2017.06.21
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見えない信念

教師の「ぶれない信念」、前回は「見える信念」について話をしました。今回は、「見えない信念」について詳しくお話しします。

大阪府公立小学校教諭 松森 靖行

 みなさん、こんにちは。

  前回、ベテランの先生の「ぶれない信念」には、「見える信念」と「見えない信念」があるというお話をしました。そして、「見える信念」についてお話しました。「見える信念」とは、「あきらめずに」「繰り返し」ということだったと思います。

 今回は、「見えない信念」です。

 「見えない信念」には、「裏のめあて」「見ていないようで見ている」という言葉が当てはまると考えています。

 「裏のめあて」、最近ではヒドゥンカリキュラムという言葉でも知られていると思います。例えば、運動会を例にとると、「体育の時間を使って身につけたことを運動会で表現する」ことが表のめあてです。そして、「運動会の練習を通して、子どもたちが仲良くなる」ことが裏のめあてになります。そして、この裏のめあては、指導者の考えによって無数に存在します。運動会を通じて、何を育てようかと考えることにより、裏のめあては決まってきます。

 その裏のめあてこそが、「見えない信念」です。先生方が今、行っている授業や活動の「めあて」があると思います。指導書にのっていたり、学年で話し合ったりもするでしょう。では、「先生独自のめあて」は何ですか?そこを意識して授業や活動を組み立てていくと、時間はかかるかもしれませんが、次第に「授業や活動」を通じて、クラスがまとまっていきます。そして、子どもたち一人一人にも良い影響が出てくるのです。私の例ですが、どの授業、活動にも「全力」「仲間」「礼儀」ということを大切にしています。この3つの私の信念は、子どもたちも理解してくれています。45分の授業や活動の中に、「全力」「仲間」「礼儀」について、考えたり、実践できたりする活動を入れていくのです。

 「見ていないようでみている」は、学校にいる間、「気を抜かないように見る」ということです。私は通勤中、学区に入ると「先生スイッチ」が入るのが分かります。通勤中、学区にいる子どもたちの気配を感じるようにしています。(変かな?)そして、バイクを置き、校舎に入った瞬間も、子どもたちの「何か」を感じるようにしています。もちろん、子どもたちが登校する前に出勤しているので、子どもたちはいませんが、靴箱や朝の教室の様子などから、子どもたちの何かを感じるようにしています。前日も、子どもたちが下校後の様子をしっかりと見ていますが、一晩経つと違った様子を感じることができます。

 子どもたちが登校すると、私の「見ていないようで見ている」はフル回転です。常にクラスの子どもたち31人を丁寧に、いろいろな角度から見るようにしています。子どもたちとふざけているように見えていても、私の視線はいろいろなところに向けられています。しかし、子どもたちは、見られているように感じません。見られているように感じてしまっては、萎縮してしまうでしょう。ここも、個人差を大切にしますが、気になる子は、何気に声をかけたり、世間ばなしをしたり、はたまた、遠くから見守る・・ということもあります。 

 子どもたちが下校をしても、放課後の教室、ノートの内容、くつばこの様子、傘置きの様子などから、子どもたちの気配を感じ取るようにしています。そして、1日の様子を1人ずつ記録していきます。帰宅途中、学校を出て、学区内を出る頃に、「先生スイッチ」が切れるのかもしれません。1日終わると、ヘトヘトです。でも、常に子どもたちのことを考えることができて楽しいです。子どもたちの事が愛おしいです。このようなことは、私もすぐにはできませんでしたし、まだまだ修行中の身ですが、毎日少しずつ意識していくことで、身に付く事だと思います。

 次回は、今回お話しした内容を、「具体的」に紹介していこうと思います。

 それでは。

松森 靖行(まつもり やすゆき)

大阪府公立小学校教諭
休日には全国の教員セミナーに講師・受講者として参加、仲間と切磋琢磨しています。2014年度は大阪府の教員となり、若手教員研修を担当。若手の皆さんと一緒に学び直しをしています。

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