2019.02.26
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YESプラスα(アルファ)の対応が、今、学校に必要です!!~学校はコンビニじゃない!社会生活は、スマホじゃない!~

ひと昔前、『NOと言える日本』とか"NOと言えない日本人"などという本やフレーズが話題になりました。保護者や地域と学校は、連携して子どもを育てるのは当然です。しかし、なんでもかんでも、周囲の要望を学校がYESでは、職員が疲弊してしまうし、子どもや保護者のためにもならないのです。
学校は今、子どもを導くだけでなく、大人も導く役割が大きくなっていると感じます。学校は要望に対応するだけではダメ!NOというのも誤解を生んでしまう。だから、YESプラスαの発信が今、学校に必要です!

兵庫県公立小学校勤務 松井 恵子

学校がコンビニ化している!?

ある休日、個人的に庶務があり、出勤しておりました。もちろん学校は開放しておらず、玄関もカギを締めておりました。

するとお昼過ぎにインターフォンが鳴るのです。応対をしませんでしたが、カメラに映っているのは、男児とお母さんと思われる女性。聞こえてくる会話は、「預かってもらえないかな」云々。どうやら、休日の学校は閉まっていて、先生はいないという感覚が無いようです。
校門が空いているのは、社会体育で地域の方々が運動場や体育館を使っているからなのですが、それを先生が土日も学校に来て開けていると勘違いしたのでしょうか。中学や高校では部活で学校を開放していることも多いですが、それでも何かしらの相談や問い合わせは、正式に勤務日である平日に行う方が正当だと私は思います。
学校はいつでも何でも要望を聞いてくれる、そんな感覚に陥ってるのは、この親子だけではないでしょう。サービス業が発展した今の時代の表れだと思います。元日からでも、大手スーパーや飲食店が営業している時代です。“お客様は神様”そんな日本のおもてなしの文化は、世界の賞賛に値します。

ですがその一方で、サービス業店舗に対してクレーマーと呼ばれる存在が顕在化してきたのも事実です。“神様”には逆らえない、そんな風に理不尽な要求をしてくる現状もあります。

しかし、学校はサービス業ではありません。子どもも保護者も“お客様”ではありません。子どもは社会の宝として、学校と保護者・地域が最強タッグを組んで、いっしょに育てていくものであり、子どもを通して学校(教師)保護者自身も、より成熟し人生の幸福を高めていく場(空間・時間を含めて)が学校であると思います。

ところが、サービス業が充実する時代の追い風を受け、また、情報化社会の反映として、「○○してほしい願望」は教師への要求としてエスカレートする場合もあります。例えば・・・

勉強をわかるようにしてほしい。
給食で苦手な物を食べられる子にしてほしい。
ケンカしないようにしてほしい。

など
これ、普通だと思う方、麻痺してますよ。もしくは、知らないだけですよ。

24時間空いていて、ほぼ、生活に必要な品物を売っている日本のコンビニ。いつでも、だれにでも、対応ができるようにしているコンビニは素晴らしいです。学校も、子どもが育つ場であり、悩み多き保護者の駆け込み寺です。対応しないといけません。ただ、コンビニと違うのは、求められることのみに終始して対応していては、そこに、子どもの成長も保護者の幸せの増幅もつながらないということです。

一生付き合えるのは、親だけだから・・・

もちろん学習は、子どもができるようにするために、教師は渾身の授業をしますよね(していないのは許されませんよ)。休み時間も個別に教えることでしょう。ただ、それでできるようにならない子も多いし、学年が上がるごとに苦手なことは増えるのが現実です。家で宿題をするだけで、「うちの子わからないから見てほしい」という保護者も中には存在しませんか。学校の限られた時間で出来ることって限られているのではないでしょうか?子どもの困り感に担任が付き合えるのは1年、もしくは持ち上がりがあったとしても長くて3年4年といったところでしょう。しかも、学校の教育課程の中で、個別に関われる実質的な時間は、1日に1時間もないことでしょう。とことん付き合えるのは、保護者です。

先ほどの保護者からの要望例をもっと詳しくみてみると・・・給食では、就学前の6歳まで6年間も口にしたこともなかった食べ物を給食で食べるようにさせてほしいと願う、もしくは、「嫌いなものを食べさせられるのは、うちの子がかわいそう、学校に行きたがらなくなったらどうするの?」など・・・聞いたことのあるフレーズはありませんか?

ケンカについても、人生には必要なものなのです。ネットの現代でも、学校という集団で学習するのは、コミュニケーション能力が培われ、人としての心がけや人との距離の置き方も学んでいく必要があるからでしょう。人とのいざこざを経験し、相手の気持ちを考えたり、自分の思いの伝え方を学んだりするのです。ですが、保護者は心配で「すべてのケンカやいざこざを排除してほしい。いじめにつながる!」とか、もしくは「自分の子どものせいではなく、必ず相手に原因があるから、相手の子どもを何とかしてほしい」、もっと言うと「謝らせろ」などなど要望してくる場合も・・・。聞き覚えはありませんか?

