2023.11.06
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『つなぐ・つながる』まずは、感想を書いてみる・聴いてみる

授業の終末で、まとめを書くとなると、「何を」書くかが問題となります。「先生、何を書けばいいの?」という声が聞かれます。私は、「何でもありだよ。気付いたこと、分かったこと、分からなかったこと、自由に振り返ってみて」そんなふうに答えるところから、この「振り返り」に取り組み出しました。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

『学び』とは、思い出すことである。

もう十年以上も前のことです。
「『学び』とは、思い出すことである。」
ある講演会で、嶋野道弘先生(前文教大学教授)からお聞きした言葉です。
すなわち、学びとは、過去の経験を思い出し、そこに新たな情報を加えて知を再構築することだというのです。

1時間の授業において、子ども自身がその授業を「振り返ること」。
1時間、自分はどんなことを感じていたのか。
何を学んだのか。
あるいは、何が分からないのか。
45分間の自分を思い出し、そこに今の自分の思いやこれまでに学んだことを加味しながら、書き綴っていくこと。
それが、「思い出すこと」につながる活動の一つだと思います。

つまりは、振り返りを書くこと自体が一つの学びになるのです。
「この1時間、何があったのかなあ」と「振り返る」。
そのことが、学んだことをもう一度整理し、自覚する、新たな気付き、疑問を生むのです。

教師にとっての、子どもが「振り返り」を書くことの意味

一方、教師にとってもその行為は、深い意味をもっていると言えます。
教師は、45分間で「このことを教えたい」と願い、計画し、授業を行います。
「教えたい」ことがそのままに実現できるわけではありませんが、一応の「教えた」と思える内容が授業後、頭に思い浮かぶと思います。

ただ、学びの当事者である子どもは、どうとらえているのでしょうか。
「教えたい」「教えた」事柄を「学んだ」と感じているのでしょうか。

「教えた事柄」=「学んだ事柄」となるのでしょうか。

「教えた事柄」=「学んだ事柄」となるのでしょうか。
それは、どうも子ども自身でなければ分からないことのようです。
また、授業の発言が、本当に子どもの学んでいることと等しいかというと、そうではないという例は、決して少なくありません。
だからこそ、授業終末における「振り返り」を書く時間を大切にしていきたいと思います。

そして、教師としては子どもが自分自身を素直に見つめられるような雰囲気づくりや語り掛けをしていきたいと思います。
さらに、私たちも、真摯な気持ちで子どもの思いに寄り添いながら読んでいきたいと思います。
そうして、一人一人の学びを見つめ直しながら、その子ならではの一歩(学び、成長、がんばり等)やなんとかしたいこと(課題)を、見極め、伝えていけたらよいのではないかと考えます。
こうした考えのもと、授業の振り返り、板書では、「か」(本時の課題)や「ま」(授業のまとめ)に並んでもう一つの「か」(感想)の実践を始めたのでした。
まずは、自由に子どもに授業で感じたことを思い出す時間を持つ。
書く内容に縛りを持たせないという「か」です。

子どもたちの「か」(感想)の具体のあれこれ

4年生の算数「分数」の授業の「振り返り」です。
2年生から登場している分数。
4年生では、1より大きな分数、そして、同分母の足し算と引き算などの学習をします。
子どもの感想を読んでいくと、授業の発言ではなかなか見えない、考えや思いが出てきます。

例えば、Aさんは、ある授業で、次のように書いています。
「あけましておめでとうございます。これからもよろしくお願いします。分母と分子は、身長は子どもの方が大きくなるけど、年は母の方がいつまでも大きい」。
この考え方は、「分母がお母さん、分子は子どもだね」「子どものほうが、お母さんより大きくなることもあるんだね」という話から、親子の「身長」と「年齢」に結び付けて考えています。
まさに発展的に分子と分母の関係をとらえているのです。

また、Bさんは、大きな分数を「かさ」を例に考えています。
「前思ったんだけど、1より大きい分数を、もしLで表したら、水がこぼれている計算になってしまうのではないでしょうか」
Lマスじゃ「こぼれる」っていう発想がいかにも子どもらしく、しかも具体的な場面を思い描いて考えているところが面白いと思いました。

続いての事例

「小数のかけ算、わり算」の単元では、こんな授業をしました。
「わり進める」わり算の授業の終末です。

Cさんは、彼女らしい言葉を使って、次のように授業をまとめていました。
「今日は、見えない0を使って計算することを習った。見えない0を使ってあまりを出させなくする方法をはじめて知った」
「見えない0」という言葉は、そのころ学んでいた理科「閉じ込めた空気」とつながる言葉です。
振り返りを皆に紹介すると、「なるほど」という声が聞かれました。

さらに、ある日のDさんの「か」(感想)には、
「ぼっ~としていて、よく分からなかった」
と書かれていました。

何を書いてもよいのですから、これもありですね。
授業者である私にとっては、授業中の様子からは、そんなふうには見取れなかったので、自分の見取りのいい加減さを反省する機会になりました。

ちなみに彼女のノートには、その隣にこんなメモが残されていました。
「反応」→「聞いているしょうこ」
この授業の中で、感じるもの、考えるものがあったということでしょうか。

むすびに

このように、授業を思い出し、「か」(感想)を書いてみることは、教師にとって何かいいことありそうだっていうことが実感できると思います。
冒頭で、「振り返りを書くことの意味は、こうだ!」って述べたのですが、それは、一旦置いておいて、まず書く時間をとり、それらを読んでみて、そこでどんなことを「実感」するのかってことです。

私は、こうして読んでみて、
〇「より子どもの思いが身近なものとしてとらえられるようになったな」
〇「その後の授業につながる内容を見つけられたり、子どもの発言から授業を出発させたりできたな」
〇「子どもの授業の理解度が把握できるようになったな」
このようなことを、正直、感じたのでした。

現在は、
「何を・どのように振り返るか」「子どもの記述にどう応えていくのか」や「振り返ることが目的化してしまわないか」「子どもが忖度して書くことになりはしないか」など「振り返り」の課題が考えられていますが、まずは、「か」(感想)から書いてみたら、いいと思うのでした。
「今日のまとめは、こうです」って教師がまとめを書いちゃって、子どもが何も考えずにノートに写すってことと比べてみたらその意味はずっと深いと思います。
いかがでしょうか。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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