2023.04.23
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AIとつきあう

開発したオープンAIのCEOが首相を訪問し、一気に話題を持っていった気がする対話型ソフトChat GPT」が毎日のようにメディアで報道され、議論を呼んでいる。文部科学省も学校での利用に制限をかけようとしていると聞く。Chat GPTとの上手なつきあい方について考えてみようと思う。

大阪大谷大学 教育学部 教授 今宮 信吾

積極的に関わる

いくつかの大学の入学式でChat GPTのことが話題として提示されたようだ。現状を進化・発展と捉えるのか、後退・混乱と捉えるのか様々な立場での議論が楽しみだ。
あるテレビ番組のコメンテーターが「発明されてしまったものは仕方ない。もう戻れない橋を渡ったと同じ」というように表現していた。その上で「スマートフォンやパソコンのない生活ができますか」とも続けた。
私もこの考え方に近い。国語教育の立場からはICT活用が進むことに危惧する部分をいくつかはあるが、新しい方向へと進んでいくことも人間として求められていることであると自分を納得させてつきあっていこうと思っている。
実際に試しに自分の名前を入れてみた。「今宮信吾さんは日本の俳優です」という回答が返って来た。喜ぶべきなのか複雑な思いがしたが、楽しみながらつきあい方を考えようと思った。
ちなみに先に使ってみた人からは、料理のレシピや機器の使い方などは結構いいアイデアを提供してくれていると聞いた。AIに対する私のイメージは、とても賢い「たまごっち」をみんなで育てているんだというものである。

教育現場での使い方

文部科学省は早速、Chat GPTについて規制をかけるべきではないかと動いているようだ。学校という場所は閉じられた空間の中で手の及ぶ部分だけを制限をかけるという不思議な空間を持ち得ている。
学校で使わなくても、家庭で使うなら同じではないかと思うのは私だけだろうか。それよりも学校での使い方を考えることの方が生産的ではないだろうか。
「教育」とはうまくできた熟語で「教えること」と「育むこと」の両面を備えている。初めてのことで様々なリスクが考えられるだろうが、それもOJT(On  the Job Training)でいいのではないかと思うのは、少々気楽すぎるのだろうか。
最初のうちはみんなが珍しさから飛びついて使うこともあるので混乱は覚悟の上で、そこから時間を経て残って来たものがこれから大切にしていくべきことなんだろうと常々思っている。流行を追いかけすぎず、しかし時代には取り残されず、流されず、そんな姿勢でいたいと思う。

Chat GPTとのつき合い方

実際にふれてみて思うことは、まだまだChat GPTは日本語の対応には慣れていないということである。返事が日本語入力と英語入力では確実に情報量が違う。これが進化して行った時にどうなるのか、心配事もあるがポジティブな使い方もできるだろう。
例えば一人でChat GPTを使って対話の練習をすることもできるだろう。「画面の向こう側に誰かがいてその人と話している気分になれる」ということも特徴である。その上で大学での自分の対応としては、課題として出したレポートをChat GPTで使って書いて提出されたらどうするのか、私は出されたレポートについて質問するコメントを添えて、目の前でそれに応えられたら認めるという方法をとるかもしれない。あくまで少人数の場合である。質問に答えられるということは情報を自分のものにしているのだからいいだろうという判断である。
しかし、Chat GPTに書いてもらったレポートで合格して満足するのかという問題は残る。自分で創作した実感や価値を感じることができるのだろうか。オリジナリティーを産み出すという気持ちが高まるのだろうか。今後の問題を示してまとめにする。
「情報管理」「信憑性」運用方法」については今後も考え続けていきたい。最終的には扱う教師の姿勢・力量に関わる問題であり、教師として成長するための修行であると前向きに捉えたい。

今宮 信吾(いまみや しんご)

大阪大谷大学 教育学部 教授


国公私立の小学校で教員を経験し、現在未来の教師を育てるために教員養成に携わっています。国語教育を核として、学級づくり、道徳教育など校内研究にも携わらせていただいております。ことば学びのできる教師と学校づくりを目指しております。

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