2022.05.10
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「自動運転モード」の言葉

前回は「顔が見える」文章がテーマでしたが、今回は「自動運転モード」の言葉です。

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭 今村 行

10年ぶりに1年生の担任に

どうも、今村です。
新学期になって、早くもひとつきほど経ちました。今年度は、10年ぶり、教員としての1年目以来、2度目の1年生担任をしています。初任の時に、右も左もわからずに小学校にやってきて、怒涛のように入学式準備をして、子どもたちと出逢って、正直その時期の記憶が曖昧なのですが、とにかく久しぶりに1年生の担任をしています。

中学年、高学年の担任になると、子どもたちと出逢って、その子たちそれぞれの持っている個性というか、考え方というか、雰囲気というか、そのようなものも感じるのですが、それと同時に「その学校で培われてきたもの」とでもいうようなものが、個人というより学級というチーム全体に感じられることがあります。学校文化というか、学年、学級文化というのか、集団として重ねられた経験や時間が、雰囲気として感じられます。

学校文化、学年、学級文化というものは思考のテンプレートのようなもの、と言ってもいいかもしれません。例えば、手紙やノートなどの配布物を教員や仲間から受け取った際、「ありがとね」とサラッと言うことがクラスの文化になっていることってありますよね。配布物を配ってもらってありがたいという気持ちと、それに対して感謝を口にするということがお互いの心地よさになる、ということがクラスの共通認識になり、段々と「当たり前」のことになっていきます。思考に染み込んでいく、というか思考の回路として登録される、というか。ある意味で、「自動運転モード」に入るんですよね。これは学習とも呼べるし、成長とも呼ぶことができると思います。
それがやがて、チームを離れても自分のもの、自分の血肉となっていく。これは学校に限らず、習い事や、家族なども一つの集団として捉えて、同じようなことがあるのだと思います。

それで、今回1年生を担任させていただいてハッとしたことなんですが、この子たちには「小学校」という集団としての時間が、まだゼロなんです。集団という中で何かしら感じられる文化のようなものが、まだ全くないんです。学校が育んだ「自動運転モード」がまだない。
当たり前のことなんですが、そのことに随分びっくりして、面白さを感じました。
だから、一人一人の行動が、剥き出しというか、いい意味で願いをストレートに形にしている姿もたくさん見ることができて、それぞれの子たちが全く違って見えました。なんというか、こんなに早く学級全員の名前を覚えられたのは初めてかもしれません笑

「自動運転モード」を自分は自覚していただろうか?

色んなことを学び、それが思考に染み込んで言葉になる、ということはいいことも多いですが、おや?と立ち止まらざるを得ないこともあります。
例えば、ある子がちょっと悪ふざけをしていて、仲間に迷惑をかけてしまうということがあります。その時、「ごめんね」という言葉をその子が口にすることがあると思うのですが、それがなんだか「自動運転モード」の中から出てきた言葉だな、と感じられることがあります。「自動運転モード」に入ると、ある意味、思考をすっ飛ばして「ごめんね」と言ってしまう。「こういうときは謝るんだったな」と、過去の経験をもとにして「ごめんね」という言葉を出してしまう。もしかしたら、その子は目の前で起こった事実を見て「ごめんね」と言っているのではなく、過去に自分が何かをして誰かに強く叱責されたときのことを思い出して、そのイメージに対してとっさに「ごめんね」と言っているのかもしれない。そういう時、瞳が今、目の前のもの以外のものを見ているな、と感じられることがあります。
それって、謝ってないですよね。

一度、思考の「自動運転モード」に登録されると、それは随分強い効力を持つように思います。それが誰かを喜ばせたり、幸せにしたりするものであれば、否定されるべきものではないと思うのですが、その「自動運転」が誰かに対して不誠実になってしまうことも、確かにあります。

これは何も子どもたちを非難したい、ということではないんです。自分自身もそのような、よくない「自動運転モード」の言葉を使っていることが確かにある、という自覚があるから、ここまで詳しく喋ることができてしまっているんです。むしろ、子どもたちよりも、時を重ねてきた分、僕の「自動運転モード」は根が深いかもしれない。

その「自動運転モード」を解除して、もう一度思考し直すことは、随分疲れるし、しんどいことかもしれません。
でも、子どもたちと一緒に、思考を深めていこう、彼らにとって大切な文化を、一つでもつくり出そうと願うならば、大人の自分こそが、向き合わなければならないことだと思っています。

そういうことを、1年生のみんなに気付かされた4月でした。

今村 行(いまむら すすむ)

東京学芸大学附属大泉小学校 教諭

東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、東京学芸大学附属大泉小学校にやってきて今に至ります。教室で目の前の人たちと、基本を大切に、愉しさをつくることを忘れずに、過ごしていたいと思っています。

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