2016.05.20
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学級通信神話にもの申す

兵庫県公立小学校勤務 松井 恵子

学級通信を盛んに出す先生がいます。

学級通信についての著作も多々出ています。どのような通信をだせばいいかとか、学級通信が学級経営の土台になるとか。

保護者の中には、学級通信をたくさん出してくれる先生はいい先生という妄想もあり、とにかく学級通信をたくさん出すことに労力を注いでいる方もいるように感じます。

 

その現状に今回はもの申したいと思います。

 

学級通信は、教育課程ではありません

 

そもそも学級通信は、学習指導要領の定める教育課程には位置づけられていません。出さなければならないものではないのです。

しかしながら、担任になると子どもや保護者にメッセージを送るため、学級通信を出す人がいます。毎日、通信を書いて発行していることだけに、満足感を持っている場合も見受けられます。

 

 ちょっと待って下さい。私たち教師の勝負は、授業。

 それを疎かにして、通信に力を注いでいては、本末転倒です。

 

私も娘をもつ母ですが、母としてこんな会話を聞いたことがあります。

 

「○○ちゃんは、よく学級通信に作文とか載っているの。うちの子は全然載らないのよ。うちの子は、あかんわあ。○○ちゃんはすごいわあ。」

たわいもない会話です。悪意も何もありません。素直な母の感想ですが、担任の意図は、あまり伝わっていないようです。

 

地域の井戸端会議で、こんな会話も聞いたことがあります。

「△△先生ってどんな先生?学級通信には、いいことを書いているけど、子どもから聞く学校の様子と全然違うのよ。」

 

教育の核は、授業および全教育活動です

つまり、保護者は子どもを通して担任の授業に取り組む姿勢、教育活動を感じているのです。授業づくり、学級づくりを抜きにして、いくら学級通信で語っても意味がありません。

と、ここまで批判的なものを申しておりますが、かくいう私も、学級通信をだしています。

ですが、学級通信に重きをおいてはいません。

食事で例えると、あくまで、学級通信は漬け物の役割です。主菜でも副菜でもありません。香の物です。あれば、主食が進みます。彩りや食のリズムに変化がつき、うれしいものです。でも、なくてもいいし、主菜が乏しいのに、豪華な香の物がついてきたら、まあそれはそれでうれしいですが、反面、そのコストを主菜に注いでほしいなあと思いますね、私は。勝負はやはり、主菜である「授業」です。

数々の学級通信本の著者は、きっと、いえぜったいに、この主菜である「授業」や「日々の教育活動」を充実させています。だからこそ、説得力がでるのです。ノウハウばかりを真似せず、文字には表れにくい授業力・学級経営能力(人権感覚)を感じて、それらを向上させようとする姿勢をぜったいに持っておかないといけません。

 

学級通信を出すときの心がけ

○やっぱり母親は自分の子どもをみてしまう

学級作りや授業作りに邁進するこの私ですら、我が子が低学年の時は、我が子を中心に見てしまっていました。もらってくる学級通信に写真が掲載されていたら、「うちの子はどこかな?」作文が載っていても、「うちの子は載っているかな?」という時代がありました。

また、先述したママ友との会話のように「一部の子の作文ばかり」で、保護者の中には我が子と周りを比べるだけに陥ってしまったり、写真を掲載した場合には、写真の写りに指摘があったりすることもあります。

もちろん、「先生、いつも学級通信を楽しみしています。ありがとうございます。」と言ってくれる保護者の方の言葉は、嘘ではありません。ただ、その言葉に甘えしまってはいませんか?

 

比べられて傷つくのは子どもです。教師批判を聞いて、胸を痛めるのも子どもです。

 

では、どんなことを心がけていけばよいのでしょうか。

 

○学級通信をだすときのめあてをもつ

私の考える学級通信を出すときの目当ては、「学校での様子を知らせる」ではなく、

「この通信をきっかけに、親子の会話になり、親も子も、視野を広げてほしい。」

ということです。

親にとって我が子の活躍や成長は、何事にも代え難い喜びです。でも、それだけではなく、我が子のお友達の成長や活躍も喜べたら、幸せは、増えていきます。これは、私の経験でもあります。学年が大きくなる度に、周りの子の成長もうれしく、大切に思うようになりました。娘の中学の卒業式。保護者席から娘の様子はあまり見えなかったけど、小さい頃から一緒だったお友達の男の子が、大泣きして歌っている姿をみて、私も主人も感涙でした。

娘との日々の会話の中で、「△△ちゃんってすごいの。今日ね、・・・」「○○くん、めちゃ優しくなってん。」「今日の授業で、先生がね、・・・」こんな会話が膨らみ、私は幸せが広がりました。

お話をするのが苦手な子どももいます。低学年であれば、時間が過ぎると忘れてしまい、なかなか話せない子もいます。その突破口を開く手だてとして、学級通信を出すことを基本としています。

 

ただし、高学年では、保護者に向けてではなく、共有したい道徳的価値を、話し言葉だけでは消えていく面も多いので、学級通信の記事にすることもあります。学級通信で可視化し、しっかり子ども達の胸に残すためです。さらに、担任の言葉を保護者にも垣間見てもらい、理解を頂ければ幸いです。ですが、理解を得られない場合もありますし、歪曲して伝わるリスクもあります。家庭環境は千差万別です。学級通信が弊害になるように感じた時は、通信を出さず、教室の掲示物にして可視化し、子ども達に意識付けすればいいのです。何も無理に学級通信を出さなくていい。何せ、学級通信は主菜ではなく、香の物ですから。

それでも必要と思うなら、目当て意識とリスク回避を十分に考えて、配慮をしつつ、学級通信を発行しましょう。

《私の具体的配慮》

(1)作文や写真を載せるときは、必ず全員分を載せます

作文や写真を載せる場合は、必ず全員が載っているようにします。「あの子の作文ばかり」という感覚を保護者が持ってしまっては、比べられる子どもがかわいそうです。全員分載せて、親子の会話も広がればいいなと思います。

 

(2)全部を書かずに、少し余韻を残します。

1年生で自己紹介をしたことを学級通信にしたとき、「いちごが好きな男の子は?」とクイズ形式にしました。もちろん全員分載せました。

遠足の日、帰りの会で1年生の子ども達に「6年生と一緒に行って、楽しい遠足だったね。ありがとうと思ったことはありませんか?今日はそれをおうちの人にお話することが、宿題です。」と言いました。

そこで、遠足の様子を伝える学級通信に「ありがとうのお話を聞いてもらえましたか?」と保護者へメッセージしました。

母の日の次の日は、1年生ですので持ち物の確認事項のみの紙面となりました。その中に「母の日のありがとうの言葉は、届きましたか?」という確認事項をいれました。

 

(3)イラストや担任の経験談で、和みのひとときを

担任の自己紹介を第1号にしますが、手書きの似顔絵を入れたり、参観日の後にだした通信では、「他の子と比べないで」というメッセージを私の経験談をいれたりして伝えました。(写真参照)

 

「学級通信にもの申す」という過激な書き出しでしたが、本意は伝わりましたでしょうか。

何より、主菜の授業づくりを中心に取り組みつつ、学級通信も意図をもって、そして目の前の子どもたちのことを真ん中においた配慮でつくりたいものです。 

松井 恵子(まつい けいこ)

兵庫県公立小学校勤務


兵庫県授業改善促進のためのDVD授業において算数科の授業を担当。平成27年度兵庫県優秀教職員表彰受賞。算数実践全国発表、視聴覚教材コンクール特選受賞等、情熱で実践を積み上げる、ママさん研究主任です。

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