2021.09.10
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いじめに関するメッセージ

日本のネットニュースでは、このところ(8月末現在)頻繁にいじめについての有名人からのメッセージが見られます。その多くは「自分もいじめられていた。辛かったけどこうやって乗り越えた」というものがほとんどです。私も初めは「2学期が始まるしね」と複雑な気持ちで、でも素直にそれを受け止めていました。しかしある時ふと、加害者への呼びかけがないことに気がついたのです。

ユタ日本語補習校 小学部担任 笠井 縁

夏休みが終わって

折しもアメリカでは新年度が始まって2週間ほどで、マスクしない派(多数)がマスクを着用している子(少数派)をいじめる事案がニュースになっていました。これは秋の新年度開始前から懸念されていて、学校でもニュースでもくり返し「マスクをしないのも自由だし、するのも自由。個人の選択を尊重しましょう」というメッセージが発信されています。

幸い私が働く小学校では、そういうケースは見られません。マスク着用に関してはアメリカでは政治思想などが関わってくるので、思春期の子ども達の方が敏感に反応しているようです。

マスク問題だけではなく、アメリカのいじめは暴力や口論など比較的わかりやすいかもしれません。また被害者が声を上げる割合が日本よりも多い気がします。休み時間も常に担任かリセスエイド(recess aid)という職員が必ず見守っています。何かあればすぐに大人に助けを求めなさいと、幼い頃からそれこそ繰り返し説かれて育つ子どもたちです。

いじめちゃった子と肩を並べる

私が現地の小学校でこのリセスエイドという仕事をしていた時も、いじめの芽になりかねる子ども同士の対人問題を何とか対処しなければならない事が何度もありました。まだイザコザと呼べるような小さな芽のようなケースもあれば、なかなか心理的にこじれているなぁという複雑な状況の生徒と接する時もありました。

初めは被害児童のケアをしていましたが、その内むしろ加害児童へ働きかけたらどうだろうと思うようになりました。見ていると、複雑で長期的な人間関係のこじれの場合、いじめた子の方が満たされていないように思えたのです。

そこで問題が起きた場合は、被害児童はその友達に任せたり、あっちで他の事をして遊んだらと軌道修正として、私は加害児童の話をなるべく聞いてみるようにしました。

初め、加害児童は叱られると思っているので逃げの体勢です。そこでゆっくりした動作で近づき「あなたの話が聞きたい」という気持ちを伝えます。そこからは相手次第ですが、ズバッと「どうした?今日はムシャクシャしてるの?」と聞く時もあれば、加害者になってしまい自分も感情が昂っている場合は「あなたは大丈夫?」と、そっと訊いてみる時もありました。

いつも上手くいくわけではありませんが、少なくとも私はどちらか一方の味方ではないではないのだと分かってもらえるように。信頼を少しずつ積み重ねるしかありません。

話をしてくれても解決できない時もあります。複雑な家庭の事情など……。そういう時は「そっか。難しいね。どうしたらいいんだろうね。私にもわからないけど、いつでも話は聞くよ」みたいに心のドアを開いておくか、「人生って難しいね!」とユーモアを交えて、「それでも何とかやっていくしかないじゃん!」と、肩をたたくか。何も問題が(少なくとも表層的には)ない日も、なるべくそういう子に「元気?調子はどう?」と意識的に声をかけるようにしたり。

懐いてくれなくても、心を完全に開いてくれなくてもいいんです。見てるよ、応援してるよ、という温かい視線は、いじめっ子や乱暴者と思われている子にこそ感じて欲しい。いじめ110番などもありますが、被害児童が駆け込む場所と同様に、いじめっ子になってしまった子が話を聞いてもらえる場もあったらと思います。

自分から校長室へ行った子

この加害児童への歩み寄り(?)は、当時の校長の姿から学んだのです。負けん気が強くついつい乱暴してしまう児童が、この日も他の生徒に手を上げてしまいました。駆け寄った私に「わかってる。自分には感情コントロールの問題がある。だから校長先生と話さなきゃいけないんだ」と言って、その子は自分から校長室へ向かったのです。叱られる為に行くのではなく、話を聞いてもらう為に。そこには校長先生への信頼があり、自分一人ではどうしようもない問題を話せる大人がいる。

日本のいじめはなんとなく発信源は分かっても特定しにくいなど、アメリカとは違うむずかしさもあると思います。ですが、いじめに関するメッセージがメディアから出る場合やクラスや学校などの集団に語りかける場合に、被害者に勇気や希望や逃げ道を訴えかけるだけではなく、加害者にも同じ事を伝えてはどうでしょうか。「いじめは止めましょう」だけではなく、辛いことや一人ではどうしようもないことがあるのなら、そのはけ口をいじめに見いだすよりも他の方法を一緒に探ってみようと呼びかけることはできないものでしょうか。彼らもまた、社会や家庭の歪みの被害者なのですから。

アメリカのいじめ対策が成功しているかと言えば、それは日本と同じくらいのように思います。つまり何とかしなければと誰もが思いながら、やはりまだ苦しんでいる子どもはいる。

ゼロコロナのように病原を撲滅することは現実的ではなく、いじめのような人の弱さからくる軋轢も避けられないものだと、私は思います。ただそれが深刻化、残酷化する前に、なんとか双方の学びと成長の機会となるように、視野を広げ心を開く……いじめる方にもいじめられる方にも、そこへつながるような大人の目配り、気配りを心がけたいと思います。深刻な話ですが、ユーモアも大事!笑いは視点の転換です。真摯な真心とユーモアで、子どもたちと肩を並べて歩みたいものです。

笠井 縁(かさい ゆかり)

ユタ日本語補習校 小学部担任


アメリカの小さな補習校で多文化の中で成長する子どもたちと一緒に学んでいます。アメリカの現地小学校でも非常勤で子どもたちと接し、日本との違いに驚くこともありますが、子どもたちの学びの過程には共通する部分も多いのではないかと思っています。

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