2022.09.06
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『つなぐ・つながる』~授業づくり・学級づくり、そして学校づくりの、明日のために~

2学期のスタートは、いかがですか? まだまだ暑い日が続きますが、子どもたちの様子はどうでしょう。まだまだ落ち着かない、乗り切れない子どももいることでしょう。そんなとき。「あわてず、あせらず、あきらめず」という言葉があります。ここは、子どもの姿を丁寧に見ながら、進むべき方向をじっくりと考えていきましょう。そして、その拠り所の一つとして、「つなぐ・つながる」をkey Wordにしてみてはいかがでしょうか。「つなぐ」こと、「つながる」ことは、人の生活の様々な場面で見られること。もちろん教室で、学校で、園で、本当に多種多様な「つながり」があります。今回から、「つなぐ・つながる」をkey Wordにポストコロナ時代に向けた教育で大切にしたいなって考えていることをつれづれ語っていきたいと思います。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

夏休みにどんな出会いがありましたか

園や学校では、2学期がスタートし、徐々に学校生活のリズムが戻ってきた頃でしょうか。
教室の子どもたちは、どんな様子でしょうか?学校は、どうでしょうか?
すでにエンジン全開で前へ前へと力強く進んでいますか?
それとも、ちょっぴり疲れて、ため息を漏らしていますか?
そんなときは、深呼吸。そして、少しだけ夏休みに思いをはせてみませんか?
エネルギーが湧いてくるかもしれません。

あらためて。皆さんは、この夏休みにどんな出会いがありましたか?
出会いとは、「人」「もの」「こと」との出会いです。

どんな「人」との出会いがありましたか? 
例えば、普段会えない知人友人・研究会等で初めて出会った講師や志を同じくする仲間……

どんな「こと」との出会いがありましたか?  
例えば、個人的な出来事・イベント・研修会や研究会……

どんな「もの」との出会いがありましたか? 
例えば、本や映画・ICT機器・食べ物・動物・植物……
考えが貧弱でしょうか?出会いは、もっともっと沢山あると思います。

それらの出会いから、学んだことって、自覚していないだけで、きっと山ほどあると思います。

命のつながりを学ぶ

私個人のことで言うと、何冊かの本と出会うことができました。
中でも、稲垣栄洋が著した『生き物が老いるということ』は、示唆に富み、多様な視点から、考えさせられる良書でした。
稲垣氏は、本書の中で、老いを知る生き物として、3つの「めでたい」植物を紹介しています。

柏餅の「カシワ」は、落葉樹であり、秋になると葉が枯れる。
しかし、冬になっても枯れ葉は、枝についたままで落ちることがない。
だが、春になって新しい芽が出てくると、葉を落とすという。
二つ目の「ユズリハ」は、秋になっても葉が枯れない常緑樹で、冬の間も青々と茂っている。
しかし、春になって新しい葉が出ると、古い葉は、譲るようにして落ちていくという。
最後に、「マツ」。これもまた、古い葉が枯れ落ちていき、新しい葉に代を譲っていく。

いずれも、新しい世代が育ってきて、その命の「つながり」を見届けるようにして、古い世代は落ちていく。
こうして、命がつながっていくことが「めでたさ」の象徴であり、尊いものなんですね。
そして、「老い」は、次世代へと命を「つなぐ」という生き物にとって欠くことのできない使命と深く結び付いているのだと思いました。
また、「つなぐ」ことが私たち一人一人にとっての使命でもあると強く実感した本でした。

なお、蛇足ではありますが、河井酔茗氏による「ゆずり葉」と題する詩が、以前国語の教科書にも掲載されていました。
こんな書き出しで始まる詩を当時担任していた5年3組の子どもたちと読んだのを記憶しています。
ーーーーーーーーーー
子供たちよ。
これはゆづり葉の木です。
このゆづり葉は
新しい葉が出来ると
入れ代つてふるい葉が落ちてしまふのです。
ーーーーーーーーーー

コロナがもたらしたこと

さて、さて、新型コロナウイルス感染症第7波も高止まりの様相を見せ、2学期の学校における教育活動にも影響が不可避の状況となっています。
振り返れば2019年度末、文部科学省から小学校等の一斉臨時休業の要請。
そして、2020年度当初、初めての緊急事態宣言に伴う1ヶ月を超える臨時休業。
コロナとの戦いは、学校や家庭、地域に、社会に、大きな変化をもたらしました。
そして、学校における様々な「つながり」を断ち切ってきたように感じています。
これまで学校が大切にしてきた「つながり」を。

考えてみたい、私たちの様々な「つながり」

例えば、どんな「つながり」があるのでしょうか。そして、どうなったのでしょうか。
具体的に考えてみましょう。

例えば、子どもと子どもの密なつながり。
顔を突き合わせ学び合う姿が教室から消えてしまいました。
教室中が笑顔で溢れる給食の時間は、黙食という味気ない時間に変わってしまいました。
歓声をあげ、思いっきり体ごとぶつかり合う休み時間もなくなってしまいました。

教師と子どものつながり。
どの授業でも子どもに寄り添い、支えていこうとする光景が見られなくなりました。
直に対面し、お互いの表情を感じ取りながら対話する姿も。
教師が子どもと向かい合おうとするとき、妙に距離をとりながら、透明なシールドで遮られてしまいます。

「人は、人を浴びて人になる」
作家 故草柳大蔵氏の言葉ですが、まさに子どもも教師も、人を浴びて人となっていくのです。
人が人と直に相対することこそが人としての成長を促すのです。
これらのつながりは、なくしてはなりません。

そして、学校と地域のつながり。
地域の方々が学校に、教室に入って子どもの学びを豊かにしてくれたり、かかわることのよさを実感させてくれたりしたのですが、今や、学校へ入ることも遠慮願うことが多くなり、子どもにとっても教師にとっても、すっかり遠い存在になってしまいました。

まだまだありそうな「つながり」
さて、どのような「つながり」が、授業づくり、学級づくり、そして、学校づくりでは、必要なのでしょうか? 大切なのでしょうか?

様々なつながり、AとBの「つながり」について具体的な事例をもとに次号より語ってみたいと思います。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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