2023.10.17
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感謝できなかったことの多さを

届かなかった手紙を読もうとする、みたいな話。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

どうも、今村です。

クラスの掲示物が、ズレちゃっていたり、外れかけちゃったりしてること、あるじゃないですか。そのときに、気付けば自分で直すわけです。
でも、ふとしたときに、たとえばいつもは身の回りの整理整頓がそんなに得意じゃない子が、その外れかけた掲示物をスッと直してくれているのを目にします。そんなとき、本当にありがとう、と伝えます。そして感謝した後に、自分がいったいどれだけのことに感謝できていないのだろう、と不安を覚えたりもします。
自分が見ていないところで、気付いていないところで、自分や自分が大切にするコミュニティに対して、誰かが時間や力を割いてくれている。

感謝できなかったことの多さを、想う。

教育実習に行く側と受け入れる側

教育実習の期間が終わりました。
私の勤める小学校の教育実習は、前回の記事にも書きましたがそれなりに特殊で、1クラスに4〜5人が来る3週間を2セット繰り返します。はじめの5人が3週間過ごして子どもたちと涙の別れをした後、翌週の月曜日から新しい5人がやってきて、また3週間を過ごします。その間、実習生たちの授業がどんどん入ってくるので、自分の授業が1時間もできない日なんていうのもざらにあります。
事前に指導案を何度も確認・修正し、本時を迎え、成果や課題について実習メンバー+私で話し合います。私にとっては、非常に充実した時間ですし、気力も体力も、自分一人でやっているときよりも使います。毎日それなりに、ヘトヘトになります。誰かに併走するというのは、結局そういうことなんだと思います。

僕も大学時代、学芸大学附属の小学校で教育実習をさせていただきました。その時の指導教官に感謝しています。ちょっと言葉には言い表せないほど感謝しています。
1年生のクラスに入らせていただいたのですが、初日に「あなたの言葉はあの子たちに伝わっていない」と、はっきり言っていただいたのを覚えています。それは自分の言葉を見つめ直す大きなきっかけになりました。他にも、至らない点をたくさんたくさん指導していただきました。当時の私がかろうじてできたことと言えば、下を向かなかったこと、毎日元気に学校に行ったことくらいだったと思います。最後の実習日誌のコメントでいただいた言葉は、今でも時折読み返します。それもあって、いつかは学芸大学附属の小学校に行こう、というのが教員になってからの一つの目標でした。拙い指導案やら資料やらが詰まった厚い実習日誌が、今も教室の引き出しに入っています。

無敵じゃない。

自分が実習生を指導させていただく立場になって、だんだんとわかってきたことがあります。
指導教官って、全然無敵じゃないんです。
「何を言ってるんだい」と思われるかもしれませんが、僕はあの頃、指導教官の先生のこと、無敵だと思っていたんです。言ってくださることが一つ一つ自分に刺さりますし、それをしっかり行動でも示してくださっていました。ほんと、すっげぇなと思っていました。
でも、多分無敵じゃなかった。
教える側って、怖いんです。これを言って、伝えて、届くかどうか、わからない。伝えた上で、実習生の中の何かがレベルアップしなかったら、やっぱりそれは教える側のせいになるんです。伝え方が悪いんです。教わる側の課題でしょ、と切り捨てればそれまでかもしれないけれど、それでもなお、何かできることはなかったのか?工夫が足りなかっただけじゃないのか?と自問自答します。
人事を尽くしたと言えるレベルになってなお、ほとんど祈るような気持ちで、「届けぇーーー!!!!」という気持ちで、さまざまなことを伝えるんです。祈ってる時点で、もう無敵なんかじゃないんです笑

感謝できなかったことの多さを

それで、です。僕は指導教官の先生を無敵だと思い込んでいたことによって、随分と感謝し損ねている、多分。
あの時僕が受け止めた言葉は、恐れの中で伝えてもらった言葉なのかもしれない。
あの時僕が受け止められなかった、今は覚えてすらいない言葉を伝えるために、一晩悩んでくれていたかもしれない。
あの時僕に伝えるかどうか迷って、結局飲み込んだ言葉がたくさんたくさんあったのかもしれない。
あの時の僕の目の前で起こってはいても、僕の目には見えていなかった指導教官の先生の「勝負」が、たくさんたくさんあったのかもしれない。

僕はずっと、受け取ったことをバトンに込めて、次につなごうとしていました。
でも、もしかしたら、受け取ることができなかったことを、感謝できなかったことを込めて、次につなごうとすることが、バトンを渡すということの意味なのかもしれない。
だから、それを受け取った瞬間は、そのバトンの意味もよくわからないかもしれない。それを握って、走り出さなければ多分、意味なんてわからない。意味がわかるのは、それを落としてしまった時かもしれないわけで。

でも、大切なことってそうやってつながってきたのかもしれないよな、と思います。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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