2020.05.07
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初めての演劇発表会

初めて小学生に演劇を教えた頃のことを紹介します。一つのことを始めるのは、大変なエネルギーが必要ですが、いろいろな人に助けてもらいながら、何とかやり遂げることができた喜びは、かけがえのないものになりました。

尼崎市立立花南小学校 主幹教諭 山川 和宏

演劇クラブを立ち上げる

初任校に配属されてすぐに、どんなクラブを担当できるのか、教員向けのアンケートがあった。小学校では、クラブの種類がずっと固定されているわけではなく、年度ごとに教員にアンケートをとって決めることが多い。私が配属された学校に演劇クラブはなかったが、ソフトボールやテニスなどの球技とともに自分が指導できるクラブの1つに演劇を挙げていたので、クラブ活動の担当の先生から「演劇クラブを立ち上げてみないか」と声をかけてもらい、スタートさせることになった。

小学校の演劇クラブは、中学校などの部活動と違い、45分ほどの活動を年に10回程度行う。限られた時間しかないので、当初は「演劇的な手法を取り入れたゲームをして、演じることを楽しんでもらえればいいかな」といった程度の漠然とした考えを持っていただけだった。何はともあれ、4~6年生の子どもたち10名と演劇クラブの活動を始めた。

演劇発表会へ初めての参加

1学期も半ばを過ぎた頃、秋に行われる「尼崎市小中学校演劇発表会参加校募集」の案内をもらった。演劇クラブの子どもたちに紹介したところ、「ぜひ出たい」という。ならば「出てみよう」と軽い気持ちで決めたが、これが大変な道のりの始まりだった。 

何しろ、こちらは小学校に赴任されたばかりの未熟な初任者である。学級経営もままならない上に、初任者研修や小規模校ゆえのたくさんの校務分掌などが重なり、毎日が綱渡りだった。おまけに、子どもたちにとっても、指導する私にとっても初めての経験なのである。今思えば、無謀というほかない。

それでも、やるからには子どもたちに演劇発表会を成功体験にしてほしいという思いがあった。先輩の先生に「何をもって成功というのか?」と訊ねられて、「最後に子どもたちがやって良かったと思ってもらえたら、成功です。さらに観てくれたお客さんが喜んでくれたら、大成功です」と答えた記憶がある。

成功させるためには、まずは練習時間を確保しなければならなかった。前述したように、クラブ活動の正規の活動時間は年間10回。つまり月に1回足らずである。だが、それでは劇は作れない。そこで、夏休みに2週間ほどの「演劇教室」を開き、2学期に入ってからは休み時間や放課後に練習時間を設けた。さらに、土日も練習にあてた。今思えば少々やりすぎに思えるのだが、当時はがむしゃらだった。何の見通しも持てていなかったが、時間と手間だけは惜しまなかった。幸い、子どもたちは楽しんで活動してくれたので、こちらが無理矢理やらせる活動にはならなかった。

演目は「オズの魔法使い」にした。上演時間は1時間ほどである。キャスティングは、子どもたちの個性に合わせて、自然に決まっていった。

役が決まると、いかにその役になりきって演技をするかということを子どもたちに考えてもらった。役になり切るためには、舞台に登場してから演技を始めていたのでは遅い。舞台の上に登場するまでには、どんなことをしていたのか?例えば、走って登場するのなら、どのくらいの距離をどのくらいのスピードで走ってきたのか?息は上がっているのか?汗はかいているのか?季節によっても、天気によっても変わってくるだろう。また、それらのことを考えるためには、劇の世界の地図が必要になってくる。じゃあ、どんな世界が舞台なのか考えてみよう……。そんな感じで、一つ一つのシーンがリアルになるように試行錯誤しながら創っていった。演技をリアルなものにしていくためには、一つ一つの嘘をそぎ落としていく作業が必要である。その上で、役に気持ちを乗せていく。そういう視点で演技を考えるように指導した。

困ったのは、ミュージカルということで、歌唱指導やピアノの伴奏が必要なことだった。自分にはとてもできなかったので、音楽の先生に頼んだら快く引き受けてくれて、熱心に指導してくれた。小道具や衣装づくりは、先輩の先生や保護者の方たちが手伝ってくれた。音響操作は、演劇クラブに入っていない子が手を挙げて手伝ってくれた。他にも面白そうと思ってくれた子が途中から何人も参加してくれた。声だけの出演だったが、校長先生にも出てもらうことができた。いろんな人を巻き込んで、一つの作品を創り上げることができた。

余談だが、自分は「教師の仕事の一つは、コーディネーターたること」と常々思っているのだが、いろいろな人に力を借りていく経験は、その後の教師生活に大いに役立った。

いよいよ発表会当日

演劇発表会当日。私自身があまりに緊張していたためか、実はよく覚えていない。ただ、たくさんの拍手をもらったカーテンコールの後、ほとんどの子が泣いていたことだけは覚えている。それは、一つのことをやり遂げて、心から安堵した涙だった。その涙を見て、自分も目の奥が熱くなった。この時、参加してくれた子たちは勉強が苦手な子が多かった。教室でもあまり目立たないような子たちばかりだった。そんな子たちが、長いセリフを覚えて、堂々と大勢の観客の前で演じ切ったのである。そのことに感動していた。これぞ、教育の世界において演劇の持っている可能性だと思った。

そして、これからも演劇の指導を続けていこうと決めたのだった。

山川 和宏(やまかわ かずひろ)

尼崎市立立花南小学校 主幹教諭
富良野塾15期生。青年海外協力隊平成20年度1次隊(ミクロネシア連邦)。
テレビ番組制作の仕事を経て、小学校教師になりました。以来、子どもたちと演劇を制作し、年に2回ほど発表会を行っています。

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