語るということ
教育実習の季節である。私のゼミ生もお世話になり、学校訪問をさせていただき、学生の授業を参観する。そこで学生に伝えることは、「子どもたちと語り合っているか」ということである。A Iではなく人が人に授業を行うことの大切さを考えたい。
大阪大谷大学 教育学部 教授 今宮 信吾
ことばを育む
通勤バスの中で親子が会話をしている。ひっそりと緩やかな声である。母親が笑顔で何かを語りかける。まだことばがおぼつかない子どもが、喃語で語り返す。その風景がとても美しい。
コロナ禍で話すことが制限された。しかし、眼差しを合わせて相手にだけ聞こえる声で話すことはできる。親子の語りを聞きながらきっとこの子は大事にされ、豊かで幸せな育ち方をするのだろうと想像する。
思いを伝える
教育実習の訪問で、学生たちの授業を参観させてもらう。少しでも子どもたちにわかってもらおうとして、準備周到で臨む。そして、緊張感の中、子どもたちに発問や指示を行う。そんな学生の姿を見ながら、若い頃の自分を思い出す。
指導案通りに進めようとし、少しでも間を開けず、効率良く授業を進めようと懸命だった。しかし、そこに子どもたちに語りかけるという姿勢はどのくらいあっただろうか。目の前の子どもたちの様子を把握して、今、子どもたちが欲していることを語っていただろうか。何よりもちゃんと子どもたちを見ていただろうかと振り返ることがある。
学生たちに、「今日の授業で一番心に残った子どもの発言は何」と問いかけてみる。学生たちは授業が終わったばかりで急に問いかけられて戸惑いながらも、45分の授業をふりかえる。教師にとってとても幸せな時間である。
心をつなぐ風景
社会情勢が不安になり、経済不況の心配もある。そんな時にその不安を解消してくれるのは、人のことばである。テレビ画面から伝わる声に勇気づけられたり、安心感を得られたりすることは多々ある。
テレビでなくとも、1冊の本に心を惹かれることもある。語ると話すは何がどう違うのだろうかと考えてみた。話すは主体である話し手の思いが大切にされるように思う。語るは、聞き手に対する配慮や思いを伝えることが大切にされるように思う。
かつて囲炉裏端で語り継がれた物語もそれがあったのだろう。テレビもゲームもYouTubeもない時代の楽しみであっただろう。
語りを聴く
光村図書の国語の6年生の教科書に「森へ」という説明文がある。最後の段落に、「じっと見つめ、耳を澄ませば、森はさまざまな物語を聞かせてくれるようでした」という文章がある。
私たちは自然からの物語に耳を傾けることが少なくなっているのかもしれない。コロナ感染が落ち着き、日常が戻りつつある。しかし、コロナ禍で得た静かな時間というものの価値と意味を再考してみる必要はないだろうか。
そして、学校で展開される授業という営みが単なる伝達や訓練になっていないかを考え直してみたい。AIが活躍し私たちの生活が便利になる世の中も近い。学校という場所が人間教育の場であることをもう一度思い出したいと思い、明日もまた教育実習や学校現場の訪問へと出かけていく。
今宮 信吾(いまみや しんご)
大阪大谷大学 教育学部 教授
国公私立の小学校で教員を経験し、現在未来の教師を育てるために教員養成に携わっています。国語教育を核として、学級づくり、道徳教育など校内研究にも携わらせていただいております。ことば学びのできる教師と学校づくりを目指しております。
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