2016.06.02
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新任あるある Vol.4「心を開く(2)」

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 前回、「心を開く」とは「この人は自分の思いを受けとめてくれる」、「愛情をもって接してくれる」と相手に感じさせること、心を開いていることによって信頼関係が築かれ、学習の成果を上げることができるようになること、心を開いていると知らせるためには外見や服装も大切であることをお話ししました。今回はその続きで、子どもたちと信頼関係を築くために心がけるべきことをお伝えしていこうと思います。

 

 さて、外見や服装の他に、人とのかかわり方を良好なものにしていくためには、表情や仕草、言葉遣いも大切になります。私は笑顔でいることを常に心がけ、子どもたちがどんな言動を見せようと穏やかな対応をしようと努力しています。特に思春期の子どもたちが大人を試すような生意気なことを言ってくるときにこそ、平静さを装うようにしています。

 しかし、ときには厳しい表情で、はっきりと思いを伝えることも必要です。ごくたまにですが、「キモい」とか「おばさん」といった、聞くに堪えない言葉を耳にすることがあるのです。もちろん、こういった言葉を使う子どもたちは限られていますし、背景には子どもの寂しさや甘え、どんなことでも受けとめてくれるはずという誤った認識があるのも事実です。いつも笑顔で相手を受けとめようとする姿勢を保っていたとしても、度が過ぎるときには毅然とした態度で対応しなければなりません。

 

 また、こんなこともありました。10年ほど前に、不登校の子どもたちとかかわったときには、彼らから「先生」という言葉を使いたくないと言われて、「あらちゃん」と呼ばせたことがあったのです。子どもたちの心の中にある、教師に対する不信感を打破しようと思ったからです。しかし、振り返ってみると、これは苦渋の選択であったと思います。なぜなら、その呼び名によって、大人と子どもの境目を見えにくくさせてしまう危険性があったからです。子どもたちは「フレンドリーな関係」を、あたかも「自分たちの仲間だから、何でも言っていい相手」と勘違いすることがありました。

 

 丁寧な言葉遣いを心がけ、「親しき仲にも礼儀あり」ということを伝えることは、教師の大切な仕事です。さらに、同じ年齢の友達であったとしても、礼儀を守るべきだということを教えていかなければなりません。道徳の授業で命の大切さを学ばせたり、いじめはダメなのだと気付かせたりすることも大事ですが、子ども同士であっても、日頃から丁寧な言葉を使えるように仕向けることも必要なのです。そういったけじめを育てた上で、教師は笑顔で穏やかに対応できるように、自分自身の心の安定を保っていくべきだと思います。

 さらに、教師が自分を語ることも、心を開いていることを知らせる合図になります。自分がどこで生まれどんな遊びをして育ったのか、今はどんな生活をしているのかということを、常識の範囲で話すことも効果があるのです。前述した不登校の子どもたちとの関係を作るためには、私は自分のことなら何でも話しました。幾重にも着込んでいた衣を一枚一枚脱ぐように自らをさらけ出すことによって、やっと彼らも自分の心を見せることに躊躇しなくなったと記憶しています。

 

 もうひとつ有効な方法は、直接的な会話が苦手な子どもたちのために、文字でのやりとりを取り入れることです。普段の学校生活では、一日のうちに全員に対して個別に声をかけることは不可能です。担任をしていても、「よくできたね」の一言をかけられればいい方で、じっくりと話す時間を取ることは難しいと思います。もちろん、一部の子どもたちは、放課後に担任と話すのを楽しみにしていることもあります。でも、それは数人に限られています。

 これまでも何度かご紹介しましたが、担任をしているのであれば、一行日記を宿題とすることをお勧めします。昨年度に担任した6年生の子どもの中には、面と向かって話しかけてくることはなくても、日記に本音を書いてくる子どもたちが数名いました。私は、彼らのために日記を続けて本当によかったと思っています。卒業間際には、「卒業することは悲しい」とか、「先生も一緒に中学校に来てはどうか」といった文章も目にしました。「○○ブルー」「○○ロス」と表現されるような心境にあったのだろうと察します。

 私は日記へのコメントを通して、短い文章ではありましたが、できる限り励ましました。もし、日記をやっていなかったら、彼らの不安感に気付くこともなく、思春期の反抗的な態度を真に受けただけであったろうと思います。そして、心の交流は浅いままで終わっていたに違いありません。

 文章でのやり取りは、担任以外でもとても有効です。今年度は算数の授業を担当していますが、ノートを集めてコメントを返すことがあります。子どもたちは、それをとても楽しみにしています。あるとき、「先生、今日もノートを集めるでしょ?」と聞かれたので、「今日はノートを見る余裕がないので、今度ね」と答えると、がっかりしたという声が聞こえてきました。午後に出張が入るときには、コメントを書き入れてやる余裕がないのです。そんなときには自分自身も無理をしないで、続けることを目標にしていこうと思っています。

 

 人と人との関係は、互いの言葉のやりとりや一緒に体験することの積み重ねで作っていくしかありません。一朝一夕にできるものではないのです。やりとりの中には、ネガティブな気持ちになることもあるでしょう。でも、それを乗り越えてかかわりを続けていくことにより、ある時、関係性が深まっていることに気付かされるのです。

 

 今回も最後に笑い話です。私は黒板に書く文字も、たいして上手ではありません。中には教師の鏡とでも呼べるような、達筆で丁寧に書くことのできる人もいますが、私にはできません。その傾向は、ペン書きの文字であっても同様で、保護者の方の美しい文字の隣に、整わない文字で返事を書き入れるのがためらわれることもあります。ですから、子どもたちの日記へのコメントも、メモ書きのような文字です。低学年の教師には向かないなと、最近思うようになりました。

 さて、その上手とは言えない文字で、同世代の友達のような気持ちで返信していたコメントを、おそらく多くの保護者が読んでいたのだろうなと、ずいぶん時が経ってから気付きました。かなり恥ずかしい気持ちにもなりましたが、私の思いを受けとめてくださった保護者の方もいらっしゃったようです。むしろ、担任が我が子に愛情を注いでいることを、コメントから感じ取ってくださった方が多かったのかもしれません。中には、子どもと保護者、私の3人の交換日記のように使ってくださった保護者もいらっしゃいました。

 どんな形であれ、熱意は通じるものです。聖人君子のように、何もかもを完璧にすることはできませんし、それを目指す必要はありません。「できることからコツコツと」を心がけていきたいものです。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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