2021.08.30
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授業は、お父さんやお母さんのお説教!?それともカタルシス?

巨人の肩に乗り、そこから見える前後の景色をみなさんと共にする連載「温故知新」の8回目です。
今回は教育哲学者の林竹二(1906 - 1985)。子どもの声に裏打ちされた氏の信念から
現代の教育課題のヒントを探っていきましょう。
今回は『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』林竹二著、筑摩書房(初版1977年)から、教育の本質を考えます。教育の本質を考える際に3つの観点を設定しました。
1. 授業とは
2. 深い学びとは
3. 発問とは
それぞれの観点に合う内容を書籍から引用します。GIGAスクール構想や個別最適な学び・協働的な学びの実現は授業の様態を変えていきます。しかし、一度立ち止まって、「そもそも」を大切に再考してみたいのです。

高知大学教育学部附属小学校 森 寛暁

授業とは?

林竹二氏によれば、
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授業というものは、子どもたちが「子どものたちだけでは到達できない高みにまで、自分の手や足を使って登って行くのを助ける」仕事なのです。
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ここで注目したいのは、「助ける」という表現の意味です。具体的に「助ける」行為を「子どもの発言の吟味」であると言っています。
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子どもの発言をきびしく吟味にかけるということが授業の中心でなければならない。
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子どもの発言を受けて、ただ単に認めたり、価値付けたりするだけではダメだと言っているわけです。

深い学びとは?

では、次に深い学びについてです。
深い学びという表現はありませんが、深い学習という言葉が出てきます。
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多弁と深い学習とは、むしろ相容れない。子どもの発言の量で、学習参加の度合いが量れると考えるのは、子どもに深い学習をさせた経験がない人間でしょう。
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なるほど納得できますね。活発に発言しているからといって、関心意欲が高いと決めてはいないということ。今回の学習指導要領の主体的な態度の内容とも一致します。発言だけでなく、ノート記述を基に子どもの変容をしっかり見取ろうということです。

発問とは?

そして、発問についてです。
「脱発問」の視点から「教師の持続可能な技術」を考えている私にとって、ぐらぐらと音がなるような刺激を受けました。
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発問は授業を進行させるための手段にすぎない観があります。しかし発問は本来、外にあらわれない子どもの内部にさぐりを入れるための作業なのです。
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つまり、教師の発問によって、子どもの声を吟味する必要があり、それが授業だといっています。
林竹二氏の授業観はすでにそれ自体が深い学習になっていて、子どもの発言を吟味することが大事だということです。その際の教師の働きかけとして発問がある。そういうことだと思います。

最後に、授業は、お父さんやお母さんのお説教ではいけない。授業はカタルシス(浄化)である。このような言葉も綴られています。

森 寛暁(もり ひろあき)

高知大学教育学部附属小学校
まっすぐ、やわらかく。教室に・授業に子どもの笑顔を取り戻そう。
著書『3つの"感"でつくる算数授業』(東洋館出版社

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