2012.09.04
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"幸せの国"ブータンの教育事情[前編](vol.1)

第40回目は今年4月、日本ユニセフ協会大使として視察したブータンの教育事情をお伝えします。日本では「幸せの国」で知られる同国ですが、実際は発展途上国。教育面でも多くの課題を抱えています。まず前編は、地方の農村部の現状です。

ブータン基礎データ


【ブータン】
 インドと中国に挟まれた、九州とほぼ同じ面積の国土をもつ国。人口は約70万人。国家予算の約4割は外国からの援助に頼る発展途上国。平均寿命は66歳。公用語はゾンカ語。第2公用語は英語。

【国民総幸福(GNH=Gross National Happiness)】
 物質的、経済的豊かさだけではなく、伝統文化に根差した持続可能な発展を目指す国是。2005年の同国における調査では回答者の97%が「幸せ」と答え、10年の調査では質問や手法が異なったが、「幸福」とカウントされたのは41%だった。

【教育制度】
 6-2-2-2制と大学。就学前教育が1年、小学校は7歳からの6年間、その後中等教育は2年制の前期中等学校、2年制の後期中等学校、またそれに続く 2年生のジュニア・カレッジがある。公立学校は無料で、首都以外は学用品、給食も無料だが、制服は個人負担。義務教育制度はない。


識字率は国全体で約50%

「幸せの国」として有名になったブータンですが、実はまだ発展途上の国。国内の識字率は約50%と途上国の中でも低く、成人教育の遅れも問題視されていま す。児童・生徒が通う学校は1985年から整備され始めたものの、地方などではまだ学校が不足しています。そのため、現在もまだすべての学校段階を義務教 育にすることはできずにいます。学費は無料ですが、制服代などの雑費が払えないために、学校に行っていない子も多くいるのが現状です。

1970年代から「国民総幸福(GNH)」という理念を国造りの基本においたブータンは、85 年には教育目標の大きな柱の一つに「万人教育」を掲げ、児童・生徒への学校教育だけでなく成人教育も含め、教員養成の促進など教育制度を充実させようとい う姿勢が顕著になりました。

今回私は、首都ティンプーから、自動車と徒歩で約9時間の距離にあ る、ダガナ県の山奥の集落を訪ねました。ここには2006年にユニセフの支援で設立した学校があります。6年前、一人の教師が「学校を作りなさい」と国か ら派遣されこの集落へやってきて、村人と共に学校を手作りし、集落の一軒一軒を回って親を説得、約40人の子どもたちを集めてスタートした小学校です。今 では児童数200人以上、教師も6人になり、小学校に幼稚園(就学前教育)、保育園(主に言語教育を中心に行う施設)も併設されました。

すべての教科教育に「GNH」の思想を反映

山の中腹にぽつんと建つ児童の自宅

山の中腹にぽつんと建つ児童の自宅

今回視察した学校にはキンザンという12歳の少年がいました。彼の家は農業を営んでいますが、 農業の収入だけでは生活が苦しいため、父親は都市部に出稼ぎに出ています。キンザンの通学は徒歩で片道3時間かかります。そのため、朝は5時に出発、夕方 4時には学校終了と同時に出て、暗くならないうちに険しい山道を急いで帰る毎日です。村の道はまだ整備されておらず、当然バスや電車はありません。それで もキンザンが学校に通うのは、親や親せきたちが「私たちは読み書きができないのでまるで目が見えないのと同じです。子どもには光を与えたい。そして農民に なるしかなかった自分とは違い、キンザンにはなりたいものになってほしい」という思いを持っているから。これは、働き手でもある子どもを学校へ通わせてい る多くの家庭の共通の思いだと聞きました。子どもたち自身も「学校に行けば友だちがたくさんいる。勉強もできて給食も食べられる」と、学校に行くことを喜 んでおり、たとえ遠距離の通学でも頑張って続けているようでした。

