2022.04.14
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文章の奥に顔が見えること

のっぺらぼうの文章と、そうでない文章があるよなぁ、と時々思います。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

はじめに

どうも、こんにちは、今村行(いまむらすすむ)と言います。
この4月から、つれづれ日誌の仲間に入れていただけることになりました。誠意をもって、でもそんなに肩に力を入れすぎずに、つれづれなるままに書いていこうと思っています。

これまで教育に10年携わってきて、板橋区の公立学校で5年、現在勤めている国立学校で5年を過ごしました。その中で、子どもたちの紡ぐ言葉、ふとしたまなざしに何かをハッと感じたり、あるいは全く気付くことができずに見過ごしてしまったりして過ごしてきたように思います。どちらかと言えば、気付くことができずやり過ごしてしまった瞬間の方が、ずっと多いのではないか、と書きながら思ってきました。そのような自分が、読んでくださる皆様の元へ、それなりの言葉をお届けできるのかどうか、少し不安に思っています。

でも、なんというかこの場はいい意味で、必ず「ためになる話」をしなければならない場ではなくて、もっと懐の深い場所だと感じています。そのような中で、自分がどんなことを自分の中から掘り起こして言葉にすることができるだろうか、と想像が膨らんで、ぜひ執筆させていただきたい、と願いました。

時に、「過去に関わったあの子」のために、あの時言えなかった言葉を書くだけのような、つれづれが過ぎる回もあるかもしれませんが、ご容赦いただければありがたいな、と思います。

子どもたちのノートを読んで

今回、こうして自分の名前や素性、顔をオープンにした上で文章を書かせていただけるというのはとても有難いことだと思っています。自分の周りを見渡せば、誰が書いたのかよくわからない無人格の言葉がどこもかしこも行き交っているような状況です。そのような、署名のない、一見重さのない言葉が心のすきまに入り込んで息苦しさを感じるようなことが、誰にもあるのではないでしょうか。

だから、というわけではないのですが、僕は子どもたちが帰った放課後の教室で、みんなが書いたノートを読むのが好きです。家であった些細なことや、一人で思い悩んでいることを綴った日記、国語の授業でみんなで問いを出して考えたこと、様々な言葉がありますが、そこに共通していることは、その文章の奥に、自分が信頼している人間の顔が浮かぶということです。

字はぐにゃぐにゃかもしれない、漢字は間違っているかもしれない、「大人」が読めば一笑に付すような内容かもしれない、決して立派なことは書いていないかもしれない。でも、そこには確かに子どもたちの意志があって、手触りがあります。自信がみなぎっているものもあれば、理解してもらえるかどうか、ためらいや、時には微かな恐れのようなものが感じられる言葉もあります。読む側としては、そのような文章を読むのは疲れます。そこにはやはり一人の人間の存在という重みがあるからです。時間もかかるし、疲れるけれど、その重みを感じることで、なんだか深呼吸できたような気持ちになれるのかもしれません。

顔の見える文章を

そのような言葉を、自分一人だけで読むのはもったいないな、と思いコピーしたり、文字を打ち込んでプリントにまとめて配ったりすることがあると思います。そのようなとき、「これを誰が書いたのか」という名前は明らかにしますか?

僕の記憶では、前任校で初めて高学年を担任させてもらったとき、名前を書き添えようかかなり迷っていたように思います。少なくとも、コピーして配布したいと思ったら、その子に確認をしてからコピーして、配布してということをしていました。なんだか僕も躊躇していたというか、勝手に「多くの人には読まれたくないんじゃないか」と思っていたんですね。

ただ、ある時、クラス全員の国語の意見を打ち込んで、名前も書き添えてプリントにし、配布したときに、「〇〇さんの意見すごい!」と自然に声が挙がったり、自分から赤鉛筆で線を引き始めたりする姿を目の当たりにしました。そして、ちょっと照れ臭そうにしていた子も、自分の意見に触れてもらうことで、とても嬉しそうに顔を綻ばせていました。あぁ、子どもたち同士にとっても、単なる「いい意見」より「名前の見えるいい意見」の方がずっと価値があるんだ、と感じた瞬間でした。

そのようなことを続ける中で、とある保護者の方とお話したときに「先生が作ってくださったプリントで、娘が『私の意見どれだと思う?』と聞いてきて、なんだかとても嬉しそうでした」と言っていただいたことがありました。その保護者の方は、全然わからなかったんだそうですが(笑)、それも含めて親子で笑い合う時間にしていただけたようで嬉しかった思い出です。

顔の見える文章を書けるような、顔の見える文章と目を合わせて読むことができるような子どもたちを教室ではぐくみたいと思いますし、何よりもまず自分がそうであれたらな、と思っています。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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