2022.09.27
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教師が体験的に学ぶということ

これまで「体験」というキーワードが「教育」では大切だということを、何度かお話してきました。 例えば、食べてリンゴの味を知っていて、見て形を知っていても、どのように実を付けるのかを知るには、育ててみることで一番理解がしやすいと考えています。インターネットを活用すれば、リンゴがどのように実っているか、視覚的に情報を得ることはできるかもしれませんが、そのリンゴの樹に実を付けるまでにどのような肥料が必要で、水が必要で、日光が必要で、管理が必要でということは育ててみないと分からないですよね。 でもきっとそれは、教える側の私たちにもきっといえることなのではないのかと考えています。 今回はこの「体験的」ということを、今まであまりお話してこなかった視点から考えていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

信州大学教育学部附属特別支援学校 教諭 丸山 裕也

教師にとっての「学びの場」

これまでは子どもにとって、体験的な学びの場が必要であるということをお話してきました。ところが、これは私たち教える側にも大切なことではないでしょうか。
もちろん、すべての事柄を体験し、それを教育に活かしていくことはできません。しかしながら、実際にどのようなものであるのかということを、把握する手段として、体験は非常に優秀です。
以前、クラスの活動で陶芸を教えることになりました。私は美術の教員でもなければ、陶芸が得意なわけでもありません。材料も道具も、何が必要なのかもよくわかりません。
今は便利な世の中ですから、インターネットで調べるとよくわかる解説付きの動画もあります。必要なものも簡単に調べることができます。ところが、「こんな時に困った」とか、「困った時にどうすればいいか」とか、そういった情報は、なかなか調べても出てこないときが多いですよね。子どもたちの支援のヒントはそんな出てこないところに隠れていることも多いですよね。

陶芸の体験から

全盲の友人と陶芸を学ぶ(右側が著者)

さてこの写真は全盲の友人と一緒に陶芸を習ったときの写真です。写真右が私で、左が友人です。
皆さんはこの写真を見てどのようなことをお感じになりますでしょうか。

私は目線を下に、おっかなびっくり触っています。湯呑の縁もまだ厚いように見えます。
ところが友人は指先の感覚だけで、非常に滑らかに湯呑を仕上げています。湯呑の縁も私と比べると幾分も薄くなっています。
お互いにこの時は初心者ですから、手や指の動かし方は未熟だったのかもしれません。しかしながら指先の感覚に関しては、普段点字を使っている彼は、私の何倍も優れていたように思います。
「指先の感覚だよ」と器用に仕上げていく友人、一方私はなかなか歪みが取れません。

しかし、体験していると「あ、指先の動きはこうかもしれないな」「よくわからないけど、手首を固定したらうまくいくようになったぞ」と自分なりの試行錯誤の結果のアイディアが生まれてきます。そのアイディアこそ、実は子どもたちの支援につながる種だと私は考えています。
この体験をしていると、生徒が困ったときに「先生が困ったときは○○したよ」と伝えることができます。これはインターネットで動画を見ただけでは決して伝えることができないメッセージですよね。

私たちの仕事はなかなか忙しく、体験のための時間を割くことができないとお考えの先生もいらっしゃることと思います。当然、教える全てのことを体験することはできません。しかしながら、私たち教える側にとってとても大切な支援につながる種を授けてくれる体験ですから、無理のない範囲で実践していきたいですね。

丸山 裕也(まるやま ゆうや)

信州大学教育学部附属特別支援学校 教諭
公認心理師、学校心理士、障害者スポーツ指導員(初級)、福祉用具専門相談員
「あした、またがっこうでね。」と、子どもも教師も伝え合うことができるような、楽しい学級づくりを目指しています。また、障害のある子どもたちの心の健康について、教育と心理の二面からアプローチしていく方法を考えています。
特別支援学校で出会ってきた子どもたちとの学びを、皆さんにお伝えしていきたいと思っています。


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