学校教育の核となるのは、GNHの精神を教えること、つまり「GNH 教育」です。2010年から始められたGNH教育の教育目標は、(1)人を羨ましがらず、足るを知る生活、(2)自国文化への理解、(3)自然を愛する心 です。また、語学教育に熱心で、第2公用語の英語を幼稚園段階から行っており、授業は国語以外どの科目も英語で教えます。さらに、仏教に基づく伝統的価値 を学ぶ意図も、各授業前の短い瞑想や、毎朝礼での読経などに見られます。これらの取り組みにより、子どもたちの心身のバランスがとれ、落ち着きと集中力が 増す効果があるそうです。

教科教育は、GNHの教育目標をさまざまな形で教科書に盛り込み教え ていました。たとえば「人の幸福が自分の幸福」という価値観は、2年前まで算数の問題で「●●さんが牛を3頭飼っていましたが、ある日1頭盗まれてしまい ました。残りは何頭でしょう」だったのが、現在は「●●さんが牛を3頭飼っていましたが、困っていた○○さんに1頭あげました。●●さんの残りの牛は何頭 でしょう」に変わり、問題文の表現などに反映されています。

私が子どもたちにGNHとは何かを尋ねると、「人を助けること」「親孝行すること」「努力すること」という答えが返ってきました。物質的に貧しくても、精神的には安定している子が多いと感じました。これもGNH教育の効果でしょうか。

教師は社会的地位の高い職業

教師は社会的地位が高く、人気職業の一つ。免許は、中学校卒業後、特別コースに進み、そこで勉強をした後に現場での実習を1年間行い取得します。日本の高 校卒業くらいの年齢で教師になれるわけです。現在は万人教育を国の目標としていることから、教師になると、3年間は地方の学校に行く義務が課されます。
視察した農村部の小学校

視察した農村部の小学校

今回私が訪ねた集落もそうですが、少数民族が多いのでゾンカ語と英語のどちらも理解できない児 童が少なからずいます。現場で教える教師は大変ですが、訪問した学校の校長先生は「教育というのは、この子たちによりよい人生を与えてあげるための作業で す。勉強ができるかできないかは関係ありません。教育を受けることで、よりよい人生を送ること。彼らがよい人生を送れば、この地域がよくなります。この地 域をよくするために教育があるのです」と語ってくれました。

他の教師たちもこうした思想を持って、熱心に教えていました。中で も、都市部から来た教師は少数民族の言葉がわかりませんから、児童が困っていてもゾンカ語と英語で教えるしかありません。ところが、教える側の伝えたいと いう熱心な気持ちと、子どもたちの学ぼうとする気持ちで、小学校6年間が終わる頃には、ゾンカ語も英語もわからなかった子どもが授業内容をきちんと理解 し、試験でもかなり高い点数を取るようになるそうです。

今回視察した地方の教育現場は、学校不足による通学時間の長さや、少 数民族の言語への対応不足、そして何よりまだ学校へ通わずに働いている子どもがいることなど、多くの問題を抱えていました。ただ全く学校がなかった 1996年以前よりは、着実に児童・生徒、そして教員数も増え、村人に教育の重要性が浸透しつつあることは事実です。

学校ができ、就学率も増え、子どもたちが熱心に学ぶという地方での目に見える進歩がある一方、学校は十分に整備され、比較的裕福な家庭の都市部の子どもたちには、新たな問題も出てきています。来月はそのことを中心にお伝えします。

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アグネス・チャン

1955年イギリス領香港生まれ。72年来日、「ひなげしの花」で歌手デビュー。上智大学国際学部を経て、78年カナダ・トロント大学(社会児童心理学科)を卒業。92年米国・スタンフォード大学教育学部博士課程修了、教育学博士号(Ph.D.)取得。目白大学客員教授を務め、子育て、教育に関する講演も多数。「教育の基本は家庭にある」という信念のもと、教育改革、親子の意識改革について積極的に言及している。エッセイスト、98年より日本ユニセフ協会大使、2016年よりユニセフ・アジア親善大使としても活躍。『みんな地球に生きるひと』(岩波ジュニア新書)、『アグネスのはじめての子育て』(佼成出版社)など著書多数。2009年4月1日、すべての人に開かれたインターネット動画番組「アグネス大学」開校。2015.6.3シングル『プロポーズ』release!!(Youtubeで公開中)

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構成:菅原然子/イラスト:あべゆきえ

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