2017.09.25
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今こそ、「叱る」

「褒めて育てる」とよくいいます。もちろん、褒めたり、成功体験を積んだりして、子どもは心を開き、自信になり自尊感情も芽生えたくましく成長していく。

ただし、褒めてばかりで本当に育つのでしょうか。

私は、やはり、教師が本気で叱る瞬間があってこそ、子どもは育つと思います。

今こそ、「叱る」指導の大切さを見つめ直しましょう。

兵庫県公立小学校勤務 松井 恵子

あなたは、叱っていますか?怒っていますか?

自分を客観的に捉えてみてください。

あなたが子どもを指導するとき、叱っていますか?怒っていますか?

怒るのではなく叱るのです、

とよくいいますが・・・・

でも、私は、感情的に怒ることも必要だと思います。それは、いじめに繋がるような、人権を傷つけるようなことをしたとき、感情的に怒ります。怒鳴ります。

怒るからこそ届くこともある。

ただし、教師がただイライラしてそれを感情的にぶつける「怒る」とは区別しましょう。

感情をあらわにして怒るべき時だから怒っているのか、

イライラが爆発して怒ってしまっているのか、

自分を分析してみてください。そして、もちろん、後者であると感じたなら、そのような怒り方はやめましょう。

「先生、叱ってくれて本当にありがとうございます。」

これは低学年を受け持ったときに、保護者の方から頂いた言葉です。

「母親以外で、叱られて泣いた経験はない子なんです。

先生、本気で叱ってくれて、本当にありがとうございます。」



集団生活をしていると、子ども同士のトラブルがあるのは当たり前。そんなトラブルを経験し、正しく乗り越える方法を身につけ、道徳性が伸長していくものです。

「叱る」ということは、愛情です。

よりよく育ってほしいという愛情です。ただし、方法をまちがっては、その愛情は届きません。

高学年になるとなおさらです。教師の思いとは裏腹に、「先生はわかってくれない」という感情を抱き、反抗的になることも考えられますし、反抗的ではないとしても、心を閉ざし、ただ叱られる時間が過ぎるのを待つだけで、何の成長にも繋がらないということにもなりかねません。では、どのようにすれば子どもの心にとどくのでしょうか。

個別に指導すべきか全体で指導すべきかを見極める

まず見極めるべきは、個別で指導するのか、関わっている児童すべてをそろえて指導するのか、です。個別に指導をする方が、素直に話せる子もいます。逆に、個別だと、自分だけが責められているように感じて、素直に受け入れられない子もいます。

状況によっても判断すべきです。事実関係を捉えるためには、どのように話を聞いたらよいのかも判断基準です。

次に考えるべきは、場所と時間。

教室で指導すべきか、他の児童の目が届きにくい場所で指導すべきか。

指導されているところを友達に見られるから、素直になれない子だと判断する場合、できるだけ別教室で話します。しかも、緊急を要する事でないときは、その子がふと一人になる瞬間を逃さず、その時に声をかけ、話します。

逆に、教室で他の子どもの目があるところで叱る方が、内容が届くと判断する場合は、教室で叱ります。この場合、きっぱりと叱っておわることが前提です。

時間についても、よく考えましょう。放課後に残して話すは絶対にNGです。下校時刻も守れないし、もしかしたらもやもやした気持ちをもったまま、家に帰る。すると、余計にやりきれない気持ちが増幅します。教師の伝えたいことは届かない。

できるだけ、子どもが素直に話を受け止めるために、時間もしっかり考えましょう。

学級を叱るとき

学級全体に叱ることもあります。

ただし、子どもの中には、日々、教師の目が届いていないところでも、真面目に一生懸命にがんばっている子も大勢います。そんな子がほとんどです。

問題行動をおこしてしまった子も、4月から、よりよく成長しようと努力している姿勢もあるはずです。

だから、認めながら叱ります。

「こうなってほしい」という思いを伝えます。

がんばっていることも知っているよと、言葉にして言います。

問題行動についても、ぜったいにしてはいけないことを伝えると共に、

学級の周囲の子どもにも、感じるべき道徳的判断を教えます。

そして、どのような行動をしたらよいかも教えます。「まちがいに気づくこと」「気づいたら止めること」「それができにくい時は、先生に相談してほしいということ。言いつけでは相談であるということ」

もちろん、相談といっていますから、一部の児童から聞いただけで叱りはしません。

私自身の目でしっかりと観察し、見つけた事実から、指導をします。

「叱る」「褒める」=「認める」

いっぱいの愛情で子どもと対峙しましょう。

実は、褒めることだって、表面だけを見て、おだてているのか、本当に見てくれていて、褒められているのか、子どもは感じ取っている。

日々、認めているからこそ、愛しているからこそ「叱る」指導が生きる。

おだてられて、成功ばかり積んでいるようにさせて、何の力になるのでしょう。

失敗したり傷ついたりしても立ち上がっていける経験があって、壁を乗り越える力になる。

そして、叱られてわかることもある。人にぶつかってこそ生まれる価値観がある。

そのためには、「認められていると感じること」

叱ることと褒めることは、表裏一体。実は同じ愛情だと、私は思います。

あとは、どのように届けるか、です。

この投稿が参考になれば、幸いです。

松井 恵子(まつい けいこ)

兵庫県公立小学校勤務


兵庫県授業改善促進のためのDVD授業において算数科の授業を担当。平成27年度兵庫県優秀教職員表彰受賞。算数実践全国発表、視聴覚教材コンクール特選受賞等、情熱で実践を積み上げる、ママさん研究主任です。

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