親としての気持ちはわかります。我が子の苦悩は、自分の身を削るよりも痛いことでしょう。私も経験しています。ただし、我が子を「かわいそう」とか「周りが悪いだけ」としてしまうと、実はその子自身の成長を止めてしまうことになりかねないのです。それを親も学んでいくのが学校です。特に、低学年で、サービス業そのもののように、全てを学校が「YES」だけで、「プラスアルファ」を発信しないと、親の誤解はもっと大きくなります。

『学校も、スマホと同じ。全てを思い通りにしてくれる』と。

ただし、“我が子のため”という大義名分を持っています。今ただこの瞬間の我が子は、楽になるかもしれません。ただし、そのツケは、子どもが思春期を迎える頃、もしくは、大人になってから、やってくるのです。

高校入試を迎える頃、それを支える基本的な知識・技能が身についていない子。

人のせいばかりにして、不平や不満ばかりを言って、自分のできる努力をしない子。

ペーパーテストはできるけど、社会に出たら人と関われず、会社をやめてしまう子。

スマホのように、“飽きたら次のページへクリック”なんて、できないのが社会生活であり人生です。

将来を見据えて、子どもに必要なら、『いっしょにがまんし努力する覚悟』が、保護者にも必要なのです。

がまん体験と努力する能力が子どもの自立を支える

がまんといっても、いじめや体罰など理不尽なものに耐えろというわけではありません。

例えば、なかなか覚えられない九九。子ども自身も保護者もくじけそうになるほど定着しないことがあるかもしれません。中には、「うちの子は発達障害ではないかしら」と心配になり、相談に来る保護者もいることでしょう。その子の特性に応じた教育を保障することは大事です。でも、低学年で学習することは生活の一部です。足し算、引き算、かけ算、ひらがなもカタカナも、2年生までに学習する漢字も、生活の中でよく使われます。『学問』というより『生活』そのものの学習が低学年にはたくさんあります。その子にとって、できるようになることが生活そのものを支えるのです。特性に応じた指導をしながら、諦めずにできるだけ習得させることがその子の未来の生活を支えるのです。

また、親も必死で九九を覚えさせようと時間を取り、泣いてもわめいてもできるようになるまでとことん付き合う経験は、子どもにとって『努力』を経験する第一歩でしょう。嫌でもつらくても努力する能力は、必ず将来子どもを支える力となります。

さらに言えば、これから、生まれてすぐタブレットや親のスマホをさわった乳幼児達が学童期を迎えます。小さい頃から便利な中で育った彼らは、自分の見たいものだけをクリックし、飽きればゲームや動画の途中でも、ポイポイ次のページにクリックし、車に乗っているときなども退屈に対して何の我慢もせずタブレットやスマホを操作しています。しかも最後までアニメや動画も見ることもなく、次々とクリックしている子どもも多いのです。生まれたときから、自分で選択を操っている時代です。昔なら親と話題を共有したり、ちょっと退屈でもテレビのナイター中継を一緒に見ないといけなかったりして、自然とがまんする経験が多かったはずです。

ですが、社会に出たら、「ストレスだから別の世界にクリック」なんてできないわけです。だから、親が、我が子の性格を覚悟して受け入れて、親も一緒に努力していく時間を共有してあげることは、将来の我が子を支えるのです。

そんな少し先を見据えることを提供するのは、学校の役割となってきていると、最近感じます。

保護者の本物の要望を受け入れて、子どもの未来のためのプラスαを提供するには・・・

コンビニも、いつでも要望に応えるという目的の上に、今では、災害時の生活必需品等の供給地としての使命を担う場となっています。学校はかつて、保護者のニーズを考えず、学校サイドの教育をおろしてきた反省から、保護者の気持ちに寄り添う体制、風土となってきました。今、感じるのは、10~20年前とは違う保護者からのニーズです。保護者の中にある「子どもの成長につながる本物のニーズ」と「マイナスになる保護者の思い」をしっかり区別して受け止めて、後者の「マイナスになるもの」を払拭しプラスの思いに変えるために、保護者にも道しるべを与えることが、学校の教師に課せられてきていると感じます。保護者の「がまん体験」や「動力」を助長させていくきっかけを学校が与えていく時代といえます。

若い先生方、伝え方を考えて、YESのあとのプラスαの言葉を届ける教師になってください。伝えるには、まずは、学校での実践を積むこと。ここでいう実践とは、研究授業などの授業実践ではありません。子どもひとりひとりへの教育の実績です。以下の3つを目安にしてください。

①授業の様子の見取り

②データから分かること(具体的なテストの結果分析、ノート、日記などからの本人の様子)から子どもを捉える。

③個別での関わりを持ちその時の様子を具体的に知らせること。(何月何日の何時ごろ、どんな個別指導をして、それを何日続けてどうなったのか。そこからつかんだ子どもの弱点と強みなどを知らせる。)

①~③を参考に、印象的な話ではなく、具体的で愛のある教師の確実な見取りを保護者に届けて、お家でも努力を続けることを促し、親のがまんとがんばりを支えてあげてください。保護者より年下でも、子どもを持っていなくても、上述した事柄があれば、保護者にYESプラスαを提供できます。

YESMANに終始せず、少し先の将来を見据えて、子どもにとっての本当の幸せを語る教師であってください。

松井 恵子(まつい けいこ)

兵庫県公立小学校勤務


兵庫県授業改善促進のためのDVD授業において算数科の授業を担当。平成27年度兵庫県優秀教職員表彰受賞。算数実践全国発表、視聴覚教材コンクール特選受賞等、情熱で実践を積み上げる、ママさん研究主任です。

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