2023.02.25
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年度末に忘れられない特別活動の評価!

高等学校でも新学習指導要領が始まり、各学校で観点別評価について試行錯誤しているところだと思います。そんな中、特別活動の評価ということは意外と知られていない気がします。各学校で教務主任の先生が苦慮しているところでしょうか。私事ですが、国立教育政策研究所が発行した『「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料、高等学校・特別活動』の作成に関わらせていただきました。その経験も思い出しながら特別活動の評価について書きたいと思います。

立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任) 酒井 淳平

特別活動も観点別評価が必要

特別活動も評価が必要で、評価を指導要録に残すということはどの程度認識されているのでしょうか。私も実は文科省で特別活動の評価資料を作る会議に参加したときに、詳しく知ったというのが正直なところです。この原稿を書いているのは2023年の2月初め、つまり2022年度が終わろうとしている時期ですが、学級担任が指導要録に着手している学校はほとんどないと思います。学年末テストが終わってからようやく担任はこのことを知るという学校もあるかもしれません(そんな学校はないことを祈りますが、、、)。

今回の学習指導要領では育成を目指す3つの資質・能力がすべての教科等に共通しています。この3つの資質・能力に対応する形で3つの観点が設定されています。ですので総合的な探究の時間や特別活動も観点別評価が必要なのです。特別活動の評価では各学校が自ら定めた評価の観点を記入した上で、各活動・学校行事ごとに十分満足できる状況の生徒に〇をつけることになります。

特別活動の評価に取り組むにあたって大切な視点があります。それは「これまで高等学校において特別活動をどのように扱っていただろうか」という問いです。多くの高校生が思い出に残るものとしてあげるものに文化祭や修学旅行があります。これらはホームルーム活動・生徒会活動・学校行事で構成される特別活動の一つです。コロナ禍でより明らかになったようにも思いますが、高校の教育において特別活動は大変重要な教育活動です。

こんなに大切な教育活動なのに、生徒の自主性に任せるという名のもと、行事などを通じて育てたい資質・能力や目標を共有することなく取り組み、その結果良い思い出で終わってしまっていないでしょうか。目標を共有して評価し、それを生徒にフィードバックすることで、生徒は自分の成長を確認することができます。また生徒が自分がつけた力を言語化するサポートにもなります。特別活動は大切な教育活動だからこそ、その活動を通じてどのように成長したのか、どんな力をつけたのかを生徒が把握できるようにするということを忘れてはいけません。

何のための評価かは忘れてはいけない

特別活動を評価するというときに、観点や目標をどのように設定するのか、〇をどうやってつけるのかなどの手法のみを考えがちですが、大事なことは、評価は生徒のためのものであるということ、そして評価するから生徒の成長をお互いに共有できるということを忘れてはいけません。

しかしHOWに流れがちな学校現場で、評価しなければいけないという思いをもって、国立教育政策研究所が発行した学習評価に関する参考資料を読むと、以下のような思いを持ちがちです。

まず1つ目は「観点は例示通り書かなければいけない。でも例示がいっぱいあるからどうしていいかわからない」という思いです。こうした声は実際にいくつかの学校から聞きました。しかし資料に書いてある観点はあくまでも例にすぎないのです。学校によって重きを置くところが違うからいくつかの例が示されているにすぎないのです。これを参考にして各学校で観点を定めればいいのです。

次に「評価するために補助簿を使わなければいけない」という思いです。たしかに資料には評価をする際のツールとして補助簿が示されています。しかし補助簿はあくまでも例示にすぎません。生徒の様子を見るのは担任だけではありません。他の教員が生徒を見て気づいたことを評価に反映させるということを考えたときに、たとえば補助簿のような形が考えられるということを例示しているにすぎないのです。

