2023.01.22
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出逢いに学ぶ

年末、石巻を2泊3日で訪問してきた。その訪問については後日伝えることとして、今回は二つの学校遺跡について訪問したことを伝える。
まもなく阪神淡路大震災から28年目。今年も立ち止まる時間が来た。

大阪大谷大学 教育学部 教授 今宮 信吾

津波の後に

学びの跡

石巻市震災遺構門脇小学校を訪ねた。昨年度開設したばかりだという施設の中に入らせてもらった。まず驚いたのは、津波の高さであった。校舎の横に津波はここまでという印がつけられていた。それなのに、校舎は全壊していた。
施設の方に尋ねてみると、震災後に起きた火災によって被害が拡大したということであった。

校舎の中が見学できるようになっていた。当時のまま残されている部分と解説を加えられて説明がされている部分があった。焼けてしまった机や椅子、教室を目の当たりにして、確かにここで学びがあったんだという思いを感じ取った。津波が来た後が大切なんだと知った。

津波の中で

旧女川交番

東日本大震災遺構でもある旧女川交番も訪問した。
「これはどういう状況なのか」と思うくらいひっくり返ってしまった建物の跡が目に入ってきた。
津波の勢いが激しかったことを感じ取った。
テレビの映像でしか観ていなかったものが目の前にあると、違った感覚を思い出させる。
遺構を取り囲む写真パネルの中に「海と共に生きることを決めた」というものがあった。
自然と共に生きるということをもう一度考えた。

津波の前に

大川小学校

同じく震災遺構大川小学校も訪ねた。裏山に逃げていれば助かった命があったかもしれないということで、裁判にもなった場所である。
突然予想もしない地震に見舞われ、その後の津波のことも具体的には想像できなかったのだろうと、教師側の思いもわかるし、判断を間違えたことに対する遺族の悔しさもわかる。訪問するまでは、どちらの立場にも立てないと思っていた。
その上で「いつまでもこの場所を残しておくことで余計に悲しみが募る」という思いも、神戸で同じ震災を経験したものとしてわかる。
同行した仲間たちとしばらくその場に立ち止まっていた。銀河鉄道の夜を描いたプールの壁がそのまま残っていた。軽々に意見が言えない。心に焼き付けた風景だった。

教師として何を感じ取るか

門脇小学校

門脇小学校の中でビデオメッセージが流れていた。元教頭先生という方が語っていたことが心に残った。そして、全国の教師を目指す学生たち、そして教師に聞かせたいと思った。
「毎日、学力とか学ぶために教科の学習を一生懸命授業をしているが、その上で本当は生き方を教えられる教師になってほしいと思う」大まかにこんなメッセージだった。教師の働きがいが問われている。教師という仕事の素晴らしさを伝えなければと日々奮闘している。
「この映像、どこかで購入するか、お借りすることはできないでしょうか」と尋ねてみると、「今はまだその環境が整っていないのですがいずれは」という返事だった。名刺交換をさせてももらい、いつか必ず学生と訪れたい場所だと確信した。

訪問によって感じた気持ちが温かいうちにと思い、日本NIE学会の協力も得て、神戸に石巻日日こども新聞の記者と代表者をお招きしてお話を聞く機会を準備している。詳しい内容は次号以降でお伝えする。

今宮 信吾(いまみや しんご)

大阪大谷大学 教育学部 教授


国公私立の小学校で教員を経験し、現在未来の教師を育てるために教員養成に携わっています。国語教育を核として、学級づくり、道徳教育など校内研究にも携わらせていただいております。ことば学びのできる教師と学校づくりを目指しております。

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