2022.11.07
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「360°図鑑」みて、きいて、あるいて、世界に図鑑を届けよう(後編) 山口市教育委員会×山口情報芸術センターの取組

第19回(2022年度)日本e-Learning大賞 文部科学大臣賞を受賞した、山口情報芸術センター(以下、YCAM(ワイカム)とします)と山口市教育委員会が協働したスクールプログラム"「360°図鑑」みて、きいて、あるいて、世界に図鑑を届けよう"は、子どもたちにどのように響いているのか。後編では、プロジェクトを推進する関係者に子どもたちの反応や学習の成果についてインタビューした。
「360°図鑑」は、インターネット上に写真や動画などのメディアを盛り込んだ地域の図鑑を作成することで、他者との協働による調査方法やメディアの効果的な活用方法について学ぶスクールプログラム。2021年度にモデル校である山口市立生雲小学校においてスタートし、児童・教員らとともにYCAMと山口市教育委員会が共同で開発を進めてきた。

  • 山口情報芸術センター[YCAM]連携担当 菅沼聖氏(出張授業者)

  • 山口市教育委員会 三時和久指導主事

  • 山口市立白石小学校6年2組担任 中川翔太教諭

  • 山口市立白石小学校6年3組担任 楠本秀幸教諭

「360°図鑑」をGIGAスクール時代の新しいノートに

ワークショップで拒否感や苦手意識をくつがえす

―「360°図鑑」プロジェクトを始めたきっかけを教えてください。

菅沼連携担当(以下、菅沼) メディアアートの研究・開発を山口から世界へ発信し続けているYCAMは、2003年の創立当初より、テクノロジーの知見をまちづくりや地域コミュニティ構想など、さまざまな形で地域へ応用・活用しています。360°図鑑の着想となったのは、バイオテクノロジーとアートを掛け合わせた「森のDNA図鑑」というワークショップです。山口市内の森で採集した植物のDNAを抽出し、DNAバーコーディングと呼ばれる解析技術を用いて植物種の同定を行い、インターネット上で全天球の図鑑を制作するものです。

初めて「360°図鑑」を作成したときに得た経験から、GIGAスクール時代の新しいノートとして活用できるのではないかという着想を得ました。皆で共有できるノートという位置付けですね。昨年度は全校児童数が20名程度の小規模校での図鑑づくりでしたので、今回は100人規模で作成するという新しいチャレンジを含みます。先生方と子どもたちのフィードバックを受けながら、プロジェクト自体も成長しながら進めています。

―「360°図鑑」を通して、どのような力の育成を目指しているのですか。

三時指導主事(以下、三時) プロジェクトの主目的はもちろん子どもたちの情報活用能力の育成ですが、メディアアートと教育の親和性が、教える側の端末を活用しようという意識の高まりにつながることも期待しています。

中川教諭(以下、中川) 初めに構想案を聞いたときは、「これは難しそうだぞ」と感じましたが、オリエンテーションを通じて自分自身の興味が高まり、学校教育だけでは体験できない知識や経験を、子どもたちが楽しみながら総合的に得られるのではないかと感じるようになりました。

楠本教諭(以下、楠本) 「360°図鑑」では、今までは情報の受け手であった子どもたちが、発信するという立場になりました。この学習を進める中で、子どもたちは送り手という意識を持ち、情報モラルを身に付けることができたように思います。

三時 分からない子がいれば教えるという、教え合いの精神が子どもたちにありました。教えるという行為は、ともすれば上から目線になりがちですが、今日の授業でも子ども同士のフラットな目線で行えていて、感動しました。

子どもたちが将来のために獲得しておかなければならないもののひとつが、世界に向けて発信する自覚ですが、一方的に「してはダメ」と教えるだけでは伝わらない細かな決まりごとでも、自分のニックネームを考えようねという段階で、留意すべき著作権の問題に触れたり、地域を撮影する際に関わってくる肖像権や個人情報の取り扱い、また友達の書き込みに対してやってはならないマナー面の配慮などを話せたりと、行動を伴いながら教えることができるため、子どもたちの理解が早いと思います。

学校、地域とプログラムも育てる

―1年目の成果や、2年目になりブラッシュアップしたことを教えてください。

菅沼 最初は手探りなところも少なからずありました。今年度は、学校の先生方が入念に準備をし、子どもたちの「分からない」にすぐ対応できる体制を整えてくださったので、授業進行は初年度よりだいぶスムーズになりました。3つのモデル校それぞれの特徴や地域特性を活かしながら育てていくプログラムなので、総単元数も学校ごとに異なります。学校ごとに規模が違う点だけを見ても、一律にセットアップしておけば良いというわけにはいかないので、皆でアイデアを持ち寄ったり、授業の単元を組み込んだりと、プログラムを育てる視点も並行して走らせています。

全天球撮影は必ずしもドローン撮影を必須とするものではありませんが、「住んでいる町を高いところから見てみよう」という社会科の単元を取り入れた方が良いという、前年度モデル校の教諭の意見を反映させて、360°図鑑では必須アイテムとしました。今日の子どもたちは、これから「町のどこをカメラで撮影し、どんな魅力を図鑑に記録していくのか」を話し合うことから始めます。与えられた課題ではなく、自分の足で歩いて見つけた魅力を持ち寄って、ディスカッションも経験しながら全員で大きな目標へ向かっていくプロセスになっています。

