2017.09.12
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世界の国の子どもたちの勉強事情②

前回は、アジア特に中国や香港の子どもたちについて紹介しました。
今回はベトナムの女子学生についてお話ししましょう。

近畿大学 語学教育センター 准教授 高橋 朋子

先週は、アジアの子どもたちの勉強事情について書きました。
恐ろしいほど熾烈な学歴社会でもがいて生きている子どもたちの姿が見えてきます。世界のほかの国ではどうなのでしょう?

◼︎ベトナム

近年、中国より留学生の数が多くなっているベトナム。
九州や大阪のいくつかの日本語学校では、生徒の国籍が
ベトナム100%になっているそうです。
「日本に行きたい!」熱がいま最も熱い国だといえるでしょう。

私が勤める大学にもベトナムの学生がいます。
留学生別科(大学付属の日本語学校のようなもの)に数年前に
在籍していたベトナム人の女子学生は、来日後クラスメートの
台湾人や中国人学生との母国での生活の違いにびっくりしていました。

私「子どものとき、毎日何をしましたか」
中国の学生「毎日、夜遅くまで勉強しました」
台湾の学生「一生懸命勉強しました」
ベトナムの学生「庭のマンゴーの木のマンゴーを食べました」
一同「えー!!!」
ベトナムの学生「とてもおいしいですよ。私はよく木に登って
        大きいマンゴーを食べました」

私「子どものとき、毎日おかあさんを手伝いましたか」
台湾の学生「お手伝いさんがいたから、しませんでした」
(総じて裕福な学生が多いので)
香港の学生「手伝う時間があるなら、勉強しなさいと言われた」
中国の学生「寮生活で、週末だけ帰りますから、そのときはお母さんが
     料理をいっぱい作ってくれて、食べるだけ」
ベトナムの学生「私は、昼間おばあさんの家にいましたから、妹の
    面倒を見たり、ご飯を作ったり、庭の掃除をしたり、洗濯を
    したりしました。これはベトナムの女性にとってあたりまえの
    ことです。」
一同「ほお~」

という感じで、どちらかといえば真逆の生活を送っていたようです。
もちろん、国の発展の度合いや経済力など多くの要因が背景にあるので
どちらがいい、悪いということはできませんが
人間関係を主軸にした生活を送った学生のほうが、作文などで豊かな内容を書くことが多いです。

彼女の作文はこんな風に続きます。

 -母の誕生日-


子どものとき、母の誕生日に私は、庭に咲いている
白い花をとって、あげました。
とても小さな花なのに、母はとてもうれしかったです。
私もとても幸せな気持ちになりました。
私は母が大好きです。

日本語はまだまだ初級レベルですが、読んでいて心が温かくなる
とても優しい文章です。
お母さんと離れて一人来日した後も、お母さんを思って
勉強に励んだ彼女は、その真面目に努力する姿を皆が認め、
修了式で謝辞を読みました。


1年前、ほとんど日本語が話せなかった私が
今日みなさんの前で、こうやって謝辞を読んでいます。
クラスのみなさんの中国語がわからなくて、さびしい時も
ありました。でも私は夢のために本当に一生懸命努力しました。
今日の私の姿を見たら、母はきっと誇らしいと思うでしょう。

彼女の謝辞は特別難しい言葉を使っているわけでもなく、読み方も流暢であったわけではありません。でもその場にいた人の心に響き、皆が静かに涙をこぼしました。こんな感動を覚えた時こそ私が教師であってよかったと思う一瞬です。

これからのベトナムはどのように発展して行くかわかりません。ただ、20年前の中国の学生は、このベトナムの女子学生のようでした。やはり経済発展とともに少しずつ、幸せの尺度が変化して行くのでしょう。

今、日本語教育の世界では、ベトナム、インドネシア、ミャンマー、ネパールに注目しています。20年前、誰が今の中国の経済的地位を想像したでしょう。これら後進国の今後に期待するとともに、大切なものは失わないでほしいと思わずにはいられません。

大切なものとは何でしょうか。考えてみたいものです。

高橋 朋子(たかはし ともこ)

近畿大学 語学教育センター 准教授
留学生への日本語教育、地域の日本語教室の支援、外国にルーツを持つ子ども達の母語教育支援活動をしながら、多文化・多言語社会について考えています。

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