キャリア教育≒筋トレ?
筋トレはキャリア教育の大事な部分を教えてくれる。
クラブの合宿で部員たちの筋トレを見ていて、ふとこんなことを思いました。
こう書いてみなさんは何のことか想像できるでしょうか。
私事ですが、少し前に自転車通勤をするようになりました。運動不足の毎日を過ごす中で、
「夜に家の近所を走ろう」と思っても、なかなか実行できません。
そんなとき、学校には絶対行くから、そこまで自転車で行けば運動になると思いつきました
(しんどければ電車とバスでも行けるという逃げ道もあります)。
こうして自転車通勤が始まりました。するとたしかに運動はできました。
ただ少し期待していた体型や体重の変化は特にありませんでした。そんなとき同僚から、
「自転車通勤でつけたい筋肉をつける方法がある」と聞きました。
その方法はいたってシンプルでした。「つけたい筋肉を意識して自転車をこぐ」というだけです。
半信半疑でしたが、腹筋を意識して自転車通勤を続けると、確かに筋肉がついてきたようで、
少しお腹まわりがすっきりしました。
この教えが示しているのは、同じことをしても「ねらいをきっちり意識して実行するのかどうか」で
結果には大きな差があるということです。 たしかにクラブで部員たちの筋トレを見ていても、
鍛えている筋肉を意識してトレーニングしているかどうかで、結果に大きな差が出ています。
考えれば当然です。今の時代、筋トレのメニューはインターネットですぐに調べることができます。
しかしそのメニューの意図をわかっているかどうかで、トレーニングの効果は大きく違ってきます。
だからすばらしい筋トレのメニューを調べ、それを実行すれば成果が出るということではないのでしょう。
専門のトレーナーに教わる意義も大きいのでしょう。
このことはキャリア教育、いや教育活動全般に大きな示唆を与えると思っています。
同じことをしても、「何のために、何をねらっての取り組みなのか」を理解しているかどうかで、
その結果には大きな差が出るのです。
ある県での事例
数年前、ある県のキャリア教育コーディネーターの研修に参加する機会がありました。
そこにはいくつかの学校のコーディネーターの方が参加されていて、
キャリア教育の実施計画を作られていました。1年間のキャリア教育の取り組みを一覧表にし、
どの取り組みがどのような力をつけることをねらいとするのかを明らかにする表です。
つける力は、基礎的・汎用的能力(*)の4つが中心となっていました
(おそらくこのような表を作っている学校はいくつもあるでしょう)。
その際、ある方が「仕事を語ってもらう会(講師は社会人)」は「自己理解・自己管理能力」と
「キャリアプランニング能力」のどちらに入れたらいいですかという質問されました。
たしかに「仕事を語ってもらう会」は、「自己理解」にも「キャリアプランニング」にもつながります。
実施計画を完成させるということを考えると、どちらに入れるか迷うのは当然のように思います。
みなさんならこのとき、どうされますか?
私はここにこそ重要な点があると思いました。もちろん両方に○をつけるというのが一番楽な解決法です。
しかし大事なことは○をどこにつけるのかではなく、「仕事を語ってもらう会」というイベントのねらいを
考えること、そして教員間で共有することではないでしょうか。
その際、その学校の生徒の実態や課題をどのように把握しているか、
その対応としてどんな取り組みが必要なのかが議論になるでしょう。
その議論にこそ意味があり、そうしたプロセスを経て完成した実施計画こそが、活きたものになります。
たとえば大学生の進路講演というと「キャリアプランニング能力」を育てるという学校が多いでしょう。
しかし、たとえば多くの生徒が人間関係づくりや人とのコミュニケーションに課題を抱えているならば、
進路講演を通して「人間関係形成能力」を育てるという位置づけも可能でしょう。
ねらいがかわれば、事前事後の取り組みも変わります。話をしてもらう内容、
取り組みで使うワークシートの質問の一つから変わるでしょう。
講師の大学生と生徒とをどのように関わらせるのかも大事なポイントになるでしょう。
ただこのようにして教員側がねらいを意識して実施する取り組みこそが、より生徒の力を伸ばすことはまちがいありません。
腹筋を100回するということ一つとっても、どのように意識して取り組むかで結果は大きく違います。
インターンシップや講演会などキャリア教育の取り組みも同じでしょう。
キャリア教育の取り組みを議論するとき(いや、これは教育全体に言えることでしょう)、
「いつ何をするのか」だけに議論の焦点があたりがちです。
しかしそれは腹筋をするのか背筋をするのか、練習の中でどの時間にするのか、そんなことを議論しているにすぎません。
大事なことは、何をねらいとして、教師側がどのようなことを意識して取り組むのかであり、
そこを議論、共有すべきではないでしょうか。
キャリア教育が(いや教育全般が)筋トレから学ぶことは多いように思います。ここまでいうと言いすぎでしょうか。
やはり筋トレは大事なことを教えてくれる ?
