【応援メッセージ】「教育つれづれ日誌」執筆者・久慈 学さんより

「東日本大震災 学校応援プロジェクト」に掲載した記事や執筆者へ向けて応援メッセージが寄せられています。今回は、北海道の厚沢部町立厚沢部小学校 教頭 久慈 学さんより、宮城県の利府町立しらかし台小学校 校長 永山 伸樹さん宛てへのメッセージです。
「『これから』へ向かって」を拝読して
3.11震災からはや5ヶ月がたとうとしている。甚大なる被害を受けた3県の皆様はそれぞれ新たなスタートにたち、日々の生活に奮闘しておられることは報道などで窺い知る。
自身も北海道南西沖地震の時、乳飲み子と妊婦の妻を連れて、高台へ避難したことがあるが(奥尻島の対岸に住んでいた)今回はその規模を大きく超えるものだ。
さて、永山校長先生の記事を読み、あらためて学校管理職としての重責を思い知る。
学校が安全な場である、べきことは、かつては自明すぎて特に考えていなかった。それが大阪の池田小学校事件で再認識する必要性が高まった。この事件では、もちろんハード面の見直しもあったが、どちらかというとソフト面である。暴漢避難訓練なるものも企画・立案したことを思い出さす。
しかし、今回はソフト面ではなくハードである。「学校という入れ物」の復旧である。自身が管理職として校内を回るときには、
・階段の手すりがぐらついていないか。
・体育館の床ぬけはないか。
・折れた画鋲の針だけが壁面に残っていないか。
・ゴミ集積場所のゴミ箱の裏にゴミが落ちていないか。
などなど見て回る。どれも重要だと思ってやっていることだ。
しかし、永山校長先生が取り組んでいることは「学校」そのもの。学校そのものが安全に使えて初めて、子どもたちの学習が保障されるし、教職員も学習指導も成り立つ。そのベースとなる部分が今、揺れているのだ。
校長先生という立場で、できること、いや、やらなければならないことはたくさんありすぎるだろう。それを全て落ちなく挙げることも難しいし、それに対して優先順位をつけることももっと難しいのではないかと察する。
復興、という言葉は毎日耳にするが、学校管理職としての復興はまずは「学校という入れ物」の復興である(「児童生徒の生命の安全」を確認した上での話である)。
夏休みもなく奮闘される校長先生、お体にはくれぐれもお気をつけられますよう。
厚沢部町立厚沢部小学校 教頭 久慈 学
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