この他に〇をつける基準についても、絶対的な答えを求めてしまう学校があるかもしれません。

いずれにしても、評価をしなければいけないという思いが強くなってHOWばかり考えると、資料の例示がノルマに変わってしまうときがあります。その結果、学校現場がより疲弊するということは大いにありうることです。あくまでも教育活動は生徒にこうなってほしいという思いをもって行うものであり(これが目標にあたる)、生徒の成長を見取るために評価をするのであり、結果として目標を十分に達成して大きく成長した生徒に〇という形で記録を残す。このシンプルな思考を忘れてはいけないと思います。

現場での苦悩

ここまで評価についての理念を書いてきました。一方で現場には現場の難しさがあるのも事実です。指導要録は保存しないといけないということが、評価に対してより慎重になる一つの要因かもしれません。

特に現場で難しいこととして、〇のつけ方についての共通認識があります。もちろん教育活動に対して目標を設定し、十分達成した生徒に〇をつける。それはその通りです。しかし「十分達成した」という状態についての共通認識はそんなに容易ではありません。たとえば文化祭一つとった時に、どんな目標を設定しても、その目標を十分に達成した生徒を各クラスの担任が評価したときに全く同じになるとは思いません。もちろん担任の主観とでもいえるものが多少入ることは当然のことだと思います。しかしあるクラスではほぼ全員に〇がつき、隣のクラスでは、特に中心的に頑張り大きく成長した5人だけに〇という状況は避けたいというのが多くの学校の本音ではないでしょうか。他校との比較も気になるところです。正式な記録として残る指導要録だけに、自分の学校だけ厳しい評価や甘い評価になることは避けたいと思うのは自然なことでしょう。 

もちろんルーブリックや目標設定を精緻にすれば、こうしたことは一定数、避けれるのかもしれませんが、そこまでの余裕がないのが学校現場の実情です。個人的には〇をつける比率をある程度決めるのはありかもしれないと思っています。たとえば「およそ40~60%の生徒に〇をつける」と決めると担任による誤差はそんなには生じないのではないかと思います。もちろんこの方法がいいとは思いません。しかし同じ学校に勤めている教員にとっては、このような数値化が目線あわせに有効なケースはあります。労力のことを考えずに制度を設計するよりは運用上の工夫として優れてると言えるかもしれません。おそらく私たちは理念と現実の間で、現実的に運用可能な最適なやり方を探究することが求められているのでしょう。これまで評価をテストの点数や受験での偏差値など数値化しやすいものに頼ってきたつけがまわってきているのかもしれません。みなさんの学校では特別活動の評価をどうされていますか?またどうしたいですか?もちろん指導要録への評価は特別活動の評価の一部でしかないので、そこにすべてを反映させようと考えない方がいいのですが。

最後に

お読みいただきありがとうございました。今回、久しぶりに執筆させていただきました。指導要録に間に合えばと思いましたが、少し遅かったでしょうか。

新学習指導要領が実施され、総合的な探究の時間も始まりました。私事になりますが、つい先日明治図書より『探究的な学びデザイン』を出版させていただきました。探究を「なぜ」「どうやって」やるのか、この疑問に向き合える本にという思いで作った本です。著者が私にはなっていますが、この本の価値は事例にあります。菊井先生による公立中学校でのPBL、大阪の公立高校や本校と仙台の公立高校で協働した教科での取り組み。探究コースを持つ大阪高校の事例は堀川高校で校長をされていた恩田先生が、植野先生と執筆してくださいました。岩手県大槌高校の事例は鈴木先生と菅野さんが、広尾学園の事例は木村先生と堀内先生が執筆。さらに東京学芸大の藤村先生、香里ヌヴェール学院の池田校長も参画。公立に私学、都市部や地方、高校だけでなく中学や大学、若手担任から校長先生、いろんな方に響く部分があるのではないかと思っています。事例から見える執筆者のその人らしさを感じてもらえたらうれしいです。

酒井 淳平(さかい じゅんぺい)

立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任)
文科省から研究開発学校とWWLの指定を受けて、探究のカリキュラム作りに取り組んでいます。
キャリア教育と探究を核にしたカリキュラム作りに挑戦中です。

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