地球温暖化で水没しつつある国、キリバスから環境問題を考える(前編)
私、アグネス・チャンがこれまで学んだ教育学の知識や子育ての経験をもとに、学校や家庭教育の悩みについて考える連載エッセイ。今年5月末~6月初めにかけて、ユニセフ・アジア親善大使として視察した太平洋にあるキリバス共和国の環境問題についてお伝えします。キリバスは、地球温暖化による海面上昇によって、最も早く沈んでしまう可能性のある国の一つと言われています。前編ではキリバスの抱える問題や人々の暮らしについて取り上げます。今回は「地球温暖化で水没しつつある国、キリバスから環境問題を考える」をテーマに考えました。
気候変動がもたらすキリバスの危機
コロナ禍の影響で活動が制限され、何年かぶりに海外を訪問することができました。今回はキリバスへ行きました。太平洋に浮かぶ33のサンゴ礁の島々からなる国です。首都はタラワ島という「く」の字を逆さにしたような形の細くて長い島にあります。とても狭く、最も幅の狭いところは約25mしかありません。一本しかない道路のすれすれまで海があり、ほとんどの人が海沿いに住んでいます。
キリバスでは海面上昇による、潮の満ち引きの影響が深刻です。満潮時には海水が家の中に入ってきてしまいます。
公共施設やお金のある世帯は防潮堤をつくることができますが、多くの人は政府に申請して大きなビニールの砂袋をもらいます。それに砂を詰めて自分の家の前に置きます。砂袋すら手に入れられない場合はゴミを積んで、海水の侵入を防ごうとします。しかし、波は繰り返し押し寄せるため、砂袋は破れ、ゴミは流されて、海を汚染します。
しかも、「キングタイド」と呼ばれる高潮がくると、水位は約3mも上昇します。島の最も高い部分でも3mしかないため、キングタイドがくるとほとんどの家が被害を受けてしまいます。予測では50年後には、海面が60cmから1m上昇すると言われています。その場合、キングタイドが来たときには、島全体が水没してしまうでしょう。
水不足と汚染により失われる子どもたちの命
そして、海水は豊富にありますが、飲料水となる真水は少ないのです。サンゴ礁の国なので地下水が乏しく、井戸を掘ったり、政府が地下水を吸い上げたりしていますが、十分ではありません。さらに、海面上昇によって、海水が地下水に侵入するようになってしまいました。塩分を含んだ水は体に害があるため、飲めません。そのため、飲み水は雨水に頼るしかありません。今までは雨季と乾季があったため、雨季の間は雨水を貯めて使うことができました。
しかし、地球温暖化の影響で、これまで経験したことがないような干ばつが繰り返されるようになりました。干ばつに見舞われると、雨はほぼ降らず、深刻な水不足になります。輸入された飲料水を購入することもできますが、貧しい家庭は塩分を含んだ水を飲むしかありません。キリバスの子どもたちの夢は毎日水が飲めることです。
キリバスの子どもの死亡率は高く、主な死因は下痢です。衛生状況と水質の悪さが原因です。下水設備が整っていないため、人々は海で体を洗い、野外で排泄して、水質が汚染されています。
さらに、この国の財政状況は厳しいです。かつてはリン鉱石が採掘できる島がありましたが、イギリスの植民地時代に資源を使い尽くしてしまいました。1970年代に独立をした際に得た資金をもとに政府系ファンドをつくり、少しずつ取り崩しながら国を維持しています。
キリバスは広い経済海域を持ち、外国の漁船から得る入漁料も収入源となっています。これまでは年間何百万ドルの収入を得ていましたが、温暖化で魚が別の海域へ移動してしまいました。その結果、日本やドイツなどの漁船は撤退し、現在漁をしているのは中国と韓国の漁船だけです。
美しい海や自然を生かして、観光業を開発すればいいと思うかもしれませんが、ホテルを建てる土地もなく、水や電気、下水などのインフラも不十分です。唯一の産物はココナッツオイルです。しかし、政府が買い上げる仕組みはすでに赤字に陥っています。国民の8割は失業手当を受給し、お年寄りは年金で生活しています。
子どもたちは、「最近怖いものがある」と言います。かつてのキリバスは穏やかな気候で、夜は海風を浴びながら野外に寝て、芋や魚を食べてのんびり暮らしていました。
