みなさん、こんにちは。
前回は、「聞く力」について、「本当の聞く力」とは?という話をしました。その中で、「KJIH」な子どもたちに育てよう!という話で終わりました。「KJIH」
って何?と思われているでしょう。
セミナーなどで私の話を聞いてくださった方は何となく思い出していただけたのではないかと思います。
「KJIH」は、私の教育の最終目標と言っても過言ではありません。世の中の人が、みんな「KJIH」な人だったら、争いは起こらないのではないかと思います。
ずばり、「KJIH」とは「感(K)じ(J)のいい(I :良いならY)人(H)」です。どんな時でも、感じのいい対応ができる人は、「生きる力」があると思うのです。もちろん、腹が立つこともあるでしょう。「腹が立ったら、腹を立てれば良い」と私も話をしています。でも、「怒りをむき出しにするのではなくて、相手が納得するように、分かってもらえるように、伝えなさい。」とも話をしています。
どのような時でも、感じのいい対応ができる人を育てること。教育基本法第1条でも「人格の完成をめざし」と最初に書かれています。言葉は難しいですが、簡単に言うと「感じのいい人を育てる」ということかと思います。
全てを「感じのいい人を育てる」ということをゴールに設定すると、「いつ」「どのように」「何を」育てるのかが、はっきりしてきます。また、どんな時でも自分の指導がぶれません。つまり、「何を教える」にしても、根底にながれている「自分の哲学」がぶれないのです。私の「哲学」は「感じのいい人を育てる」です。その過程で、大切にしているものは「全力」「仲間」「礼儀」なのです。これを、どのような授業でも、行事でも、活動でも大切にしています。
少し話がずれますが、「自分の哲学」は、その人の人生によって左右されるものです。なので、先生によって違うのは当たり前です。ご自分の教育哲学は何か・・・時折自問自答することをお勧めします。そうすることで、反省もできるし、これから進むべき道も見えてくるはずです。
話をもとに戻します。「聞く力」を育てる話から、「感じのいい人」を育てる話になりましたが、これらを関連して話しだすと、1週間ぐらいかかります(笑)。
なので、今回は、「なぜ感じのいい人を育てたいのか」ということを話します。
理由は簡単です。「戦争のない世界」にしたいからです。一概には言えませんが、戦争はちょっとした意見の食い違いで起こる時もあると聞いたことがあります。世界ではまだ戦争をしている国もありますが、話し合いで解決できることもあるそうです。何事も、物事は人間と人間がかかわり合って始まります。
例えば、レストランに行くと、時々店員の方に横暴な言い方をしている人がいます。お金を払えば、何を言ってもいい、少々えらそうにしてもいいと思っているのだと思います。そのような人は周囲の人、全てを不快にします。そのような人に、自分の教えた子がなってもよいのでしょうか。そのような人が、大なり小なり、争いを起こすのです。「おおげさな・・」と思われるでしょうが、私はそのようなことから真剣に考えていかないと、これからの教育はうまくいかなくなってしまうのではないかと思うのです。
「KJIH」は、一朝一夕には育ちません。様々な場面で意識して指導をしていかないといけないのです。
次回は、授業における「KJIH」をお話します。

松森 靖行(まつもり やすゆき)
大阪府公立小学校教諭
休日には全国の教員セミナーに講師・受講者として参加、仲間と切磋琢磨しています。2014年度は大阪府の教員となり、若手教員研修を担当。若手の皆さんと一緒に学び直しをしています。
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