2018.11.16
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学校行事でつくる「あたらしい じぶん」

今回は、1年生をもったとき、音楽会後に出した学級通信をそのまま記事にしたいと思います。学校教育は、子どものためでもあり、親も親として成長していく場だと私は思います。とてもたいへんな子育て。でも、その何倍も幸せをもらえるのも、我が子の成長です。そして、親の価値観の広がりも、幸せを増やします。そんなきっかけをつくるのが、学校行事でもあると私は感じます。その解釈を、学級通信で伝えました。

兵庫県公立小学校勤務 松井 恵子

あたらしいじぶん

音楽会には、たくさんの方にお越し頂きありがとうございました。そして、音楽会までの期間、お家での練習にご協力いただきありがとうございました。

小学校の音楽会では、1年生は一番小さな学年です。何をやっても「かわいいね」「がんばっているね」と言われることが多いです。でも、私は、1年生担任として、“それなり”ではなく、『つぎへの一歩』にかわるような音楽会にしたいと思いました。曲目選び、そして、表現のセリフも、「新しい自分への歩み」というテーマにしました。この表現の中には、つねに、「笑顔」「みんなで」というフレーズがあり、「新しい明日、新しい自分」という言葉をいれました。それは、この表現を通して、子供達に、そういった姿勢に価値があるということを、感じてほしかったから。細胞のどこかに残ってほしいと願ったからです。

音楽会にむけての練習も同じです。今までよりも難しい鍵盤ハーモニカ、演奏したことのない楽器など、子供達にとって新しいチャレンジは、たいへんだった子も多かったと思います。

でも、“それなり”の努力ではなく、“一生懸命”の努力が大事だということに向かわせたかったのです。それを実現させるために、昼休みも、個人練習ではなく、セリフ・打楽器・木琴鉄琴オルガン・けんばんのパートに分かれて、4人の担任がそれぞれ各パートの担当につき、毎日毎日、練習しました。私はセリフの担当で、セリフの子供達の表現が、精一杯伝わるように指導しました。

「今できる精一杯の努力をすることが、大切」

新しいことにチャレンジするとき、その結果ばかりが気になり弱気になってしまうことがあります。子供達に言い続けたこと、それは、

「一生懸命が大事」

音楽会が終わって、子供達に、「先生、みんなと握手したい!よくがんばりました。本当にありがとう!!」と言って、ひとりひとりの席に行き、言葉をかけながら握手やハグをしました。

「努力をすれば、新しい自分になれます。これからも、きっと、いえぜったいに、色々としんどいと思うことがあります。でも、前をむいて、すすんでいけば、必ず、あたらしい自分になれます。それが、成長なのですよ。そして、幸せも増えていくのですよ。

 

この言葉が、1年生の子供達にどれほど残るかと言えば、殆どの子が忘れてしまうことでしょう。でも、そんな精一杯の毎日が、細胞の奥まで染み渡って、人としての生き方につながっていくことを願ってやみません。

おとなにとっての「あたらしい じぶん」

私は、娘が小学校低学年の時、行事でビデオを撮るときは、娘だけをアップにしてとっていました。3年生、4年生、いろいろな娘の経験がありました。もちろん、お友達とのことで、悩んだこともありました。

娘が5年生の時、初めて組体操にチャレンジしたときのことです。背が高い割に体重が軽めの子でしたので、なかなか肩車でペアの子を持ち上げられず、家でも妹で練習していました。涙する時もありました。担任の先生のおかげで、気持ちだけは萎えずに、でも技としては成功することなく、運動会当日を迎えました。母として心配でした。でも成功でも失敗でも、一生懸命に取り組む娘を応援しようと思っていました。1人演技から2人演技と進んだとき、娘は見事に肩車を成功させました。「できたね・・・」ビデオを撮りながら、涙でした。そして、娘が家で教えてくれた練習での先生の言葉が、演技が進むにつれ、思い出されました。「クラスで1つのピラミッドをつくるねん。クラスで心を一つにするから。」「最後には、6年生の中で、一番しんどい土台の場所の子が、朝礼台の真ん前に並ぶんよ。」私は、今まで、自分の娘ばかりにレンズをあててビデオを撮っていました。しだいに、フレームは広がっていました、お友達のがんばりもビデオにとりたいと。音楽会や卒業式は、全員の姿をフレームに残すようになりました。娘に世界を広げてもらったのですね。

何か新しいことにチャレンジするとき(人間関係もふくめて)弱音を吐けるのは、お家だからこそです。その言葉だけを聞くと、つらいだけと思うかもしれません。(だからこそ、教師は、子供の気持ちを支えないといけません。)でもその先に、我が子の成長を見ることができたとき、親も親としてまた「あたらしいじぶん」になれるように思います。

お子さんが何かの壁に直面したとき、それはあたらしい自分への扉であることが多いです。そこで、親が「我が子がかわいそう」と思って立ち止まってしまったら、子どもの新しい扉を奪ってしまうことになりかねません。

親も子も「毎日進めば、雨の日もある。風の日もある。でも、みんなで進めば勇気がでる。

必ず、新しい明日がまっている。新しい自分になっていく。」(音楽会のセリフより)

きっとだからこそ、学校という場所の存在意義があるのだと思います。

家庭だけでは経験できないことが、学校にはある。社会にでる準備として、学習面だけではなく、生き方としての土台をつくる場所が、学校だと私は思います。

最後に、曽野綾子 著 「人間にとって成熟とは何か」という本の一節を紹介します。

『私は、ある人が品がいいと感じる時は、その人が成熟した人格であることを確認している。・・・

品を保つと言うことは、一人で人生を戦うことなのだろう。それは別にお高くとまる態度ではない。自分を失わずに誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところと拒否すべき点とを明確に見極め、その中にあって決して流されないことである。この姿勢を保つには、その人自身が川の流れの中に立つ杭(くい)のようでなければならない。この比喩は決してすてきな光景ではないのだが、私は川の中の杭という存在に深い尊敬を持っているのである。世の中の災難、不運、病気、経済的変化、戦争、内乱すべてがぼろ切れのようにこの杭に引っかかるが、それでも杭はそれらを引き受け、朽ちていなければ倒れることなく端然と川の中に立ち続ける。これがほんとうの自由というものの姿なのだと思う。』

この自立したほんとうの自由な姿が、子供達の生き様になってほしい、そう強く願い、子どもの前に立っていますし、私自身も学び続けようと思っています。

曽野綾子さんは、こう続けます。

『品というものは、多分に勉強によって身につく。本を読み、謙虚に他人の言動から学び、感謝を忘れず利己的にならないことだ。・・・心を鍛えるという内面にあまり熱心ではない人を不思議に思う。・・・』と。

今回の学級通信は、1年生の保護者様におかれましては、まだ実感のない方もおられるかもしれません。心のどこかにおとめおきいただき、お子さんが成長される中で、あたらしい扉を開く助けになることを願っております。

最後に、子供達の成長に、感謝!そして、お母さん方、ともにがんばりましょう!

松井 恵子(まつい けいこ)

兵庫県公立小学校勤務


兵庫県授業改善促進のためのDVD授業において算数科の授業を担当。平成27年度兵庫県優秀教職員表彰受賞。算数実践全国発表、視聴覚教材コンクール特選受賞等、情熱で実践を積み上げる、ママさん研究主任です。

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