しかし、最近では台風のような激しい暴風雨が年に何回も発生しています。子どもたちは風の音や雨の強さにおびえています。彼らの家は屋根に葉っぱをのせたような簡素なつくりで、暴風雨には耐えられません。今年は木が倒れ、屋根も飛ぶような被害があり、大きな問題となっています。
コミュニティを大切にする人々の暮らしと未来への不安
ユニセフの支援により、若者のグループがマングローブの木を植え、ビーチを掃除して、環境問題について勉強しています。そのグループで、「この島で何が一番好きですか?」と聞いたら、ひとりの女の子が「コミュニティ」と答えました。みんなが一緒に生きて、お互いに助け合っているところが、この国の良いところだと話してくれました。そして、一番心配なことを聞くと、彼女は「環境問題を知るほど、私は子どもを産んではいけないのかなと思う」と言うのです。
この言葉は、私の胸に刺さりました。コミュニティを大切にして、自分の家庭を作ることを望みながらも、子どもを産むことをためらっているのです。
さまざまな家族にも会いました。ある家族は26歳の若い母親と、その兄弟や家族の大人7人、子ども22人が一緒に住んでいます。仕事はほぼなく、漁に出る兄弟が一人います。輸入に頼るキリバスでは物価が高く生活は大変で、彼女の夫が出稼ぎに行っています。夫はニュージーランドで野菜や果物を収穫する仕事に就き、もう9か月も家に帰っていません。若者たちは「この国を絶対離れたくない」と言いますが現実は厳しいのです。
別の家族は、海沿いにあった家や店が潮で流されてしまいました。夫は漁に出ていたため、彼女は近所の若者に助けてもらい、子どもを抱えて逃げたそうです。今は彼女のお母さんの家に、みんなで住んでいます。夫の退職金と彼女の失業手当、お年寄りの年金で生活しています。再び自分の店を持ちたいけど、その資金がありません。話を聞くほど、未来が見えなくなります。
政府関係者の会議で印象に残ったのは、温暖化で生活が苦しくなり、ストレスで家庭内暴力が増えているということです。イライラした大人から、子どもが殴られるなどの暴力を受けています。
もう一つは性的搾取の問題です。停泊している漁船の船員たちにより、未成年を含めた女性が買春されています。これは本当に深刻な問題です。
また、政府は経済海域が減ってしまうことも懸念しています。島が沈んでも国や海域を認めてほしいという訴えを国連に出そうとしています。たとえ島が無くなっても、国であることを保ちたいという思いがやりきれなかったです。
温暖化は彼らのせいではないのに、真っ先に被害を受けているのです。お年寄りは「子どもや孫の世代はどうなるのだろう、その先の世代はまだ国があるのか」と心配しています。
キリバスの子どもたちが遠浅の海岸で遊ぶ光景はとても美しいものでした。その様子を見ていると、「いつまでこの光景が続くのだろう」と切なくなりました。キリバスは今、「Not sustainable」。つまり、持続可能ではない状況です。
後編では、キリバスの問題を解決するために取り組んでいることや、私たちにできることついて考えます。
アグネス・チャン
1955年イギリス領香港生まれ。72年来日、「ひなげしの花」で歌手デビュー。上智大学国際学部を経て、78年カナダ・トロント大学(社会児童心理学科)を卒業。92年米国・スタンフォード大学教育学部博士課程修了、教育学博士号(Ph.D.)取得。目白大学客員教授を務め、子育て、教育に関する講演も多数。「教育の基本は家庭にある」という信念のもと、教育改革、親子の意識改革について積極的に言及している。エッセイスト、98年より日本ユニセフ協会大使、2016年よりユニセフ・アジア親善大使としても活躍。『みんな地球に生きるひと』(岩波ジュニア新書)、『アグネスのはじめての子育て』(佼成出版社)など著書多数。2009年4月1日、すべての人に開かれたインターネット動画番組「アグネス大学」開校。2015.6.3シングル『プロポーズ』release!!(Youtubeで公開中)
ご意見・ご要望・気になることなど、お寄せください!
「アグネスの教育アドバイス」では、取り上げて欲しいテーマ、教育指導や子育てで気になることなど、読者の声を随時募集しております。下記リンクよりご投稿ください。
※いただいたご意見・ご要望は、企画やテーマ選びの参考にさせていただきます。
※個々のお悩みやご相談に学びの場.comや筆者から直接回答をお返しすることはありません。