2022.05.09
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教師の五感を磨く 『嗅覚』を磨く 学級の危機を嗅ぎ取る教師の感覚(10)

「教師の五感を磨く」
今回は、「嗅覚」を磨くについてつれづれ語ってみたいと思います。「臭い」っていうとマイナス印象ですが、授業づくりや学級づくりを進めていく上で、危険な「臭い」を感じ取っていく「嗅覚」は、日々磨きをかけておきたいと思います。どんな学級も、一年間の学校生活の中で、いいときもあれば、そうでないときもあります。一年間、子どもたちが愉しい学級生活を送る、そのための感覚の一つだと思います。一緒に考えてみましょう。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

臭いを感じ取る嗅覚は大事!

教師の五感を磨く、「聴く」ことからスタートしたつれづれ日誌も、「見る」、「味わう」と進めてきました。そして、今回は、四つ目の「嗅ぐ」ことについて考えてみたいと思います。
しかし、一般に、五感の中で、見る目や聴く耳、味わう舌は、重視され、どちらかと言うと臭いを嗅ぐ鼻は、軽視されているように思います。

「見えない」、「聞こえない」っていうのは、即、日常生活をする上で大きな障害となりますよね。でも、臭いが感じられないからと言って、それほど敏感にならないように思うのです。
「嗅ぐ」とは、感覚器で言えば、鼻を使い、様々な種類の臭いを感じ取っていくことです。ただ、この「嗅ぐ」という言葉には、「隠れた事実を探り知る。探り出す」という意味も含まれています。ですから、「嗅ぎ分ける」といった場合には、臭いに関する意味、「においをかいで、対象の違いを識別する」こともある一方で、「小さな違いに気づく」ことも挙げられます。

学校で言うならば、いつもと違うなっていう教室の雰囲気、今日は違うぞっていう子どもの表れ、何か変だぞという施設設備の状況等々、学校における様々な場の臭いを敏感に感じ取っていることが、教師にとって大事なことかなと考えます。
すぐには、困らない「臭覚」。でも、それは、なくてはならない大切な感覚だと思います。

教師自身が臭いに敏感になる

では、具体的な3つの場面を取り上げながら、どんな臭いに敏感になるべきかを考えてみたいと思います。教師自身が臭いに敏感になる、危険信号を感じ取ることが必要です。今回は、授業における危険な臭いに絞って考えてみたいと思います。

学校で、教室で行われる教育活動で、最も重要であり、多くの時間を割いているのが授業です。その授業における危険な臭いって何でしょう。私が考える臭いは、次の3つです。授業を参観したり、自分自身が授業をしたりしているときに感じていることです。

(1)子どもの発言に対する子どもの反応として、「いいです」「合ってます」という声を聞きませんか。

子どもたちが授業で発言する機会は様々あります。手を挙げて発言、指名されて発言、席順に発言。いろんな形で自分の考えを友達や先生に伝える場があるのです。

Aさん:「○○○だと思います。」

これに対して、他の子どもたちは、どう反応するでしょうか。

子ども:「いいです!」や「合ってまあす!」、「同じです!」

そんな声を聴くことがあります。
教室でルールを決めているかも知れません。学級担任の先生の指導がなされているかもしれません。
でも、考えてみてください。
発言内容が、○か×かで言えるようなものばかりでしょうか。いろんな思いや考えを、子どもたちは、持っています。それを、「いい」「同じ」といった単純な言葉で返していいものでしょうか。

もしそれが正答であったならば、先の反応があっても発言した子どもは、胸をなでおろして「よかった、よかった」となるのかもしれません。しかし、誤答がはっきりしていた場合は、発言者は、全否定される形になります。
否、聴いている子どもたちも、「違ってます」等言いづらくなるのかも知れません。

そもそも「いいです」「合ってます」「同じです」等と言う大合唱は、多様な考えを押さえ込んでしまう、個の考えを軽視することにつながる危険な行為であると思うのです。
発言に対して、反応することは大切なことだと思います。発言して無視されたら、それこそいたたまれなくなります。しかし、どのように反応するかは、子どもたちとよく考えていく必要があります。

(2)先生が「分かりましたか?」という言葉を発していませんか。

よく授業の中で、授業以外でも、聴かれる言葉です。
でも考えてみてください。
「分かりましたか?」って言われて「分かりません!」という言葉が沢山返ってきたら、それは、教師自身の指導や話のまずさ以外何物でもないと思うのです。

子どもたちは、教師の思いを忖度して、「はい!」「分かりました」と応えてくれます。
でも、実は、何も分かっていなかったり、分からないことがあったりする場合が少なくないのです。

でも、それは正直に言えない。そんな空気を教室や先生から感じ取っているのですね。このことは、先生の指導性によって、結構大きな影響を受けているだろうと思います。
ですから、私は、「分かりましたか?」とは聴きません。「分からないことはありませんか?」と聴きます。それでも、正直に言いにくい子どももいることでしょう。

先生に対して、分からないことが正直に「分からない」と言える、友達の発言に対して、自分の思いを正直に語れる、そういう関係づくりや教室づくりが健全な状態と言えるのではないかと思います。教師のちょっとした一言ですが、子どもの何気ない返しの言葉ですが、敏感に感じ取っていきたいと思います。

(3)教室での授業で、喉が痛くなるような大きな声で話していませんか。

こえのものさし(筆者作成)

これは、教師にも子どもにも言えることです。教師も子どもも声が大きいことはいいことだ、そんなふうに考えている先生がいるかもしれません。大きな声が出せることは必要なことかもしれませんが、いつも教室で必要かというとそうではないと思います。「喉が痛くなる」ということは、無理があるということでしょう。

自然な声の大きさで話し、それが子どもに伝わることが大事です。学校や教室によっては、「声のものさし」という掲示物を目にすることがあります。TPO(時間・場所・場合)によって、声の大きさを使い分けましょうと、子どもの指導の目安にするものです。
先生自ら、大声を張り上げていては、いけませんね。

先生が大きな声を出すというのは、いろいろな場合があると思うのです。例えば、こんなことが考えられます。

① ついつい力が入って声がおおきくなる場合
② 子どもたちが聞いていないので、大きな声で話してしまう場合
③ 子どもが話しているため、大きな声を出してしまう場合

こんな場合には、以下のことに心掛けたいですね。

①は、自身の心掛け、間を取って、一呼吸ついてから話し出すとよいでしょう。
②は、子どもを注目させる手立てが必要です。
③は、②と重複するところもありますが、子どもの話を聴き、受け止めた上で話しはじめるとよいでしょう。

①~③の状態が続けば、教師は、常に子どもに対して大きな声を出し続けなくてはならなくなりますし、さらに子どもの聴く力は育っていかないでしょう。
教室で授業を行っていて、「ちょっと喉が痛いぞ」と感じたら、黄色信号です。危うい臭いを自ら感じ取っていきたいものです。特に、この1学期はじめは、気を付けたいところです。

結びに

驚くことに、アメリカのある研究グループの報告によれば、嗅覚を完全に喪失すると5年以内に死亡する率が他のどの疾病より高いというのです。その原因はわかっていないようですが、嗅覚を失うと、多くの人がとても不安感を感じるというのです。

授業づくりにおける危険な臭いに敏感になる。教師の臭覚を磨くことを大切にしていきたいと思います。油断すると、感覚は、鈍くなってしまいます。私も日々精進、気を付けなくてはなりません。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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