2023.01.05
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『つなぐ・つながる』~授業づくり・学級づくり、そして学校づくりの明日のために~「通知表でつながる」

新年が始まりました。新たな教育活動がスタートするにあたり、「通知表」についてあらためて考えてみたいと思います。つながる「通知表」について。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

新年、新学期を迎えて

新しい年を迎えたと思ったら、すぐに新学期のスタート。
正月気分もそこそこに、気持ちを切り替えて学校に向かう人も少なくはないでしょう。
私が勤務する大学も、今日から授業スタートです。
さて、新学期の教室では、どんなことが行われているでしょうか。
冬休みの課題や計画表を集めたり、新年のめあてを発表し合ったり、年末年始の出来事を紹介し合ったり。
そして、2学期に子どもたちに手渡した「通知表(通信簿)」が保護者のコメントと共に返ってきたり。

子どもから「通知表(通信簿)」を集めること

近頃は、前後期制の学校や「通知表(通信簿)」を配付のみで回収しない学校もあるようで、まさに「通知表(通信簿)」も多様化の時代を迎えているようです。
でも、私は、子どもたちから集めた「通知表」にあらためて目をとおしながら、
「家庭では、どんな会話があったのだろう」
「保護者の方は、どんな思いで受け取ってくれただろう」
などと思いを巡らしたり、
「おうちの方は、どんなメッセージを書いてくれたのかな」と、保護者欄の内容を楽しみにしながら読んだりしていたものでした。

きっと、前日には、「何て書いたらいいかな」って、親子で会話があったかもしれないし、夫婦で考えてくれたかも知れないし、言葉を選び選び、時間を掛けて書いてくれたかも知れない。

ほんの数行ではあるけれど、保護者の方の、手書きの言葉には、それぞれの思いが詰まっているように感じました。子どもへの思い・願いがぎゅっと凝縮され、温かみも感じたのです。
そして、それらを読むことで、3学期も、この子らのために「頑張らなくっちゃ」と、エネルギーをもらったりもしました。

こんなふうに考えてみると、保護者の方が書いてくれた言葉は、保護者にとっては「手間」であるかもしれないけれど、結構意味深いものがあるものだとあらためて思いました。
そういうやりとりに、保護者、子どもと教師との「つながり」も見いだせるのではないかと思います。
今回は、通知表をとおした「つながり」について、考えてみたいと思います。

通知表は、教師と子ども、そして、保護者と「つがなる」ものに

「学習評価に関する資料」によれば、「通知表(通信簿)は、児童生徒の学習状況について保護者に対して伝えるものであり、法令上の規定や、様式に関して国として例示したものはない」と明記されています。よって、学校の独自性も認められ、通知表がないという学校も見られるわけです。

また、通知表の内容もさることながら、その名称も様々です。全国調査によると、「あゆみ」という名称が最も多く、次いで「通知表」、「通信票」「通知票」「のびゆくすがた」「のびゆく子」「学びのたより」等があるそうです。「あゆみ」は、子どもの学びのあゆみ、成長のあゆみといった意味合いがあると言えます。
であるならば、子ども一人一人の成長や学びの事実を丁寧に、子どもや保護者に伝えるものにしたいと思います。

また、同じ全国調査によれば、観点別学習状況についての評価は、「よくできる、できる、がんばろう」といった言葉で表す場合が半数ほどで、次いで「◎、○、△」等の記号で表す場合が多いとのことです。
子どもたちや保護者は、それらをどのように受け止めているのでしょう。全ての教科を見渡して、それらの数が幾つあるかで、いいだの悪いだのと考えていないでしょうか。

半数以上の学校では、「通知表の見方」という欄を設けてはいるのですが、形式的に示された「見方」ではなくて、子ども一人一人のあゆみに即した、○や◎の意味を担任の先生には、伝えてほしいと思うのです。

でなければ、子ども自身が、学びの、成長の証である通知表の意味を分からないまま、言い換えれば、自分の成長を、先生がどのように考えているかを知ることもなく、通知表を受け取って、家庭に持ち帰ることになります。

「あなたの2学期に頑張ったことは、こんなところだよね。すごいね」
「あなたのこんなところが伸びたんだよね。頑張ったね」
「こんな力がついた二学期だったね。素敵なことだね」
「ここを頑張ると、さらに伸びていくと思うよ」
そういうことが、伝えられる通知表だといいのに、と思います。

それが、教師と子ども、そして、保護者と「つがなる」ものになるんじゃないかと思います。
如何でしょうか。

「所見・通信等の欄」は、大切じゃないかな

ですから、各教科の観点別学習状況では、伝えられないところを補う意味で、いわゆる「所見・通信等の欄」は、大切じゃないかなと思います。調査結果を見ると、ほぼ全ての学校でそうした欄が設けられています。学校によっては、「担任のことば」「はげましのことば」「学校から家庭へ」といった名称になっているそうで、その意味が示されています。

学級担任が、子どもに対して、あるいは家庭に対して伝えたい、担任ならではの言葉で表現したいと思います。
偉そうに言ってますが、私は、学級担任をしていたころ、30人の子どもたちの「あゆみ」をきちんと捉えられていたのかというと反省ばかりですが。

でも、通知表を渡すときに思うのは、こんなことでした。
「どうして子どものことをもっと丁寧に見てこなかったのか。この子の頑張ったことは、もっとあるんじゃないか。この子どものよさが書けない自分が情けない。この子に対して申し訳ない」

そして、
「これからは、この子のことを、もっと、もっと、見ていこう。子どもやおうちの人に思いが伝わるようにしたい」
と、自分の中で誓うのでした。

「つながっていく」通知表になる

十数年前の教育雑誌に、東京の中学校の校長先生が「いい通知表」の条件について述べていました。

「瓜(うり)二つ 友と比べた 通知表」ではなく、「詰まってる 恩師の願い メッセージ」
「ちょっとだけ 見つけて欲しい よいところ」など七か条です。

そして、最後にこう結んでいます。
「いつまでも 私と家族の 宝物」となるような通知表をぜひお願いしたい、と。

通知表を書いた、終わったではなく、様々な意味で、これからに「つながっていく」通知表になるといいなと思います。
そして、そのことは、働き方改革に逆行することではなく、むしろ教師が本来為すべき、子どもを見ることをより深めることであり、指導改善につながることであり、さらに、子どもや保護者と良好な関係を築くことにつながることにもなるのです。

通知表をつくってきた者、現在も教育に携わる者として、保護者の一人としての率直な思いであります。

参考資料
  • 文部科学省教育課程部会:「学習評価に関する資料」2016(平成28.02.23)

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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