公立小の1年生に「話し合い」のお手本を見た話
ごく普通の、ある小学校の、1年生の教室で起きたエピソードをご紹介します。
今の教育はダメだとか、今の子はダメだとか、そういう論調は、いつも世の中にあふれていて。
逆に、子どもはいつの時代もすごくて、それに比べて大人はダメだっていうのもよく聞く話で。
でも、このエピソードを知って、「もう、そんなこと、どうでもいいや」って思いました。
現実は、こうして評論とは別のところで動き続けているのだから。
東京都内公立学校教諭 林 真未
『うっせえわ』は学校で聴くべき歌じゃない。
コロナ禍になってから、歌うことを禁止されている子どもたち。
毎月のお誕生日会でも皆で歌えないので、そのクラスでは、お誕生日を迎える子のおススメの歌を、皆で聞くことになりました。
ある月、お誕生日を迎えたおませな男の子が、Adoの『うっせえわ』を皆に聞かせたいと言いだし、クラスがざわつきます(たとえ1年生でも、皆、学校ではフォーマルであらねば、とわきまえているんです)。
すかさず、その建前を堅守したい、一人の男の子が手を挙げて発言しました。
「あの歌は悪い言葉が出てくるから、誕生日に流さないほうがいいと思います」
真面目な女の子たちも、追従します。
「『うっせえわ』は、学校でみんなで聴く歌じゃないと思います」
「もっと、『みんなのうた(小学生用歌集)』に載っているような歌を選んでほしいです」
でも、誕生日の子のための会だから。
密かに『うっせえわ』を聴けたらいいなあと思っていた子もいたかもしれません。
けれど、「学校には不適切」という正論の前に「聴きたい」と主張するための理由が見つかりません。
「えー、なんでだめなんだよう」
掟破りに『うっせえわ』を聴きたいと主張した子は、思わぬ流れに、諦め顔。
『うっせえわ』はこのまま却下となるはずでした。
しかしそのとき、スッと手を挙げた女の子がいました。
彼女は、こう発言したのです。
「『うっせえわ』は悪い言葉が出てくるから、聴くのが嫌な人もいるかもしれないけれど、お誕生日会は、その月のお誕生日の子を祝う会だから、その子が聴きたい歌を、聴かせてあげたほうがいいと思います。私も、そんなに好きじゃないけど、我慢して聴いてあげたいです」
これに勢いを得た賛成派は、次々と賛同の意を表しました。「ぼくも同じ意見です」
「お誕生日だからいいと思います」
「1回だけなら学校で聴いてもいいと思います」
そこで、先生が決を採ると、反対派だった子たちまで、その優しい意見に動かされ賛成派に変わり、賛成多数で『うっせえわ』を聴くことになりました。
ぼく『夜に駆ける』でいいよ
しかし、話はここで終わりません。
念のため、先生が、反対派だった子たちにこの結論でいいかどうかを確認すると、皆大きくうなずきましたが、最初に言い出した男の子だけは、どうしても納得しません。
「ぼくはやっぱり、あの歌は学校で流さないほうがいいと思う」
と言い張ります。
子どもたちは「決まったんだからもういいじゃないか」と言わんばかりで、今度は、その子が孤立無援の雰囲気に。
けれど仕方がありません。
『うっせえわ』は学校には不適切かもしれないけれど、「お誕生日の子の気持ちを優先しよう」というのがクラスの総意です。
そこで先生は、
「今回は、意に沿わない結果かもしれないけれど、みんなの意見で決まったことなので、我慢してください」
と反対派の男の子に話しかけました。
その子はそれでも、納得いかないという顔で黙っています。
すると、その様子を見ていた『うっせえわ』を聴きたいと言いだした張本人が、意外なことを言いだしたのです。
「あのさあ、ぼく『夜に駆ける』でいいよ。それ2番目に聴きたいから」
彼は、反対派の男の子に尋ねました。
「ねえ『夜に駆ける』なら大丈夫だよね」
予想外の展開。大どんでん返しです。
なんとも言えない顔でうなずく、反対派の男の子。
先生が尋ねます。
「あんなに聴きたがっていたのに、それでいいの?」
彼は応えました。
「うん! だって、さっきは、ぼくが1人だけ意見を聴いてもらえなくて嫌だったけど、今度は、このままだと、1人だけ我慢して歌を聴くことになっちゃうでしょ。それより、全員がいい気持ちで聴けるほうがいいでしょう?」
こうして最終的には、お誕生日会では『夜に駆ける』をクラスで聴くことになったそうです。
まだまだ話は終わらない
このエピソードに触れて、1年生の子どもたちでも、様々なことを配慮して、お互いを思いやり、少数派も蔑にせず、こんなに見事に「話し合い」ができるんだと、私は驚きました。
この仕事をしていると、子どもの凄さに驚かされてばかりです。
……と、せっかく素敵なエピソードを紹介したのだから、ここでスッキリ終わらせればいいのに。
ごめんなさい。もうちょっとだけ言いたいことがあります。
この素晴らしい「話し合い」が実現したのは、事前に、
・自分の意見とその理由を頭の中でまとめてから手を挙げる。
・指されたらみんなに聞こえる声で発表する。
・人の話は最後までよく聞く。
等の、話し合いの作法を、子どもたちが身につけていたからだと思います。
そして、それは何も特別なことではなく、日本全国、どの学校のどの低学年担任でも、教えていること。
つまり言いたいのは、「話し合い」ができる子どもたちも素晴らしいけれど、その土台を作った大人(先生)も捨てたもんじゃないってことです。けれど、それは当たり前すぎて、わざわざ取り上げられることはない……。
もっと言えば、これに類する素敵なエピソードだって、きっと各地の小学校で毎日のように生まれているはず。
私が、皆が、知らないだけ……。
関連リンク
林 真未(はやし まみ)
東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事
家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/
同じテーマの執筆者
-
静岡市立中島小学校教諭・公認心理師
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)