先日、ある学校の研究会に行ったときに感じたこと
“これが学び合いの授業って言えるの?”
憤りを感じました。ペアトークをしたり、話しやすい単元だったり。でも、子どもの熱量が感じられない。
また、こんな風に感じることもありませんか?
“アクティブラーニングって言っても、研究会だけさせてるんじゃないの?”
研究会の直前になって、発表のひな型を提示しつかわせる、とか、研究会直前からペアやグループでの話し合いをさせる、など、アクティブを装わせるような人も、なきにしもあらず。
断固として言いたい。
授業は、楽しい。
授業は、幸せ。
子どもに本物のアクティブをめざそうとさせたいのなら、あなた自身が、アクティブになってほしい。
私は、今、授業が楽しくてたまりません。
子どものノートも、愛おしくてたまりません。
1年生は、その全てが初めてで、話し合いがなかなかできない、なんていう声を聞いたこともあります。むしろ、逆。全てが初めてだからこそ、普段の姿勢が、積み重なって、授業に向かう態度に出る。
誤魔化せない、1年生の算数授業の事実を紹介いたします。
つながっていく学び

このノートは、「3つの数の計算」の足し算の時間のもの。私は、たとえ1年生でも、1学期の後半からは、「自分の考えがわかるノートが素敵だね。」と子どもに言い、考えるノートを目指しています。先生が「これを書きましょう」と言っていると、いつまでたっても、自分で動く子にはなりません。このノートにある「おはなしOK」という言葉。1学期に初めてたし算を習った時、式は、「算数のお話」という導入をしました。それが繋がっています。
また、授業中も、K君が立式を板書しながら発表したあと、突然、「質問はありませんか?」と言いだしたのです。これは、1学期からずっと行っている「はっけんたいむ」というスピーチ活動の言葉。私はびっくりしていたけど、子供達は、パッと手を挙げました。K君が指名したのは、1学期はおとなしかった女の子Hちゃん。何を言うかと聞いていたら、「k君がいいたいのはね・・」と溌剌と述べるのです。さらに女の子が言い終わると他の子が挙手。手を挙げながらA君が「Hちゃん、次は男の子あててね」これも、スピーチの時に、「男女交代であてたり、普段は発表をあまりしない子が手をあげていたらあてたり、考えて指名できるといいね。」と言っていたことが繋がっています。
授業終わりには必ず、ノートを提出するので、なかなかおうちの人に見せられていません。だから、今日はおうちに持って帰ってお母さんに見てもらっていいよ、と言うと
「先生に見てほしいから、ここに出していい?」
・・・嬉しすぎます。
授業は、「みんなで大事なことを見つける場」という感覚を育てる。

この板書は、4月のもの。ちがいのわかるブロックの置き方について話し合いました。この時点で、黒板に書きながら話をさせています。
本来子どもは、話したいと思っている。人はみんな、よりよくなりたいと思っている。
それをいかに引き出すか。1年生だからできない、ではない。
指導者の目指す方向に、学習者は向かう。
と思うのです。
抑制の授業では、子どもは自ら動かないであろうし、その場の説明をさせるだけを目指す指導者なら、子どもは、その言葉を使うだけに留まることでしょう。
4月から「みんなで大事なことを見つける。それを明日に残すのが、授業」というスタンスで授業を重ねてきました。いわゆる教師主導の授業をしらない1年生の吸収力はすごいですよ。
授業後に黒板によってくる子供達。
学び合いが成立したであろう授業の後は、お話ししたい気持が溢れていて、黒板の前や私のところに子供達が集まってきます。
「めっちゃ楽しかったー。」「うん、ほんまに、楽しかったなあ。」
先日のたし算カードのならびを調べた授業の後の子供達の反応です。自分たちで獲得していくことの楽しさを感じたのでしょう。それが学ぶ楽しさなのではないでしょうか。写真は、授業後に子供達が黒板によってきて、自分の考えを書いた後のもの。黒板には落書きはしません。考えのあることを子供達は、書きます。それも私のスタンスを子どもが悟っているのでしょう。
とはいえ、技能面の習熟をいかに行うか。
実際、学び合いを目指す問題解決型の授業をすると、かなりの時間を話し合いに割き、なかなか単元が進まない。もしくは、練習問題をやる時間を確保できない等、教師にとって焦る事態がおこりかねません。
私もその一人です。
去年度受け持った6年生は、既習事項の習熟が難しい子もいましたので、マスタータイムという時間を授業の始めの10分間設定していました。(すべての時間ではなく、入るであろう時間できるだけ)マスターノートというノートを1冊用意させ、既習事項を2~3問出題し、答えも私から提示するというものです。マスターノートには、終わってから一言コメントを残します。思いがなければ、また忘れてしまうかもしれない。それに、練習問題にも自分の意思をもって取り組める子にしたかったからです。
今、受け持っている1年生には、話し合う時間が豊かになってきたので、どっぷり45分間、練習問題をする時間をとりました。私は計算が苦手な子を回ります。すると、はやく問題を解き終えた子どもにどう対処するか、という問題が起こってきます。
本当に学びに向かっている子たちです。まちがいも「ちがうということがわかってよかった」と捉えさせていて、根付いています。
そこで、1年生ですが、終わった者同士で、答えとその方法の確認を行わせました。
すると、落ち着いた空気の中、1時間が過ぎていき、終了すると、
「わかってきた!」
「がんばった~!」
すっきりした顔の子供達。黙々と問題に打ち込むことができるようになったのも、普段、話し合いで発散しているからかもしれません。
先日の音楽会では、「ぼくらの夢はあたらしい自分になること」をテーマに、表現と演奏を行いました。
この習熟の時間の最後に、私がいったのは、「また、新しい自分になれたね。」という言葉です。
日々、新しい自分になっていくこと、その喜びが授業に反映されていたい、いつもそう思うのです。

松井 恵子(まつい けいこ)
兵庫県公立小学校勤務
兵庫県授業改善促進のためのDVD授業において算数科の授業を担当。平成27年度兵庫県優秀教職員表彰受賞。算数実践全国発表、視聴覚教材コンクール特選受賞等、情熱で実践を積み上げる、ママさん研究主任です。
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