2022.06.17
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陰で悪いことではなく、いいことを言えたなら

陰口って、「その人のいないところで、悪口をいうこと」らしいんですが、「陰」は「その人のいないところ」を指すのか、「悪」の部分を指すのか、いまいち理解できていません。「その人のいないところで、褒めることをいうこと」は、陰口と言っていいんでしょうか?「陽口」とでも言えばいいんでしょうか?

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

「学校を休む」ときの感覚

前回「先生は、『みんな』で遊ばせようとしないんですね」の文章で、「風邪をひいて学校を休みになった日は、布団に横になって、天井の板の木目を目で追いながら、麺棒で薄く引き伸ばされたような退屈な時間を、なんとも言えない寂しさと共に過ごしていた覚え」がある、と書きました。

これは、僕の中ではかなり色濃く残っている小学校時代の体感です。もちろん、僕と同じような感覚をお持ちの方もいれば、全く違うような感覚をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、「学校を休む」ということには、何かしらの個人の「色濃い感覚」があるように思います。

今、教室で一緒に過ごしている子どもたちにも、「学校を休む」ということについては様々な捉えがあるのだろうなぁ、と思っています。

「いないときにどうするか」

子どもが学校を休んだ時に、自分がクラスの中で必ずやっていることがあります。それは、その子の素敵だなぁと思うところを話したり、褒めたりする、ということです。
そうです、その子のいないところで、勝手に素敵だと思うところを話したり、褒めたりします。そういう言葉は、その子のいるところで、直接伝えてあげたほうがいい、と思われるかもしれません。それも、その通りだな、と思います。

ただ、ここで僕が問題にしているのは、「その子がいないときに何をするか」ということです。「それはいるときにやったほうが」という話ではなく、「いないときにどうするか」という話なんです。
「自分がいないところで、自分の陰口を言われているんではないか」と不安になったことがある人は多いと思います。僕もそうです。まぁ、実際には僕の単なる気にし過ぎで、僕のことなんて全く話題に挙がらない、ということが殆どだと思いますが。

ただ、「陰口を言われているかもしれない」と想像するのは、ただでさえ体調を崩したり、なんらかの不調を来したりしている子どもたちの小さな体や精神には、大きな負担としてのしかかってくるのもまた事実ではないでしょうか。

では、もし自分がいないときに、仲間が自分の陰口ではなく、いいところを言ってくれていたら、と想像してみました。ちょっと、嬉しくないですか?
自分が休んでいる時に、仲間が自分のいいところを言ってくれていると信じることができたら、ずいぶん心が軽くなる気がしたんです。だから、「その場にいない人のことを、褒める」ということを、いつからか始めました。

友情を感じたっていいじゃないか

そういうことを続けていると、見えてくる子どもたちの姿や、自分の中での発見がありました。
まず、僕が勝手に、その日休んだ子のいいところを「いや〜、今日寂しいよね〜」なんて具合に話し始めると、クラスの子たちの何人もが、一緒にその子のいいところを言ったり褒めたりしてくれるようになります。「それまで気付いてなかったあの子のいいところ」を知る機会を得る子たちもたくさんいるわけです。

で、休んでいた子が翌日元気にやってくると、周りが「昨日ね、こんな話したよ」と伝えてくれることがあります。そうして、少し照れ臭そうで、でもやっぱり安心した嬉しそうな表情をこぼして、学校での日常に戻っていきます。
勿論、休むということが嬉しい出来事になる、とまでは言えませんが、自分が物理的にチームの中にいられないときも、自分のどこか一部はチームの中にいる、と感じられる、信じられることは、きっといいことなんだろうと思っています。

自分の中で発見だったことは、あくまで僕自身の体感でしかないのですが、「そこにいない人を褒めるときには、『評価』的な視点ではなく、『信頼』や『友情』を基に話している」ということでした。

面と向かっている時って、なんだか色々考えてしまって、教師としてその子を評価するようなことを言う(言ってしまう)ことも多いんですが、そこに相手がいない時には、僕の場合はもう「信頼」や「友情」を基に語るしかなかった。自分の大切な友人を紹介するような感覚で話していたんですね。教師と児童は友達ではない、と言われればそうなのですが、でも友情を基に子どものことを語っている自分の言葉にも、確かに価値はあるんだ、と気付くことができた。

大人になれば当たり前の話ですが、誠意というのは、信頼というのは、その相手の目の前でどうするかというだけの話ではなく、その人と一緒にいないときにどれだけ相手を想像して行動できるかということに関わってきます。

相手に対する誠意の示し方、信頼や友情の築き方をはじめから知っている人間はいません。子どもたちがそれを学び取っていく過程に、自分という存在が少しでも役に立てたら、と思います。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年務めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきてあっという間に5年が過ぎ、教員11年目を迎えました。教室で、目の前の人たちと、基本を大切に、一緒に過ごしていたいと思っています。

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