三時 出張授業の利点は、専門分野をプロに任せることで、子どもたちが本物に触れられることです。いろいろな世界のプロと出会うことで、子どもたちは飛躍的に伸びると思います。今日の授業での体験を通じて、普段の学習中には見られなかった子どもたちの積極的な姿が見られました。これも大きな成果です。

また、総合学習で掲げる、地域のことを深く知ろうというテーマも内包する効果も実感しています。図鑑づくりに取り組むことで、周囲の大人たちが昔の話などを教えてくれる機会が増え、地域の人たちとの交流が増えています。学校教育の総合的な目的を、授業だけでは難しいところまで高められるプロジェクトだと期待しています。

菅沼 360°図鑑には、地域学習に向けたひと通りの表現がパッケージングされています。地域に出向いてカメラで撮影して、持ち帰った画像を編集して、文章を考え、問題点をチェックして最後に発信する。先生方がこの構想について非常に考えてくださって、取り組んでいただいている姿を今日見させていただいたことで、子どもたちの中でまちまちになっている知識の獲得を、今後は学校教育の中で標準化させていく意識の必要性も感じ取れました。このプロジェクトが、タブレット端末を使って実践するメディアテクノロジーの学習の最初の一歩のように進めていけたら、と改めて考えさせられました。

“学び合い”が加速

―授業のスタート時には静かだった子どもたちが、互いに教え合ううちに表情豊かになり、最終的には自由に席を行き来しながら自分の知識を友達に分けている姿が印象的でした。

中川 そのように学び合いが進んだのは、1年生からずっと「フリートーク」を続けていたからだと思います。お互いの考えを受け入れる素地ができていました。

楠本 フリートークは、毎週2回、楽しかったことや好きなこと、感じたこと、何でも良いから話をする時間です。自分が言いたいことを好きなように言う、友達が話したいことを聞く。1年生から始めた子は6年間の積み重ねができてきます。それがこんな風にプロジェクトで発現するとは想像していませんでしたが、図鑑づくりが子どもたちの変化を促す刺激になったのでしょうね。

菅沼 ICT機器だからこそ教え合いやすい面はありますが、思った以上にお互いがフォローし合っていて良い空気ができていましたね。

すべての子どもたちを幸せに

―今後の展望を教えてください。

三時 「やまぐち子ども未来型学習プロジェクト」が、予測不可能な未来を生き抜く本物の力を身につけさせるために有効であると、今日改めて実感できました。教育委員会としてこれまで、基本的な知識や技術、コミュニケーション能力や創造性といったものを育んできましたが、YCAMとの連携によって、山口らしい授業、山口らしい教育の中に新たな可能性を生み出していただけたと思います。

新しいチャレンジというものはえてして意見が割れがちですが、白石小学校の先生方が意欲的に取り組んでくださったことで、地域連携教育も含め、このプロジェクトですべてをカバーできる魅力が隠れていることを実感しました。子どもたちを幸せにするためには、先生方にも幸せになってほしい。0のところに新しいモノをねじ込んで負担を押し付けるのではなく、今やっている取組を活かして多方面につながる方法の有益さについて、今日の授業で手応えを得られました。

中川・楠本 今日、学校だけではできない、YCAMが持つような技術的な面を借りて、デジタルコンテンツとして学習発表するということが実現できました。そこが今までの学習からアップグレードした部分だと感じます。これからも学校と地域の連携を深めて、子どもたちの学習の幅を広げていきたいと思います。

菅沼 学校が苦手とする面に対して、メディアテクノロジーを扱うアートセンターであるYCAMという公共文化施設が補える面は多分にあると思います。今後は、この経験を踏まえてプロジェクトの指針である「未来の山口の授業」を、先生方や地域の皆さまとともに、さらにブラッシュアップしていけるのではないかと考えています。

YCAMという、ある種の実験的な公共文化施設を持つ山口市の文化的素養の高さを礎として、もっとスケールを大きく持って、山口ならではと言える教育モデルのようなものを作っていければと期待を持ちました。行政や教育委員会の懐の深さというか、対応の早さは、ある意味GIGAスクールの波がそうさせているところもあるでしょう。新しいコンテンツがいきなり入ってくるときの対応は負担にもなりますが、期待感も必要です。ここにはたくさんの人の知恵を持ち寄ることができる場ができていますし、対応しようと立ち上がってくださった。360°図鑑の経験値をICTに限定することなく地域発信につなげて、今後また訪れる変化に対応できるよう、子どもたちの豊かな学びのために、格差なく学べる場を満遍なく担保していっていただきたいと心から願っています。

記者の目

子どもたち自身による「360°図鑑」の作成にあたり、タブレットの操作方法という初歩的ステップからのスタートでは時間がかかるのではないかと思ったが、杞憂だった。子どもたちは教えられるのを待つのではなく、自分から動いてICT機器の操作の知識を分け合っていた。ビジネスシーンで叫ばれるアート思考を育てる契機にもなるのではないだろうか。
GIGAスクール構想に「FUN(楽しみ、面白さ)」をプラスすることで、学びの幅を有益に広げられることを、プロジェクトが雄弁に語っている。

取材・文:学びの場.com編集部
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM](撮影:塩見浩介)

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