2022.10.22
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『つなぐ・つながる』~授業づくり・学級づくり、そして学校づくりの、明日のために~「学びをつなぐ会」

本年度も、後半を迎え、来年度への動きが出てくる学校があるかもしれません。とりわけ、教育課程編成には、十分な時間をかけていくことになるでしょう。一昔前、教育課程のkeywordは、「行事精選」でした。今なら、「働き方改革」ですね。そんな中での取組を「つなぐ」をテーマに振り返ってみたいと思います。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

校内研修は、「学びをつなぐ会」

私が小学校で教務主任をしたころの話です。
どの学校でも、教育課程編成のkeywordは、「行事精選」であり、「やめる・へらす・かえる」が教員の合言葉のようになっていました。

「これは、やめにしたよ」
「これは、このぐらいにへらしたよ」
「これは、こんなふうに変えてみたよ」

各校の教務主任間では、そんな言葉のやりとりが盛んに行われていました。
それぞれの教育現場、「ムリ・ムダ・ムラ」がないかどうかを精査し、学校改善していくことが求められていたのです。

そうした中、私が勤務していた学校では、諸会合を、「子ども」を中心にその名称を変え、統合・精選を図りました。
単に名称の問題でなく、まさにその名称にふさわしい内容を求めていったのです。
その一つ「校内研修」は、「学びをつなぐ会」としました。

学びを「つなぐ」とは、

子どもの「学び」は、その時々、1時間で完結し、途切れていくのではなく、1時間毎がつながりあうことで、豊かになり、深まるものです。
つまり、前の時間と、この時間、そして、次の時間を「つないでいくこと」を大切にしたいと考えたのです。今日、この授業を、明日の次の授業につないでいくために、どのようにすればよいのか、どんな手だてを考えればよいのか。

そのためには、今日のこの授業で、子どもたちが何を学んだのか、どんな思いをもったのか、何をどうしたのかといった子どもの学びをとらえること(「見る」ということ)が欠かせません。
子どもをきちんととらえられなくては、どんな素晴らしい「教材」や「指導方法」があったとしても……ですね。指導法に偏りがちだった研修を、子どもの見取り、子どもの学びを重視する方向へと質的な改善を図ったのです。

子どもを「つなぐ」

次に、AさんとBさん、そして、Cさんといった子ども同士を「つなぐこと」も、教師の役割として重要なことです。一方向でなく、双方向、単一でなく、複雑に「つながりあう」ことで、学びは、深まりと広がりをもちます。

もう二十年以上も前のことになるでしょうか。
茅ヶ崎市の小学校の授業を参観したときのこと。
国語の授業だったのですが、子どもたちが、すごい発言をしていました。

どんな発言かというと、何時間も前の友達の発言内容を引用しながら、
「あのとき、○○さんは、△△って言ってたじゃない。それは、ここでいうと、□□ってことだと思う」というふうに見事につなげていくんです。

本時に至るまでの何時間分かの流れや友達の発言内容が、それぞれの子どもたちの内に入っているのです。
子ども同士がそれぞれの学びをつないでいっているのですね。

教師の学びを「つなぐ」

さらに、もう一つ「つなぎたい」のが、私たち教師の学びです。

経験や授業観、子ども観が異なると、授業研究で学ぶことに違いはもちろんあるのですが、協議でどんなことが共通の話題となり、その授業からどんなことが共通の内容として学ばれたのかを明らかにし、それらを次の授業研究へとつないでいきたいと考えました。
学びを、点ではなく、線にする。子どもも大人も一緒ですね。

当時は、年間6回の授業研究(全体)が計画されていました。それらを「つなぎあう」ことで、一つの授業を、その学校ならではの授業として価値付けていけるのではないかと考えました。

一つの「授業研究」から

さて、この年度のある授業研究(第3学年理科「チョウを育てよう」)では、二つのことが話題の中心となりました(この学校では、理科研究を昭和の時代から続けてきた小学校で、当時、低学年は、生活科を研究領域としていました)。
話題の一つは「生活科と理科、その接続」であり、もう一つは「(子どもの)かかわりを生むこと」、言い換えれば、先ほど述べた「(子どもと子どもを)つなぐ」ということでした。

前者について、語り合いがあったのは、言うまでもありません。

後者について、当時、私はこう考えました。
生活科の観察カードは、主観的な対象への気付きが記述されるものであり、情緒的な側面も含まれるものと考えられます。つまり、「主観に基づく子ども独自の気付き(主観知)」が大切にされます。
一方で、理科の観察カードならば、科学的なものの見方・考え方が培っていくわけですから、生活科における活動や体験をとおした理解や自然を愛する心情が基(もとい)をしながらも、視点を明確にして、観察した事象の差異点や共通点をとらえて記録・報告すること、すなわち、「比較して調べる」ことが求められるのではないかと思うのです。

子どもの側からすれば、生活科であろうが、理科であろうが、生き物を対象として学習することに変わりはありません。
子どもはそれでよいのです。
が、何をねらいにするか、何を身に付けさせるのかという教師の意図を明確にして、授業を創っていくことで、子どもの思考や活動も随分違ったものになると思います。
また、違ったものにしなければ、ならないのです。
でなければ、ねらいは何だったのかを問われるでしょう。

今、当時を振り返ると、理科の授業、生活科の授業、それぞれに、かくあるべきという、教科の本質を、今で言う、その教科ならではの「見方・考え方」、育成すべき「資質・能力」を明確に持っていることが、「生活科」と「理科」をつなぎ、子どもの学びをつないでいくことになるのだろうと考えました。

兎にも角にも、そんな議論が授業研究で語られ、つながっていくとよいのでは、と思いました。

結びに 

一昔前の校内研修の改善について紹介しました。
ちなみに、校内研修の他にも、生徒指導部会と就学支援委員会は、「子どもを語る会」に、職員会議は「子どもの学びを創る会」という名称に変更し、子どもを中心においた会議内容へと創り直していきました。

現在も、学校現場では、「働き方改革」という旗頭の下で、教員の業務についての見直しが続いています。
しかし、教育活動の一つ一つを、本当になくしてもよいか、減らしてもよいのかを、十分に吟味されることを切に願います。

「無理の先に道がある」という言葉も実はあります。
「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という言葉もあるのです。
私は、そんな言葉を支えに、教育と研究に向かいたいと思っています。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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