2004.08.23
皆で分かち合うのがサモア流!
サモア在住のyahoiさんからの投稿です。南の島サモアの子どもたちについてのリポートをお寄せいただきました!
子どもたちを学校に送り届けたあと、校内で昼寝をして待つ母親たち。まさしくのんびりモードのサモアならではの光景。
サモアは南太平洋に浮かぶ小さな国。青い空に白い雲。エメラルドグリーンの海にココナツとまさしく絵に描いたような常夏の南の島だ。ついつい暑さでダラ~としてしまうのはわかるがそれがそのまま人々の生活ペースとなっているようで、過酷なスケジュールのもと一分一秒を惜しんで何かをするなどということは有り得ない。学校教育は、ニュージーランドの教育システムに準じているとは言うものの、午前8時前に学校が始まっても午後1時には終ってしまうというのんびりモード。
サモアじゅうのどの学校にも制服があり、学校別に色分けされているので制服を見るとどこの学校かがすぐわかるようになっている。学校指定の履物が「ゴム草履」というのがいかにも南国らしい。家庭では裸足で過ごしている子どもたちも多いからか、うっかり裸足のまま学校に登校してしまう子どもたちがいたりするのはご愛嬌だ。
こちらは手芸をしながらおしゃべりをして時間を潰す母親たち。
ポリネシアの伝統を今も強く重んじるサモアには「分かち合い」という文化がある。「私のモノは私のモノ、あなたのモノはあなたのモノ」という西洋的な個人主義は通らない。サモア流は「私のモノはあなたのモノ、あなたのモノは私のモノ」と思ったほうがいい。そんな背景もあってか、うちの子どもが定規を忘れた時に、お友達が自分の定規を半分に折って貸してくれたという話しを聞いた時には驚いたと同時に思わず笑ってしまった。ここでは「モノを大切に」という観念より、「分けてあげる」ことの方が大事なのかもしれない。
実際、その「分かち合い」を理解して初めて納得のいくことは多い。中学に通っていた次男はいつもお弁当を持参していたのだが自分の弁当を自分だけで食べることはなかった。いつもの気の合う仲間といつもの木陰でお弁当を食べるのにも、まずはそこにいるメンバー全員が持っている食べ物や飲み物、飲食代としてお金を持ってきた者はそのお金(弁当代が1ターラの者は1ターラ、5ターラの者は5ターラ)を中央に差し出す。その集まった現金を持って誰かが売店に走る。そして購入した食べ物と集まったすべての弁当を全員で均等に分けて仲良く食べていた。たとえ、仲間のひとりが弁当も弁当代も持っていなくとも仲間外れになることはなく、そこに居た者は皆、均等の分け前にありつくというなんとも平等のような不平等のようなサモアらしいルールでランチを分かち合っていた。
我が家の子どもたちが4年間通ったマリファ地区にある学校には、より良い教育を受けさせたいと願う親たちが遠方から子どもを通わせていることも多く、特に低学年のうちは、親がタクシーや車で毎朝子どもたちを学校に送り届ける。その後ランチタイムと呼ばれる午前10時からの30分間の休憩時間まで、親は校内のあちこちで、井戸端会議を楽しんだり、手芸、読書、昼寝などして時間を潰す。休憩時間にはそれぞれの子どもたちといっしょにお弁当を広げ、まるで毎日が遠足かピクニックのようだ。
皆のお弁当を真ん中に置いて、それを分け合って食べる中学生たち
この場合もしっかり「分かち合い」は生きていて、親が同伴していない子もお弁当を持っていない子も、そこにいる子どもたちをそこにいる大人たちが気遣いながら食べ物を分け合いワイワイ過ごす。校内の売店ではクッキーやドーナツ、インスタントラーメン、コーラやアイスキャンディーなど、あまり健康的とは言えないものが売られているが、校庭のマンゴーの木によじ登りマンゴーをランチ代わりに失敬という子どももいる。ちなみに売られているインスタントラーメンは調理せず、粉末スープをふりかけてそのままボリボリ食べるという「ベビースターラーメン方式」(?)を採用していた。
待っているお母さんといっしょにお弁当を食べるのは毎日がピクニックみたい。
腹ごしらえが終ると残りの休憩時間終了ギリギリまで、子どもたちは照りつける太陽の下、かけっこにかくれんぼ、ゴム跳びなどで元気に遊ぶ。男の子は空のペットボトルをボール代わりにラグビーに夢中。泥まみれになり裸足で校庭を走り回るのでどの子の膝小僧も擦り傷だらけだ。大雨の後の水溜りは、子どもたちの格好の遊び場と化している。きれい好きな日本のママが見たら悲鳴をあげることまちがいなし。でもこんな子どもたちの様子は、一昔前の日本に似ていなくもない。なんだか70年代に過ごした我が子ども時代を彷彿させて懐かしい。
サモア在住:yahoi
地図画像著作権:白い地図工房&学びの場.com
※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。