本校はクラブが盛んで、全国レベルのクラブも多いのですが、強いチームの特徴として、
指導者はもちろん選手も、練習の意図をわかって練習していることがあるように思います。
逆に強くないチームほどメニューをこなすことのみに必死になっているようにも思います。
「いつ何をするのか」に焦点をあてがちだけど、「何をねらいとして、どう取り組むのか」の方が大切。
ごく当然のことで、部活動の指導をしたことがある人なら必ずわかっていることでしょう。
本校の強豪クラブで顧問として勤務されていたある先生は、他校に異動される際
「立命館宇治の○○部は強いし、どんな魔法のような練習をしているのだろうと思ってこの学校に来た。
しかし実際に練習を見ると、練習メニューは自分の前任校でもやっているようなことばかりだった。
ただ、何のためにその練習をしているのかをみんなが理解していて、そしてその練習を、
できるまで徹底的にやっていた」と語られていました。
学校で教育を議論するとき、どうしても「何をするのか」「いつするのか」ばかり議論しがちです。
もちろん、それは大事なことです。しかし本当に成果を残す取り組みにしたいならば、
議論するべきもっとも大切なところはほかのところにあるのでしょう。
とはいえ何をするのかばかり決まっていき、何をねらいとするのかは共有されない現実もあるでしょう。
それはクラブでいう弱いチームの練習かもしれません。ふとそんなことを思ったりします。
キャリア教育の取り組み、日々の授業実践、学校での教育活動、どんなことをねらいとして取り組んでいますか?
ねらいを意識せず弱いチームの練習になっていませんか?自戒をこめて書きました。
蛇足かもしれませんが、最後にもう一つだけ補足します。
筋トレなど運動に関しては、やりすぎると身体を痛めること、施設・設備の限界もあり、
ある一定の枠(時間や負荷)の中で、優先順位を考えることがほとんどです。
そうなると何かを新しいメニューを取り入れるときは何かを捨てなければいけません。
しかしなぜか教育はそうなりにくいです。○○教育、△△教育、、、、必要なものは
何でもやろうとしてしまいがちです。生徒に課題を与える時も、
ついつい生徒の生活時間の設計などを考えず、こちらが必要と思う量をひたすら与えるということをしがちです。
これらも、「何をするのか」に焦点が当たりすぎた結果なのかもしれません。
さらにどんなに素晴らしいトレーニングでも、一日やっただけでは効果は出ません。
継続して取り組むからこそ成果が出ます。そんなことは誰しもがわかっています。
しかしなぜか教育には即効性を求めてしまいがちです。
「この取組を一度したから、生徒がこんなに大きく変わって・・・」という魔法のストーリーを描きがちです。
しかしそんな魔法のようなことは現実にはありません。それはスポーツの世界ですでに実証されています。
やっぱりスポーツの世界から学べることは意外と多いのかもしれません。
オリンピックや甲子園を見ながら、日々の選手たちの練習の積み重ねに思いをはせてこんなことを思いました。
みなさんはどのように思われますか?
お読みいただき、ありがとうございました。
感想などいただけたらうれしいです。
引き続きよろしくお願いします。
(*)「人間関係形成能力・社会形成能力」「自己理解・自己管理能力」
「課題対応能力」「キャリアプランニング能力」の4つ。

酒井 淳平(さかい じゅんぺい)
立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任)
文科省から研究開発学校とWWLの指定を受けて、探究のカリキュラム作りに取り組んでいます。
キャリア教育と探究を核にしたカリキュラム作りに挑戦中です。
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