2021.07.09
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

教師と子ども どっち?~授業録画でふり返り~

コロナの影響(?)か、この1年余り補習校の授業はオンライン授業だったので、自分や他の先生の授業録画をたくさん見ることができました。

今回はそこからの気づきの一つです。

私が特に注目していたのは......

ユタ日本語補習校 小学部担任 笠井 縁

長く話しているのはどっち?

私の理想は、「先生の話している時間<子どもの話」している時間です。これはなかなか難しいものです。活動の進め方の指示や連絡事項も含め、それでも子どもたちが話している時間の方が長いというのを目指しています。
目指している途上なのでできている訳ではないんですが。もっと極端に大胆に言ってしまえば、「あの先生、何もしていないじゃない?」という位が理想の最終形態です。

先生が話す時間を縮めるには、まず指示が簡潔明瞭であることが第一条件になりますね。これは目に見える指導技術の範疇です。よくあるのが「教科書〇ページを開きましょう」という指示が一度で通らない。ここで「先生の言う事をきちんと聞いていた人はできているはず」と子どもに責任転嫁をするのはいただけません。まず先生自身で、クラス全体が自分の方に注意を向けているか確認し(または注意を惹きつける段階を経て)、その上で指示を出す必要があります。もっと遡れば、先生の話を聞きたい、聞かなくてはという意識や姿勢が子どもたちの中に育っているという前提条件も見えてきます。

似たようなケースでは、同じ質問を違う児童が何度も訊くので授業がなかなか進まない。これはつまり、児童が先生の話を聞いていないだけではなく、お互いの話やクラスの話し合いを聞いていないという事ですね。

丁寧な指示出しや指導というのは、言葉でつらつらと説明する事でも、教師や大人が作業の遅い子を手助けをする事でも、速い児童に遅い子を手伝わせる事でもないと思うのです。一人ひとりが自立できるように、子どもたちの様子をよく観察し、最適なタイミングで彼らに分かりやすい言葉で伝える。指導力のある先生はこういう丁寧な手順を内在化して(一見見過ごしてしまうほど自然に)おこなっているのです。

問いを発するのはどっち?

さて次に、話し合いなど授業の中心部分で子どもたちの発言をどう増やすのか、つまり活性化させるかです。発問が大切、とはよく耳にしますね。子どもたちの興味を引く発問、学習内容が自分事と思えたり生活に結びつくような発問。そういう良い問いを見つける為に、私たち教師は日夜頭をひねる訳です。また子どもたちがあまりノッてきてくれないという悩みも聞きます。

理想は子どもたち自身から問いが生まれることだと思うのです。「問うことを学ぶから学問」という事を私は心に留めています。だから学びの一つの到達点は、自分の問いを見つけられることであり、問うことが出来ればその答えがすぐに見つからなくてもいいとも思っています(また答えがすぐに見つからなくても探求を続けられる人にもなって欲しいとも思っています)。

今年の小4クラスでは、毎週(補習校ですから授業は週1日のみ)一つの都道府県について調べ記録しています。「今週の都道府県」を白地図上に見つけ色を塗っていて、各自12色ほどの色鉛筆を使って毎週違う色で塗っていました。5月の半ば、いつものようにみんなで色を塗っていると、一人の児童が「あれ~、先生困ったな」と言うのです。
「違う色で塗っていると、色鉛筆が足りないよ」
これはチャンス!と思い、クラス全体に「そうだよね。なんだか12よりもいっぱいあるみたい。都道府県は全部でいくつあるんだろう」と投げかけてみました。

クラスの大半が「ハッ!」と何かのスイッチが入ったように白地図の都道府県を数えだします。そしてしばらくすると読書家の物知りの子が「たしか47とかって聞いたような……」と100%の確信を持てないままにポツリと言います。悪魔の代弁者の私は「そうなんだ。47か~。本当にそうかな~」と知らん顔。その熱中度が少し下がってきた頃に、47都道府県の事実を伝え確認しました。

これは決して私が計画した訳ではないのですが、ある児童の気づきからクラスみんなで「都道府県は全部で47」という結論まで辿り着けたワクワクした時間でした。

教師=脚本家、あくまで裏方でありたい

想像してみてください。教師が「都道府県は全部でいくつあるでしょう」と問い、もの知りさんが「47です」と答え、「そうですね」と確認して終わり。は~、つまらない!もの知りさんはもともと知っていたことをたった一言発しただけ。他の子どもは聞いていただけ(聞いているかどうかも怪しい)。これは極端な例ですね。

私の理想像は、ただ無計画に子どもたちに委ねるという意味ではないのです。自主性の誤用も避けたいところです。

子どもたち自身の中に問いや興味が浮かんでくるような、映画やドラマの脚本に例えれば伏線をたくさん張り巡らせ、小ネタを仕込んでおくこと。子どもたちがその小さなヒントに触れ「あれ?」と思った瞬間を見逃さないこと。そしてどんな「あれ?」でも声に出していいというクラスの雰囲気作り、子ども同士の関係づくりのお手伝い。そんな目に見えないことの積み重ねで「子どもたちだけワイワイ話していて、あの先生、何もしていないじゃない?」と一見思われてしまうようなクラスになったらいいと思いませんか?

関連リンク

笠井 縁(かさい ゆかり)

ユタ日本語補習校 小学部担任


アメリカの小さな補習校で多文化の中で成長する子どもたちと一緒に学んでいます。アメリカの現地小学校でも非常勤で子どもたちと接し、日本との違いに驚くこともありますが、子どもたちの学びの過程には共通する部分も多いのではないかと思っています。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop