といった複文型の問いは、社会科でよく活用されます。

例えば、「A市はごみ袋の有料化をしているのに、自分たちの市はなぜ有料化していないのだろうか」「A市は水道料金が大阪府の中で一番安いのはなぜだろう」といった問いはA市と自分たちの市、A市とA市以外の大阪府の市という差異を問いにしています。社会的事象に対してさまざまな類比対比を通して相対的に見る思考法は、社会的事象の意味を考える基本的な学習として「差異の思考」と述べています。

吉川氏は「差異の思考」を「研究」的な視点として、以下のように述べています。
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社会のある問題を考えるとき、過去の類比を取り上げたり、他の市や外国の類例を取り上げて、それとの対比を通して考えていくことは、「研究者」あるいは「専門家」と言われる人々の最も特徴的な思考法であり、社会の研究として専門性が発揮される視点である。
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これによって、体験的な活動を中心とした総合的な学習とは違う社会科としての固有性、つまり社会科らしさがでてくると述べています。この「研究」的な視点という述べ方も面白いですし、確かに社会科では、対比と類比はどの単元でもできそうですし、実際にやっていることは多いです。

また歴史においては「なぜ秀吉は京都ではなく、大阪に拠点となる城を築いたのか」「ペリーはなぜ長崎ではなく浦賀に来たのか」といった遠景の一般状況と近景の個別事態を交差させ対比的に扱う「遠近法」という表現もされています。

「固有名の思考」「普通名の思考」

差異の思考に通じるものとして「固有名の思考」「普通名の思考」という表現をされているものがあります。「固有名の思考」とは、例えば自然条件において特色ある地域を取り上げる際に、高い土地に暮らす人々であれば、群馬県の嬬恋村をよく事例地として学習します。この時、子どもたちが「嬬恋村の暮らしについて学習しています」と捉えれば「固有名の思考」、「高い土地について学習しています」と捉えれば「普通名の思考」としています。

ただ、吉川氏は、教師は「普通名の思考」で授業をしているものの、子どもは「固有名の思考」で学習していることが多いと述べていますが、これは経験的にもそうなっていることが多いと感じます。

この独特の表現ですが、「固有名の思考」は、さらにノンフィクションの場合に当てはまり、「普通名の思考」はフィクションの場合にあてはまるというメタファーで表現している。ノンフィクションの場合は固有名と具体的な事実が必要ですが、フィクションは固有名は求められず、設定も架空でも問題ない。もっと単純化すれば、ノンフィクションであれば個々の人物観・地域観にかかわる歴史的思考であり、フィクションであれば人間観・社会観・世界観にかかわる規範的思考とも表現しています。(図1)

図1「固有名の思考」と「普通名の思考」

特殊性と一般性との対比ともとらえることができるかもしれませんが、社会科においては、どちらも大切でしょう。「嬬恋村の学習なので、自分とは関係ない」というように当事者性がうすれないように、自分たちの地域との対比を考えることが大切になります。吉川氏は以下のように述べています。

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社会科で求める「考える力」は、「固有名の思考」に立脚しながらも、絶えず「普通名の思考」の介入を受け、それに対抗する緊張関係の上に成り立っていると思われる
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メタファーと対立軸

吉川氏の魅力は、ひとつの事象を俯瞰し、他のものに例えて表現すること、つまりメタファーをうまく活用されています。このことで、イメージや理解がしやすくなるのですが、その表現が面白いと思います。また、次回でも紹介しますが、吉川氏はよく事象を分類されます。分類するということは、事象の差異を見出すことであり、差異を見出すためにその事象の対立するものを考えます。そうすると分類しやすくなったり、マトリクスのような図化がしやすくなったりします。吉川氏から私が学んだのはそういった思考法であるとともに物事をなるべく俯瞰することです。

参考資料

石元 周作(いしもと しゅうさく)

大阪市立野田小学校 教頭


ファシリテーションを生かした学級づくりと社会科教育に力を入れて実践してきました。
最近は、書籍からの学びをどう生かせるかや組織開発に興味があります。
統一性がない感じですが、子どもの成長のために日々精進したいと考えています。

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